5章
#5.1 "幼少の記憶:複数形"
2017年。
アスラ・カリリオンは、自室の椅子に腰掛け、目を閉じていた。
彼はシューヴァント家の臣下の中でも信頼が厚く、そのため個室まで与えられていた。小さく質素な部屋だが、生活には十分。臣下として務めるアスラ自身の細やかさもあって、部屋は清潔に保たれている。
今、束の間の休息の中、彼は思い出しているのだ。
幼少期の記憶を。
***
アスラが7歳の時。
彼の家族はシューヴァント家領内の村に住む、小さな農家だった。
一緒に住んでいたのは両親と祖母アスラは一人息子で兄弟はいなかった。
しかし時代は、有力な家が競い合う戦国時代。いわゆる戦乱の世。
その戦禍は不幸にもアスラ達が住んでいた村を襲い、一晩のうちに村は焼き払われた。
両親と祖母は帰らぬ人となった。
他に身寄りはなく、アスラは天涯孤独の身となる。
そんな彼に手を差し伸べたのが、領主であるシューヴァント家であり、アスラを臣下の一人として城へ迎え入れた。
衣食住に困らず、仕事もある。
さらに、幼いアスラは、仕事の間に勉強までさせてもらえた。
子供心に、自分は幸運だということが理解できた。
シューヴァント家には感謝しても、し尽くせない。
だがそれでも、アスラの胸には時折、喪失感が去来した。
両親と祖母を失った。もう、家族はいないのだ。
きっと、そんな時は暗い表情をしていたのだろう。
沈んだ気持ちの時に、決まって話しかけてくれる人がいた。
エリス・シューヴァント。シューヴァント家当主であるバース・シューヴァントの愛娘。
彼女は、ちょうどアスラと同い年だった。
アスラが沈んだ表情で俯いていると、エリスがいつの間にか脇にいて、何かしら楽しそうなものを見せてきた。
それは花だったり、絵本だったり、キラキラした石だった。
今思い返せば、かなり気を配って自分を元気付けようとしてくれていたことが分かる。だが、その当時はただ無邪気に、エリスが持ってきたものに興味を引かれていただけだった。
***
2017年に意識を戻し、アスラは目を開く。
当主の娘と臣下という、越えようのない隔たりがまだ意識されなかった頃。
その記憶を思い出したことで、不思議とアスラは、自分の果たすべきことが明瞭になるのを感じた。
まずは、ヘルマンに相談してみよう。
アスラ・カリリオンは、地球から来訪した友人の元へ赴くため、自室を後にした。
***
時間はオルフェア戦乱の時代2017年から、2117年現在へと移る。
地球
十字市のガーディアンズ本部。
その受付ロビーで、幼馴染みの2人は再会した。
「那一!」
千崎薫は、久馬那一の姿が見えると、すぐにソファーから立ち上がり近寄った。
一方の那一は、この展開に少し虚を衝かれた。
「薫……」
薫は那一の目の前で、真っ直ぐに彼の目を見た。少し、怒っているような空気も混ざっている。
しかし、クレフの鎧を纏って幾度も戦闘を経た那一も、この場面ではただの少年で。
「どうしたの?」
そんな問いが口から出てきただけ。
その問いに、薫の中で溜まっていた感情が一気に沸点に達したらしく、大声で言った。
「どうしたのって………それはこっちの台詞!」
そう言っても、那一はピンと来ていない顔をしている。
その表情を見て、彼女は思い知る。
この幼馴染みは、昔から自分が関わることに対して、あまりにも鈍いのだ。
昔からそうで、時々、何かが欠落しているように思ってしまう。
しかし、だからこそ彼女には、言わなくてはならないことがあった。
「……ニュース観た……那一が、映ってた」
「そうみたいだね」
「『みたい』って………そんな、他人事みたいに……」
ああ、やっぱり鈍い。
「どうして……那一が戦ってるの?」
「どうしてって」
その疑問の答えは、彼にとっては当たり前すぎて、まともに考えたこともなかった。
それは、彼自身が望むことだからだ。
正直に、彼は答える。
「僕が戦うのは、僕がそれを望むからだよ」
何の気負いもない台詞。ごくごく当然のことを、まるで世間話のように述べるその口調。
その回答に対して、薫は言葉は続かない。
幼馴染みがそう言うのはもしかしたら予想できていたかもしれない。
だが、予想していたから理解できるとは限らない。
薫の脳裏に、昔の記憶がよぎった。
それは、二人がまだ幼かった頃の記憶。
そして、痛みを伴う過去。
***
今から8年前、那一と薫が9歳の頃。
当時、小学校で2人はクラスメイトだった。
だからその日、那一が学校を休んだことを、薫はすぐに知った。
しかし、担任はあまりはっきりした理由を言わない。風邪ならば風邪と言うだろうに。
彼女は漠然とした不安を感じながら、その日を過ごした。
夜。
学級の連絡網が回ってきた。
電話をとった母親が、蒼白な顔で連絡を聞いている。
「どうしたの?」
母が電話を切ってから、薫は尋ねた。
