#5.2 "彼は背を向けて"
那一の兄優吾から、薫は事情を全て聞いた。
「じゃあ……那一はその『クレフ』の資格者として……」
「ああ。ある意味で、戦わざるを得ない状況になっている」
真顔で言った後、ふと離れた位置に立つ那一に目を向け、優吾は付け加えた。
「まあ……あいつ自身はそんなことを気にしちゃいないんだろうが……」
苦笑が混じったような声だったが、薫はその声の中にどこか寂しさも内包されていることに気づいた。
そして、それは彼女も同じ。那一自身がそれでいいと言っても、簡単に受け入れることはできそうにない。
しばらく俯いていたが、沈黙は決して現状を良くする方向には働かず、ただ彼女の中の暗い思いが凝固していくだけ。
薫と優吾が話している間、彼らから少し離れた場所に那一と稲森は立っていた。
優吾から「今はこっちに来るな」と言われているが、かと言って幼馴染みが訪ねてきた状況で那一がこの場を離れるわけにはいかず、この場に留まっている。そんな成り行きからなんとなく目を離せず、稲森もまた同様にこの場にいる。
ただし何もしていないわけではなく、彼らは今回の襲撃と迎撃に関して話し合っていた。被害状況、クレフの戦闘データ、敵ウォーメイルの分析など、話すことはいくらでもある。
彼らの話は声色こそ穏やかで冷静だが、いや冷静だからこそ、どこか殺伐としていた。
そんな時、このガーディアンズ本部受付に、彼女は姿を現した。
リエラ・シューヴァント。国家オルフェアの王女。
「那一さん、怪我はありませんか?」
すぐに那一の方へ駆け寄り、心配そうな声で尋ねた。
「大丈夫、特に問題ありません」
「良かった……」
相変わらず淡白な彼の応答に、ホッと胸を撫で下ろす。
そんな様子を、優吾と薫も眺めていた。
「えっと……あの人は?」
薫はもちろん、リエラのことも知らない。
「ああ……彼女がリエラさん。さっき話したオルフェアの王女だよ」
「王女……」
確かに、優吾の説明にもその単語は登場していた。
オルフェアの王女。
侵略者の惑星から逃亡してきた少女。
地球への協力者。
そして。
「那一にクレフを与えた人………」
何となく複雑な思いだ。
彼女がクレフを与えなければ、地球にはオルフェアに対抗する戦力が皆無だっただろう。
それは分かっている。
だが同時に、もし彼女がクレフを与えなければ、那一が戦うこともなかっただろう。
彼女を責めようとは思わないが、俗に言う『運命の女神』とやらに対して問うてみたかった。
問う内容はただ一つ。
『どうして運命は、那一にクレフを与えたのか?』。
優吾が那一を呼ぶ。
「説明し終わったぞ」
那一に『こっちに来い』と言っているのだ。
彼がそちらに向かっていくと、稲森は気を利かせリエラを連れてその場を後にした。
優吾が立ち上がって席を譲る。
那一は薫の正面のソファーに座った。
向かい合う2人。
幼馴染みだった那一は、薫にとって家族以外では一番身近な存在だった。
薫は兄弟姉妹もなく、幼い頃から彼とはよく遊んだ。
その頃から、大人しい子供だったと記憶している。
ただ、だからと言って那一が今のようだったかと言われれば、薫は即座に首を横に振るだろう。
大人しいだけで、那一は普通の男の子だったのだから。
「那一……」
「……僕の状況、全部兄さんから聞いた?」
「うん……でも、理解はできない」
「そっか」
涼しい顔で、彼は答える。人の心配などどこ吹く風。
いつからだろう、彼がこうなったのは。薫には分からなかった。
彼女には、那一の状況を知ってから、彼に言いたかったことがあった。
言わないでおこうかとも思った。
言ったところでもはや何も生まない言葉ならば。
でも、きっと誰かが言わなければ、その疑問は彼の胸には決して入っていかないだろうから。彼女は口にすることを決めた。
「おかしいと……思わないの?」
俯いていて、薫の顔は見えない。
「何?」
「『おかしいと思わないの?』って言ってるの!」
思わず声が大きくなる。
さっきまで話していた優吾や、稲森、さらにリエラも、その場にいた皆がそちらを見た。
薫はただ、目の前の少年だけを見つめていた。
「……だって、おかしいよ!那一は軍人じゃないのに戦って、結局本当に軍人になっちゃって……そんなの……」
感情の昂りで、いつの間にか瞳が潤んでいた。
「こんなことになってるのもおかしいし……もっとおかしいのは、那一が何も思ってないってこと!」
那一はただ黙って聞いていた。
彼女の言葉は刃のような鋭さを持って彼に向けられているのだが、沈黙でそれを受け止める。
那一自身にも薫の言うことは分かっている。少なくとも、彼女の感覚が『普通』だということは那一自身も分かる。
「戦ってれば危ないのに、死ぬかもしれないのに、それなのに……!」
「それでも……僕は、戦うよ」
いつもと同じ落ち着いた口調。
だが、その口調には少しだけ起伏がついているようで、彼の意思が確かにそこにあることが薫には窺えた。
