8章

#8.1 "再会"

2020年のオルフェア。

シューヴァント家に仕える『来訪者』へルマン・アクターは、オメガプライムの研究成果を活用し、兵器『クレフ』を開発していた。

その計画も最終段階に入り、あとは最終調整のみ。

2017年に友人であるアスラ・カリリオンの願いを受け、『クレフ』の開発は始まった。

元々へルマンがオメガプライムの研究をしていたため、クレフの基本設計は同年中に完成した。

その後、調整や改良を重ね続け、ようやくここまでこぎ着けた。


しかし、その間にもオルフェアの戦争は激化していった。

小競り合いの頻度は増え、中規模な争いも度々起きた。

その中で、力を持たない家は次々に潰されるか、より有力な家の支配下に置かれていった。自然界の掟同様に、力無き者が淘汰される。理性ある人間の世界でも、その絶対の掟は破れなかった。

2020年現在、有力な家門は八つに絞られた。

シューヴァント家。

ジルフリド家。

ブドール家。

トリロニー家。

コーシュ家。

キリンド家。

テナムキン家。

カバース家。

オルフェアを統一するとしたら、まずこの八つの家門のいずれかだろう。多くの人間からそう予測されていた。


だが、少なくともへルマンは、自らが開発するこのクレフこそが、オルフェア統一実現の鍵になると考えていた。

「そう、まさしく『鍵』だ」

彼は今、三年前の一場面を思い出していた。


***


クレフの基本構成が完成した段階で、へルマンはアスラに披露した。

彼はひとしきり感嘆した後に、ふと疑問に思ったかのように、言った。

「そういえば、なぜこの兵器の名前は『クレフ』なんですか?」

その疑問を聞き、へルマンはつい可笑しくなり、笑ってしまう。

アスラはなぜ彼が笑うのか分からない。

「何か、可笑しいことを言いましたか?」

「いや、少し思い出していたんだよ」

そう言ってから、へルマンは手近にあった紙の切れ端に、ペンで何かを書いた。

そして、それをアスラに見せる。

「ほら」

そこには、たった4文字だけが書かれていた。

だが、それを見てアスラは、すぐに理解した。

「なるほど」

彼もまた、笑ってしまう。


そこに書かれていたのは、『clef』の4文字。


昔、へルマンが『clef』と書いてみせ、アスラに何と読むか訊ねたことがある。

彼は素直にアルファベット通り、『クレフ』と読んだが、へルマンはその答えを聞いて意地悪く笑った。

彼はこれが地球上の言語の一つ『フランス語』の単語だと説明した。そして、この単語の発音は『クレフ』よりは『クレ』に近い、と教えた。

アスラはこの答えに憤慨した。『なぜ語尾を発音しないんだ』など、ひとしきり文句を並べた。気が済んだところで、アスラがふと訊ねた。

『で、この単語の意味は何なのか』。

へルマンは答えた。『鍵』という意味がある、と。


その時のことを思い出し、二人は笑い合った。

そして、同時にアスラは、この兵器の冠する名に込められた思いを理解する。

「この兵器が、戦乱の時代を終わらせる『鍵』なんですね」

ヘルマンは首肯した。


***


2117年。

地球のガーディアンズ本部の、オルフェアからの襲撃の際に使用される司令室で。


この場所で、少年達は再会を果たした。

久馬那一と木島竜平。

十字第一高校のクラスメイト。

ただし、二人はもう学生ではなかった。身に纏うのも学生服ではなく、ガーディアンズの制服。

「竜平」

「久し振りだな、那一」

交錯する視線には、懐かしさがあった。

親愛もあった。

だが、それ以上に彼らの感情を占めるのは、疑問。

『なぜお前がここにいるんだ?』。

その思い。

実際に口に出した。ただし、一方のみが。

「なぜ、ここにいる?」

那一の問いかけに、竜平が答える。

「俺は、ガーディアンズの隊員だからな」

淡々とした口調。

だが、那一の表情は一切変わらなかった。

納得などない。

「そんなことは分かるよ、制服を見れば」

「そりゃそうか」

そしてそれっきり、言葉はなくなる。

明るかった彼の面影は、もうなかった。

誰も声を出さなかった。

やがて、重すぎる沈黙に耐えかねたのか、あるいは責任を感じたのか、口火を切ったのは久馬優吾中佐だった。

「那一、俺が彼を連れてきたんだ。ガーディアンズの新入隊員のリストの中に、お前や薫ちゃんと同じ年代の人間がいた。気になって経歴を調べたら、お前のクラスメイトだと分かってな」