母は、一瞬だけ躊躇ってから、それでも掠れた声で教えてくれた。
久馬夫妻が亡くなった。
文字にすればただこれだけの事実。
家が近いことや学校で同じクラスということから、久馬家と千崎家は家族ぐるみの付き合いをしていた。
久馬夫妻は両方ともガーディアンズに所属する軍人で、家を空けていることが多い。そのため、那一とその兄優吾は、千崎家で夕食を食べることが時折あった。
そして、そのお礼にと後日、今度は久馬家に千崎家が招かれて食事をする。
そんなことがよくあった。
だから、久馬夫妻の死は、千崎家の誰もにとって大きなショックだった。
その夜、薫は眠れなかった。
優しい久馬さん家のおじさんとおばさんが亡くなった。
受け入れがたいその事実をどうにか無理矢理呑み込んでみると、しかし、さらに不安を掻き立てる別の事実が見つかる。
両親を失って、これから那一はどうなるのだろうか。
***
そこまでの記憶が瞬時に再生されたところで、薫は追憶を打ち切る。
受付のところに、新たな人物が姿を現していた。
那一と稲森に手を上げて挨拶したその人物は、すぐに薫の方に気づいた。
薫もよく知っている人物、那一の兄、久馬優吾だ。
「おお、久し振り」
「あ、お久し振りです」
本当に久し振りだ。
優吾は両親が亡くなった年度に高校を卒業、そしてそのままガーディアンズに入隊した。ガーディアンズ隊員となってからの優吾にはほとんど会っていない。
彼が家にめったに帰ってこないことは、那一からも聞いている。
優吾はこの状況を見て、それから稲森を手招きして那一と薫から少し離れた位置に呼び、小声で尋ねた。
「どうなってる?」
稲森は肩をすくめた。
「親しい人間の再会、だとは思うが、どうも話が噛み合っていない」
『お前の弟が要因だ』という言葉を、稲森は言わなかった。それは優吾に気を遣ったのではなく、話を聞いた瞬間に溜め息をつく様子からして、優吾自身が既に分かっているからだ。
「しょうがないな………」
それから優吾は薫の方に近づき、言った。
「ああ……薫ちゃん」
「あ、はい」
「この弟がまともに説明するとは思えないから、俺が代わりに説明しよう」
那一と稲森に「あっちに行ってろ」と伝え、それから受付のソファーに向き合って座り、優吾は薫に語り出した。
この数日間で十字市に起きた変化と、それに伴う那一の現在の状況を。
***
オルフェア。
王城敷地内に存在する牢獄。
機械技術の発達したオルフェアにおいては、牢は電子的なセキュリティシステムを駆使した絶対の監獄だ。
並ぶ牢の一つに、王女リエラの侍従であるポート・ダズールが幽閉されていた。
最新鋭のシステムゆえに、旧時代的な拘束具はない。ただ、真っ白な部屋の中に簡素なベッドとトイレ、洗面台。自傷行為を防止するため、壁や家具は可能な限り柔らかな素材で作られている。
そんな部屋の様子に、ポート・ダズールは苦笑する。
彼にとって、そんな心配など、無用というものだ。
彼は、リエラ様の逃亡を助けたことを、全く後悔していないのだから。
もっとも、人々はポートが逃亡を幇助したのではなく、ただ抜かりがあっただけだと思っている。
ポートは思い出す。
過去、幼少の記憶を。
***
シューヴァント家に仕える従者の家系であるダズール家。
ポートもダズール家の後継として、物心ついた時にはシューヴァント家に仕えることを当然のものと考えていた。
まだ幼い頃にリエラがポートに尋ねたことがある。
詳しいことはもう覚えていないが、確かリエラが少し危ないことをして、それをポートが諌めた気がする。
そんな時、彼女は拗ねた口調で言ったのだ。
「……あなたは、家の都合で私に仕えているだけなのでしょう?」
思わずハッとした。
胸を抉るような言葉。
ただ、この言葉は、何かをポートに問いかけている。一つの答えを出すことを求めている。
ポートは少しだけ沈黙し、それから答えた。
「それは違います、リエラ様……私は、自分の意思であなたに仕えているのです」
そう言葉にして、あの時に決めたのだ。
自分は、自らの意思でこの人に仕えるのだと。
***
だから、ポートはリエラの願いを聞き入れ、彼女を地球へと送り出した。
そんな折、牢の外に見張りの兵士がやって来て告げる。
「ポート・ダズール。面会を求める者が来ている」
その声はかなり緊張していた。
面会を求めているのは位が高い者だろうと、ポートは推測した。
その予測は的中していた。
ほどなくして、牢の扉に嵌め込まれた窓越しに姿を見せたのは、オルフェア貴族の中でも最高峰の力を持つ人物。
爵位デューク、ランス・ジルフリド。またの名を『陽公』。
「ポート・ダズール……君と少し話がしたくてここに来た」
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