6章

#6.1 "『僕』と『私』の狭間で"

2020年。

ヘルマン・アクターは研究室で、目の前の機械の最終調整を行っていた。

様々な部分でオルフェアの技術者達の助けを借り、どうにかここまで形にすることができた。

しかし最終調整である、オメガプライムの流動経路の最適化工程がまだ残っている。

全身にオメガプライムを回す際に、可能な限り無駄な消耗を抑え、エネルギーロスを減らすのだ。それはエネルギーの節約でもあるが、より重要なのは、装着者の負担軽減という面である。この装着型兵器では、扱うエネルギー量がそのまま使用者の負担になる。ゆえに、エネルギーの効率化は不可欠だ。


複数のモニターに映し出される様々な数値。そのいくつかは点滅し、目まぐるしく変動する。

しかし、その変動幅が予測の範囲内であることを確認し、ヘルマンは安堵する。

調整は続行。

「『クレフ』……か」

目の前の兵器の名を呟く。

これは、彼が願う未来への切符であり、友人の願いを体現する機構だった。


後に起きる『オルフェア統一大戦』まで、あと3年。

***


2117年、現在。

オルフェア貴族の1人、爵位『バロン』を有する、セイム・カリリオン。

若くして爵位を継いだこの少年は、貴族の一角としての自身に不安を抱きながらも、彼なりの矜持を持って領地を治める。

先日は同盟関係にあるゴウロ・チルスの領地内にあるシェンテ村にて、ホロウ・ブナーガヌと剣を交えた。それは同盟関係ゆえの当然の行動ではあったが、一方で彼自身の誇りを懸けた一戦でもあった。

『剣は、盾は、ただ民のために』。

それはカリリオン家に代々伝えられてきた言葉であり、最も基本的な行動指針だった。遺伝子のように脈々と受け継がれてきたこの理念は、セイムの中にも確かに根を張っている。


また、その理念の根源は、初代当主アスラ・カリリオンに由来する。

初代当主は元はシューヴァント家に仕えていた家臣であり、ゆえに、カリリオン家に伝えられるもう一つの精神がある。

王家への忠誠。

自らが王の『騎士』であることを固く守り、また『騎士』であることを誇りに思う。

そして、カリリオン家当主が装着する鎧『シュバリア』は、カリリオン家の2つの理念を体現する象徴でもある。

***


今、セイムは書斎で書類に目を通している。

領地内の様々な事件や状況が記載された書類や、民からの嘆願書。数は多いが、それらの書類に自分自身で目を通すことを、セイムは自身に課していた。

これもまた、彼が自らの理念を失わずに維持するため。


書斎のドアを、誰かがノックした。

「入ってくれ」

相手が家臣だと思って彼はそう返事したが、入ってきたのは家臣ではなかった。

「セイム、久しぶり」

透き通った声に、彼は虚を衝かれた。

それは、よく知る少女だった。

「ルルイエ・リーグレット……」


思わず目の前の相手の氏名を唱えてしまったセイムに、少女は気恥ずかしげに笑った。

「改まって言われても、なんて返せばいいか」

「……ああ、いや、ごめん。久々だったから……」

弁解をする彼に対して、ルルイエは口元を尖らせて拗ねるように言った。

「やっぱり、正式に当主になったセイムは、もう昔みたいに『ルル』って呼んでくれないんだ……」

「いや、そんなことないよ、ルル」

慌てて呼び直すと、彼女は笑った。

「フフッ、冗談だよ。そんなに本気にしなくても」


ルルイエ・リーグレット。

カリリオン領内に存在する商家リーグレット家の一人娘。

リーグレット財閥は、カリリオン領内だけでなくオルフェア全土で見てもかなり規模の大きい財閥である。そんなリーグレット家とはカリリオン家も親好を深くしており、その結果としてセイムとルルイエは幼馴染みと呼べる間柄だった。


「まだ言ってなかったね、カリリオン家当主の継承、おめでとう」

「ああ、ありがとう」

そう言いつつ、この継承はセイムにとって素直に喜べるだけの出来事ではない。父ギーク・カリリオンの急逝と、若くして受け継いでしまった重責を意味している。


商家の娘として多くの商人の顔色を見ながら育ったルルイエは、他人の表情から感情を推察する術に長けている。彼女は今、セイムのわずかな変化からその考えを察し、慌てて声のトーンを落とし、尋ねる。

「あんまり祝うようなことじゃなかったかな?」

「そんなことはないさ、祝ってもらえて良かったよ」

「良かった……」

安堵し、ルルイエは胸を撫で下ろす。



今のセイムは、爵位『バロン』の貴族、カリリオン家の当主として、もはや一個人ではない存在として思考し、行動しなくてはならない場面も多い。

そしてそれは、何事もなく当主であり続けるなら、あと何十年も続くのだ。

だが、今こうしてルルイエと話している時間は、セイムはオルフェア貴族ではなく、ただの少年でいられた。

一人称が『私』ではなく『僕』になるのもその表れ。


しばらくルルイエと談笑した後、セイムには再び『私』としての時間がやって来た。

書斎に入ってきたのはセイムの腹心、ディファ・キルル。彼は書斎の中にルルイエの姿を見て、部外者に報告を聞かせることを躊躇ったが、セイムが構わないというように促し、ディファは報告を行う。

