#7.2 "非日常的日常"
オルフェア王都、ルシエル。
現在、王城に滞在している貴族はヴァイカウントのジョゼ・キョンクのみ。
チェイセン・ロンハは先日クレフに敗れ、ペイル・メイラーは師であるジェイド・ブドールを尋ねに行っている。
順当に行けば、次はジョゼ・キョンクが出陣する番だ。
だが、ジョゼは自らが出陣するよりも前に、部下達を出陣させるつもりでいた。
それは彼のウォーメイルの固有能力を、より万全の状態で使用するためだ。
***
地球。十字市のガーディアンズ本部。
先の戦闘で、少なからず傷を負った久馬特別准尉は、ガーディアンズ本部内の医療エリアで療養中だ。
本人は相変わらず、何ともないような顔をしている。だが彼が起き上がり、訓練等の活動に入ることを、既に数人が制止している。
一人は幼馴染みの千崎薫。
戦闘から一夜が明けた頃、早くも那一が起き上がり訓練に向かおうとするのを見つけ、半ば怒鳴り付けるように治療室のベッドに押し戻した。
稲森中尉と共に那一の見舞いに来ていた時だったが、薫が延々と那一に説教をしたために、上官であるはずの稲森は言うことが無くなり、「まあ、おとなしくしとけ」と言ったのみになった。
この顛末を聞いた兄の優吾が慌てて駆けつけ、那一が納得するように、戦力面から考察した論理的な説明を行い、安静にすることの利を説いた。
ゲートキーで多数の兵が襲撃してきた直後であり、次の戦闘までは間があるであろうこと。
クレフ資格者が那一だけである以上、那一が負傷したままではかなり防衛力が落ちてしまうということ。
ベッドで寝ている間でも情報の整理や戦闘の脳内シュミレーションなどは可能であり、わざわざ無理に起き上がるメリットは少ないこと。
等々、様々な説明によって那一を説得した。
もっとも、当の優吾自身はこれらが取って付けた論理に過ぎないと自覚していた。単に弟に少し休んでいてもらいたいだけだ。
次いで、オルフェア王女リエラ・シューヴァントがやって来て、那一が勝手に起き上がらないようにと見張ることになった。
ガーディアンズ隊員と違い客人である彼女は、そういう意味では自由に時間を使いやすい。病室の外のベンチに半日ずっと座っていた。
ただ、「那一が抜け出さないように」というのは口実だったかもしれない。
『クレフ』を彼に渡した人間として、彼が傷つけば心穏やかではいられない。何かせずには落ち着けないのだ。
たとえ、ただ彼の病室の外に座り、何もしてあげられないとしても。
***
数日が過ぎた。
那一は起き上がり、ほぼ通常通りの活動を行えるようになっていた。
銃撃訓練と、クレフの解析の手伝い。それら2つをこなしたところで、那一は稲森に呼び出される。
いつもの司令室。
「さて、とりあえず活動できるようになってよかったな」
「はい、思ったよりも時間がかかってしまいましたが」
その言葉を聞き、脇では無言で薫が睨む。「当たり前だ」と言わんばかりに。
那一はそんなことに気づかず、話を進めていた。
「それで、呼び出された用件は何でしょうか」
ただの退院祝いではないだろうことは、彼にも予想がついている。
実際、稲森もその言葉に頷いた。
「ああ、実は二つほど話があってな」
そう切り出して、稲森の話が始まる。
「まず一つ目。前からお前と話していた、移動手段の話だ」
その話はもちろん覚えている。そもそも、那一の方から言い出した話だった。
現在、オルフェアの襲撃が確認される度に、その地点まで那一は別の隊員の運転する車によって移動させてもらっている。
しかし、それでは戦場の近くまで隊員が行かなくてはならないし、何よりも那一自身の行動の自由度が下がってしまう。那一自身が移動手段を有している方が効率的だ。
「ああ、優吾に動いてもらってな、既に会議は通していた。お前には特殊バイク『ライドストライカー』が渡されるはずだ」
「バイクですか」
確かにそれは妥当な判断だと思えた。バイクならば那一個人が移動するには十分であり、むしろ小回りが効く点で優れている。加えて、ガーディアンズ開発の特殊バイクならば、移動手段としての使用だけではなく、戦闘に導入することも不可能ではないだろう。
稲森の説明によれば、ライドストライカーはかつて、ガーディアンズが白兵戦において活用するために開発したマシン。試作機として一応の完成は見たが、その高い性能を実現するために製造コストがかかりすぎることが理由で、開発計画は中止され、一台だけが現存しているそうだ。
「お前を呼んだのは、その『ライドストライカー』の初期調整が済んだからだ。なるべく早く、その扱いに慣れてもらった方がいい」
「そうですね」
「とまあ、それが一つ目の話なんだが、ここからが2つ目の話だ」
稲森はあくまで真面目な顔で、そして言った。
「とりあえずお前は、免許を取れ」
那一は虚を衝かれた。別の作業をしながら話が聞こえていたらしい薫も、こちらの方を向いてやや唖然とした顔をしている。彼の反応は特別ずれているわけではないらしい。
しかし、稲森は逆に驚いた顔をして言った。
「何驚いてるんだ?バイクの免許、まだ取ってはいないだろ」
「それはそうですが」
彼にしては珍しく答えに詰まる。
脇から薫が話に加わってきた。
「稲森中尉。この非常時に免許を取るなんて話が出ることに、那一は驚いてるんですよ。それについては私も同感ですが」
苦笑しながら言う薫に対し、半ばわざとらしく、稲森は「やれやれ」といった風にため息をついた。
「いや、非常時だからこそ、日常的なことを大事にしないといけないんだ」
そう言って稲森は解説を始める。