だから、彼女はもう何も言えなかった。
自分がぶつけたかった言葉は確かに全てぶつけた。
ただ口に出しただけでなく、那一がそれを受け止めたのが分かる。
それでも、彼は止まらなかった。
彼は決めた道を進むのだろう。引き返すこともなく、振り返ることすらせず。
それは止められない。
「……じゃあ、僕は行くよ」
ソファーから腰を上げた那一を見上げることもせず、彼女は黙って俯いていた。那一はそんな様子を一瞬だけ見つめて、背を向けた。
俯いて狭まった薫の視界に映る、那一の足の運びから、彼が行ってしまうのが分かる。
それは単に現実の現象というだけでなく、今の関係性を象徴しているようで。
そう思ったとき、声が降ってきた。
「……ありがとう」
潤んだ目を見開き、薫は顔を上げる。
だが、那一はもう歩き去っていくところだった。
その背中はいつも通りで、まるでさっきの声が幻聴であるかのよう。
しかし、声が聞こえたのも、その内容も、きっと紛れもない真実。
***
オルフェアの王城。
幽閉されているポート・ダズールを訪ねたのは、六柱の一角であるランス・ジルフリド。
牢の扉に嵌め込まれた窓越しに見えたその顔に、ポートは驚きながらも、ひとまずは上級貴族に対する礼儀として、恭しく返答した。
「ランス・ジルフリド様、お久し振りでございます」
以前より王家との協力関係にあるランスは、度々王城を訪れており、リエラの侍従として何度も顔を合わせている。
「なぜ私のような者を訪ねられたのでしょうか?」
「いや何、少し気になることがあるのだ。……すまないが少し2人きりにしてくれ」
最後の言葉は牢の見張りに向けられていて、見張りの男は困惑しながらも、言われるままにその場から離れていった。牢の扉がある以上安全面も問題ないと考えたのだろう。
「さて、人払いが済んだところで、すぐに本題に入らせてもらおう」
声は穏やかだが、この男自身のカリスマ性が為せる業か、ただこうして話されているだけで、ポートは威圧感を覚える。
一筋、汗が首筋を流れたのを感じた。
「はい、それでお話されたいこととは?」
「単刀直入に尋ねる。君は、わざと王女殿下を地球へ逃がしただろう?」
ポートの首筋に、もう一筋汗が流れた。
『陽公』の瞳。核心を突き、全てを見通すようなその視線が、自らに注がれるのを直視し、それでもなおポートはランスから目を逸らさなかった。
表情をいささかも崩さずに。
「なぜ、そのようなことを?」
「いや。私はダズール家がどんな血筋かよく知っていてね」
ランスは独白するように呟いた。
「……王家への忠誠心厚く、傍らに常に寄り添う一族。それがダズール家だ」
「はい……その通りだと、私もまた自負しておりますが」
「敵対する惑星、地球へと王女殿下が逃亡なされた……これは由々しき事態だ。だが、聞くところによれば君は、牢獄に入ってからというもの、大人しく一人静寂の中で黙想に耽っていると聞いた」
ランスの目はポートに向けられたまま、全く逸らされない。
「……忠誠心厚いダズール家の人間としては、自責の念から自傷行為の片鱗を見せると思っていたが、そうではない」
「……だから、リエラ様の逃亡は、私の意思でもあったと?」
「あくまで推測だがね」
そう軽く結ぶランスに対して、ポートは沈黙で応じる。今これ以上口を開けば、間違いなく目の前の男のペースに呑まれる。
ランスはその様子をしばらく見た後、もうすべきことはないというように、立ち去る素振りを見せた。
「私はもう行こう。ここで話したことは戯れ言だ、忘れてくれて構わない」
そして、背を向けて歩き去っていく。
ポートはまだ緊張を保ち、平静を装い続けていた。
『陽公』が牢獄から完全に去るまで、万が一にも隙を見せてはならない。
一方、牢獄を去ったランス・ジルフリドは、歩きながら考える。
彼の次の行く先は決まっていた。
王家へ忠誠を誓う、もうひとつの一族を訪ねなくては。
王家に仕える騎士の家門、カリリオンへ。
***
地球。
那一が受付から去っていく。
彼は上官である稲森の前で立ち止まり、言った。
「射撃訓練に行ってきます」
「ああ」
この状況は何とも言えず重いが、稲森には那一を止める理由もない。
そして、立ち去っていく那一。
その背中を、迷うように少し見て、それからリエラは彼を追いかけた。
しばらく那一の背中を見送っていた薫。
その傍らにまた優吾が立って、彼女を優しく見下ろしていた。
「コクーンの君の部屋まで送っていくよ」
優吾自身、兄としては、薫が那一に疑問をぶつけてくれたことが嬉しい。
彼自分では言い出せないことを、彼女は弟に尋ねてくれた。
しかし、那一は止まらないだろう。その選択は彼自身のもので、これ以上はもう干渉できるものでもない。
薫は優吾を見上げた。
もう目から涙は消えていた。
そして、彼女は言う。
「優吾さん、お願いがあります」
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