第11話 空を
遠くに人影が見えた。二人だけではない。
サーロの叫び声が聞こえた。耳の奥で鳴り響く警告音のような心拍音のせいで聞き取れない。サーロが戦っていた。
彼の足元を見た。誰かが倒れていた。一人ではない。
戦っているのを見ればわかる。明らかに、誰かを守る動きをしている。恐怖に駆られるままに、サーロの後ろで倒れている赤い髪の青年を見た。
「フィア!!」
赤かったのは髪だけではなかった。矢が数本背中に刺さっている。ふと顔を上げた。サーロの足にも同じものが刺さっていた。
視線を前に向けた。弓を持っている人間がいた。
「…………お父様」
サーロが一度引いてこちらに近づいてくる。相手の一人が剣を下げてこちらの様子を伺っていた。
人数は六。そこまで多くもない。弓を装備している人間が一人。矢筒にはもう矢が残っていない。それ以外の人間は鎧は着込み、剣を手にしていた。全員がこちらを見て不快気に顔を顰めている。
「新しい龍の子だ、総員警戒態勢を解くなよ!」
先程までサーロと正面で戦っていた男が叫んだ。
「正義のためだ!」
思わず唇の端を噛んだ。
「サーロ。フィアを連れて帰ってほしい」
「………すいません、足が」
「なら、安全なところまで連れて行っておいて」
申し訳なさそうな顔をして、サーロがフィアを引き摺って行った。フィアは微かに息をしている。まだ命を落としてはいない。
早く終わらせなければ。
何かの合図があったのか、全員が一斉に駆け出してきた。
不思議と、向かってくる敵に対する恐怖はない。
息が深くなって行く。視界が広がって行く。体が軽くなって行く。
一つ、また一つ足を踏み出す度に、体が変質していくのが分かった。
強く地面を蹴る。視界が加速した。焦燥感に溢れた男の表情が見える。緩慢な動きで踏み出すその男の顔面を殴り付けた。頭部が弾ける。酷く汚い。
地面に落ちる前に剣を拾う。逃げ出そうとしている女に投げつけた。綺麗に胸に刺さって、そのまま、その体が傾く。
一人が悲鳴を上げた。耳障りな声に思わずその男を睨む。弓を持ったその男の悲鳴は唐突に途絶えて、体からは力が抜け、膝が挫けた。その首が
男が一人こちらに駆けだそうとした。視線を向けると、その脚が弾け飛んだ。もう一人が瞳孔を限界まで開いた状態で直立していた。目を向けた時点で血が噴き出した。最後の一人。視線を向けるまでもなく死んでいた。
騒がしかった音が消え去った。風が木々の隙間を抜けて行く音がやけに耳に刺さる。色を失った世界が急に鮮やかになって、我に返った。
振り返ると、サーロが静かな瞳でフィアの事を見ている。近づくと、足音に気が付いたのか顔を上げた。
「………フィア」
「まだ息はしています」
「そうだね」
地面に倒れている弓を持った男の服を脱がせる。その上着を細く切って、フィアの傷口を塞ぐように強く縛る。もう一つの傷も。サーロの足も同じように圧迫した。血はもう出てこない。
「矢は抜かないのですか」
「血が出て来るから。サーロは歩ける?」
「………何とか」
「痛いだろうけど………。ごめんね、今は直ぐに家に帰りたい」
「分かっています」
苦痛に歪めた表情でサーロが立ち上がった。そのまま確認するかのように足を動かす。
刺さった矢がどこかに引っ掛かっては不味いので、短く折って置く。矢が少し動いたのか、サーロが苦しそうな表情をした。
「走ります」
「血が噴き出すから」
「片足でも走れるので。今は時間がありません」
「………そっか、ごめんね」
「いえ。有事ですから」
サーロは器用に片足で走った。
フィアを抱えて、なるべく揺らさないように走る。あまり早く走れないのが煩わしい。行き場のない怒りが腹の奥底に溜った。
空を飛べたら。
「………お父様?」
「どうした?」
「その、背中が………」
サーロが立ち止まって、どこか怯えるような視線でこちらを見る。
背中に手を伸ばすと、知らない感触があった。いつの間にか全身が鱗に覆われていて、視線も普段よりも若干高い。
あぁ、そうか。
「サーロ、捕まって」
混乱した様子のサーロに手を伸ばした。遠慮がちに握ってくるその手を引き上げて、左手で抱き上げる。フィアは右手側に収まっていた。
背中に生えた翼が羽ばたき始める。力を籠めると、体は簡単に宙に浮いた。
龍の子が、空を飛べないわけがなかった。
上空から見る景色は普段とは少し違った。家がある崖も、上から見ると形が違って見える。最初見たときは場所が良く分からなかった。
二人を揺らさないように、ゆっくりと地面に降り立つ。ハクが警戒態勢で待機していたのだが、近付くと気が付いたようで茫然とこちらを見ていた。
「カーロを呼んで」
「わ、分かりました」
カーロは直ぐに飛び出してきた。フィアをゆっくりと地面に下ろす。仰向きで横たわらせると、傷口に巻き付けた布は鈍い赤色に染まっていた。
カーロが手早く刺さった二本の矢を抜く。そして布を巻き直した。
「…………速い」
カーロが小さく呟く。フィアの背中の穴からは最早出血していなかった。ゆっくりと、彼の体を仰向きにした。
彼女がサーロの足も同じように処理する。サーロの足は、弓を抜いた瞬間に少しだけ血が噴き出した。ただ彼の顔はフィアと違って青白くはない。出血多量で命を落とすことはないはずだ。
二人の応急処置が終わって、ここまで保ってきた緊張感が一気に瓦解した。涙が滲んで視界が歪む。
「ごめん、サーロ」
傷を負った人を揺らしたりするのは良くないかと思って、出来るだけ優しくサーロの事を抱きしめる。サーロは遠慮がちに背中に手を伸ばしてきた。離れると、サーロはまだ沈んだ表情をしていた。
もう一度サーロに謝ってから、しゃがみ込んでフィアの様子を見る。まだ顔は青白い。それでも、確と胸は上下していた。
頬に手を添える。
フィアが瞳を開いた。
「…………とう、さん」
「────ッ!! まだ話さないで!」
カーロが急いで間に入ってくる。まだ、フィアは死んでない。意識がある。助かる見込みがある。意識がないよりも、まだ安心して近くにいてあげられる。
良かった。
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