「人間は適応力があるからな、放っておけば非常時に慣れてしまう。特にこいつはそうだろ?」
那一に目を向けながら、薫に向けて話す。
彼女もその話には頷かざるを得ない。
「それは、まあ」
那一がこの状況にあまりにも馴染んでいることは、彼女としても不安だ。
端的に言えば、異常だとすら思う。
「だから、日常的なことをこなすことで、感覚が麻痺しないようにするってことだ」
と言い、稲森は那一を見る。
当の本人は納得しているような、いないような。
「……理解したか?」
その問いかけに、数拍おいて。
「感覚が慣れてしまうのは、まずいことでしょうか?」
そう那一は言った。
薫は俯く。
「やっぱり」と言うべきか、しかし彼の感覚はおかしい。
幼馴染みである少年のことをそう改めて思い、彼女の不安は募る。
那一は続ける。
「……慣れなければ、軍人として機敏な判断がしづらくなってしまうのでは?」
そう言われて、稲森は思案する。
部下の質問に、どう答えたらいいだろうか。
確信を持っているかのように否定するべきか。いや、それはきっとフェアではない。
思うことを、率直に伝えるしかないのだ。
「……確かに、そういう面もある」
稲森が肯定したので、那一は意外そうな顔をした。話の展開からしても、あっけなく否定されるだろうと思っていたからだ。
しかし、その先を稲森は続けた。
「軍人として、最も機敏かつ正確に動ける人間は、異常であることに慣れた人間なのかもしれない。現に、俺はそういう奴を一人知っている」
そして、彼は「アメリカにいるけどな」と付け加えた。
日本とアメリカの軍事面での繋がりは、今も昔も強固なままだ。
アメリカ軍『TWO』、『the World Order』。
ガーディアンズとTWOは頻繁に合同軍事演習を行っている。
それは実際に共に戦うかもしれない異国の兵士達と連携を強めることであり、協力関係を対外的に広く知らしめて、抑止力とするための行為でもある。
「那一、お前からはそいつと近い印象を受ける。あまりにも特殊な状況への適応が早い、早すぎる」
部下を見る上官の顔が少しだけ、不安に曇る。
「それは軍人として優れていることかもしれないが、それでも俺は」
稲森は考える。目の前の少年に向けてではない。
その少年を鏡とし、自らに問いを反射させる。
彼には、ずっと考えていることがある。
使命のために私情を切り捨てるべきか。
大義のために願望を持たざるべきか。
『普通』の人々を守るには、『普通』でいてはならないのか。
那一は黙っていた。
その表情からは、彼の内面を読み取ることは難しい。
薫も黙っている。
稲森中尉の言葉は、那一にどう受け取られるのだろうか。
彼はこれから、どうなるのだろうか。
幼馴染の未来は。
「さてと。俺からの話は終わりだ。とりあえず、さっき言ったようにライドストライカーの様子を見てこい」
稲森はこの雰囲気を断ち切るように言った。
「はい」
稲森から簡単な説明とライドストライカーの書類を渡され、那一は部屋を出ていこうとする。
そこで出ていきかけた足を止め、訊ねる。
「後学のために、一つ聞いてもいいでしょうか」
「どうした?」
「中尉が先程言っていた、僕と似ている人間とは?」
「ああ、その話か」
特に隠すことでもないし、また今後実際に関係が生じないとも限らない。
日本とアメリカの軍事上の結び付きは強い。
「『TWO』の奴だよ。当時は俺と同じ少尉だったが、今はもっと高い地位にいるだろう」
彼は、以前参加した日米合同軍事演習を思い返す。明らかに突出した能力を有していた奴がいた。
「名前は、『アレックス・ルガート』という」
***
アメリカ。TWO総本部。
アメリカにオルフェアからの襲撃があったのは、例の世界6ヵ所同時襲撃の時だけだ。
その際、ニューヨークの中心市街地に敵の機動兵器ウォーメイルが出現し、その『透明化』の能力によってTWOの戦力を翻弄した。
ただし、その後は地球全体で見ても、十字市以外の場所でオルフェアの襲撃は確認されていない。
かと言って、各国がオルフェアについて何も知らないわけではない。ガーディアンズは、既にかなりの情報を各国に対して通達しているためだ。
そしてその情報によれば、惑星国家オルフェアでもその統治状況は微妙なバランスの上に成り立っており、オルフェア王都と座標が対応している十字市以外の場所では襲撃を受ける可能性は低い。
最初の襲撃は、地球全体にウォーメイルの力を見せつける、いわば『宣戦布告』であったのだろうと考えられている。
小さな部屋に二人の男が向かい合っている。
うち一人はデスクに座っており、もう一人がその机を挟んで立っている。
デスクに座っている年配の男性が口を開いた。
「では、ルガート少将。君は『クレフ』についてどう思った?」
問いかけられたのは、アレックス・ルガート。階級は少将。
まだ若く、青年とすら呼べる容貌だ。
「率直に言いましょう。『クレフ』はスーツのように身に纏って使用する兵器。当然、その効力は使用者の特性によって大きく左右されるはず。そして、映像資料を見る限り、現在のクレフ使用者は非常に理性的に、あの兵器を使いこなして戦っている」
「なるほど、君もそう思うか」
質問した男は頷き、そして言った。
「……君自身に似た戦い方だと思ったか?」
「ええ、そうですね」
「『欠落者』と呼べるほどに、かね?」
「それはまだ断言できませんが」
『欠落者』。
かつてアレックスはそう評された。
それは、当時の彼にぴったりな称号であった。
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