「突然の事態ですが、ランス・ジルフリド様が、セイム様との面会を求めておられます」

ディファの告げた報告に、セイムは戸惑う。


ランス・ジルフリド。

最高爵位『デューク』の一角。

父ギーク・カリリオンの友人であり、セイムの見解としては、ランス・ジルフリドはかなり信頼できる人物のうちに入る。

だが、奇妙なのはこのタイミングだ。

彼は何を話すために、セイムとの面会を求めているのか。


しかし、面会を躊躇う理由もない。

セイムはすぐに答えた。

「分かった、すぐ準備する」


***


地球。

十字市のガーディアンズ本部。

射撃訓練場で、稲森渡中尉は銃を構え、物言わぬ標的を撃っていた。

引き金を引く。

弾丸が標的を穿つ。

引く。穿つ。

引く。穿つ。


ガーディアンズ入隊時からやり続けている射撃訓練。

稲森の技術はかなり高い。しかし一方で、戦場では時に、磨き抜いた技術すら無用の長物と化すことがある。

それは、心が迷ったとき、折れたとき。

物理的に言えば、引き金を引くのは指の力かもしれないが、実際はそうでない。

引き金を引くのは、その人間の心。だから心次第では引き金は堅く、決して動かせないものになり得る。稲森はそのことをよく知っていた。


休憩のため、稲森は射撃を中断し銃を下ろす。

そして、先程から薄々気づいていた気配の方、つまり右横を見る。

射撃練習のレーン、その一つ飛ばしたレーンの射撃位置に、一人の女性隊員が立っていた。

彼女は桐原弥生中尉。桐原孝輔中将の娘にして、久馬優吾中佐の部下でもある。

稲森と同期の優吾の部下なのだから、当然年齢的には稲森よりもかなり下だ。にも拘らず、彼と同じく『中尉』の地位にいる。

その理由は、一つには彼女の優秀さ、そしてもう1つは、稲森がいわゆる出世コースを外れたためだ。

「お疲れ様です、稲森中尉」

そんな生真面目な挨拶を聞いて稲森は苦笑する。

「ははっ、相変わらず堅いな。階級も同じなのに」

「いえ、階級は別として、年長者への敬意というものがありますから」

などと答えるあたりがやはり堅い。

とはいえ、そんなやり取りはこれまでにも何度か繰り返したので、今さら無理に態度を変えさせようとはせず、ただ稲森は水を向ける。

「で、何か用事か?」

「はい、大したことではありませんが。久馬中佐からあなたの様子を見て来てほしいとの要望を伺ったので」

「ああ、なるほどね。あいつ、部下にそんなくだらないことやらせて、職権乱用だな」

「いえ、あくまで要望を、私個人の意思で承っただけですので」

と、にべもなく否定される。

「まあいいや。相変わらず俺は大丈夫だから、あいつにもそう伝えておいてくれ」

「分かりました」

そう言って、弥生は去ろうとする。その時、ふと彼女に聞いてみたいことを思い出し、稲森は呼び止める。

「ああ、そういえば」

「何ですか?」

立ち止まった弥生。

「どう思う、久馬那一特別准尉、について」

それは純粋な好奇心。彼が、他人の目に彼はどう映るのか。

「そうですね、私はあまり関わりがないですから、適切な表現は難しいかもしれませんが」

考えをまとめるために、弥生は少しの間、思案する。

そして、回答。

「おそらく、軍人として極めて高い能力を持った人間でしょうね」

「そうだな」

それは稲森も思っていたことだ。那一の適性は高い、いや、高すぎるのだろう。

「ああ、それに」

彼女は付け加える。

「似てませんね、久馬中佐とは」

「はは、確かに」

思わず笑ってしまう。

彼女の言葉が少し可笑しかった。


***


それから数時間後、ガーディアンズの研究室に稲森はいた。

既に那一もいる。

実のところ、ここ数日の那一は新入隊員としての訓練以外のほとんどの時間をここで過ごしていた。技術者達と共に研究開発を行うためだ。実際、那一はクレフの唯一の使用者であるため、彼の意見は貴重だ。


今、彼らが進めている研究は二つ。

一つはクレフの解析。これはずっと引き続いて行われている作業だが、進捗はまだまだといったところだ。

そして、もう一つ。

「これだ」

技術責任者の円城長久が稲森に見せる。

研究室に並ぶ解析装置。それらに接続されているのは、人型機械兵器ウォーメイルの残骸。

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