『だから本人に会って、連れてきた』。

そう言おうと思った。

だが、弟は兄の言葉を遮る。

「それもだいたい予測がつく」

那一の視線は、こう言っている間も全く竜平から離れていない。

そして言った。

「僕が聞きたいのは、『なぜガーディアンズに入ったのか?』、そのことだけだよ」


脇から見ていた薫は、那一が本当に訊ねたい内容を、最初から予期していた。

それは、自分がガーディアンズに入ったときにも、彼が訊ねた問い。

彼は相変わらずだ、変わらない。

相変わらず、『自分以外の誰か』のことは気になるらしい。

少しは自分のことも見つめ直さないのだろうか。

立ち止まらないのだろうか。


那一の問いに対して、竜平は相手の瞳を見つめたまま、しばらく沈黙していた。

ただし、その沈黙の最中、瞳は全く揺らいではいなかった。

投げ掛けられた問いに対して、答えを知らない人間の瞳ではない。

答えを知っていて、それをただ口にするのにエネルギーが要るだけ。

ようやく竜平が口を開いたとき、その声はさらに重かった。

「……俺の母親と妹のことは」

「ああ、薫から聞いた」

「そうか。俺は元々父親がいないからな。もう、俺の家族はいない」

「ああ」

語る友人の言葉に、苦く、暗いものが多量に含まれているのを察し、それでも那一は相づちを打って先を促す。

聞かなくていい話なら、最初から聞く必要はない。だが、これは聞かなくてはいけない話。飲み下さなくてはならない苦さであり、目を凝らさなけばならない暗さだ。

「もう分かるだろ?俺がガーディアンズに入ったわけは……」

「ああ」

もう聞く必要はない。

言葉が足りなくても、竜平の表情から全ては分かった。

『報復』、あるいは『復讐』。原始的な感情だが、それは強固な行動原理だ。


稲森はそんな様子を眺め、本当に今さらながら、このある意味『正常な反応』がこの場に存在することに思い至る。

自らの部下である久馬那一からこんな感情的な行動原理を見せられたことがなく、また二回目の襲撃以降は死者が出ていないため、つい失念しそうになっていた。

最初の襲撃により、突如として崩壊した十字市。

日常から非日常への急転換において、多くの市民が振り落とされ、この世界からいなくなった。

そして残された人間の中には、自らガーディアンズ隊員となり、非日常へと突入する人間がいた。

那一しかり。薫しかり。

新たな環境へ飛び込んでいくとき、人は燃料を必要とする。燃料は人によって異なり、木島竜平にとっては『復讐心』だった。

これは目の前の少年に限る話ではない。

世界の他の五ヶ所でも、オルフェアからの攻撃によって多くの犠牲者が出ている。

きっと多くの人間が、同じ黒い感情を身に宿すのだろう。

そうやって誰かが争いに加わって、争いは連鎖する。

稲森自身はそんな連鎖が止まるとは思ってないし、世界から消えるとも思っていない。争いも復讐心も人間が抱える性質であって、全て消したらその時、人間は人間でなくなるのだろう。

ただ、ちょっと思うことはある。

できることならガーディアンズに、この争いの最前線に、飛び込んでくる人間が少なければいい。


竜平がポツリと呟いた。

「なあ那一。そういや、お前が使ってるクレフって、オルフェアの兵器なんだってな」

「そうだよ」

那一が頷く。

「で、このガーディアンズ本部に、オルフェアの王女もいるんだってな」

また頷く。

竜平は苦笑いした。

「……どんな奴だ?」

ごく普通の、あるいは『普通すぎる』口調で、竜平は訊ねた。

だから、那一もあえて、率直かつ普通に答えた。

「悪い人じゃない」

「そうか、残念だな。悪い奴なら……今すぐそいつをぶん殴ろうと思ってたんだが」

そう言ったとき、竜平の顔には弱々しい笑みがあった。

だが、彼の拳は、固く握りしめられていた。

激情を押し殺すように、握り潰すように。

「彼女は僕達の協力者で、僕と薫の『友達』だ」

薫、リエラ、那一。三人で手を重ねた。

『友達』がどんなものかを答えるのは難しいが、それでも『友達』だと誓った。一「君が彼女をぶん殴るなら、その前に僕が君を止める」

いつもの淡白な口調。

『今日も晴天だ』とか、そういう呑気な話と全く同じ口調だった。

それゆえに、そこに冗談は無かった。

竜平も、脇で二人を見守っている薫も、よく知っている。

那一は冗談を言わない。

だから、竜平は笑った。

さっきより、弱々しさは減じている。

「お前、俺と喧嘩したことないだろ」

「そもそも喧嘩自体、誰ともした記憶がない」

「喧嘩をしたことない奴が、俺を止めるってか?」

その問いかけに、那一は即座に返す。

「……戦闘なら、もう何度もやっている」

竜平は今度こそ、何のこだわりもなく笑った。

薫も笑ってしまった。

切り返した当の本人はやはり笑ってはいない。


場所は学校からガーディアンズ本部に、服装は学生服から隊員服に。

変化は多く、変わらないものは少ない。

だからこそ、わずかな不変にしがみつく。

いつかの昼休み、学校の屋上で過ごした和やかな時間。

その欠片を、手放さないように。

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