3章
#3.1 "敗北の余波"
2015年。
ヘルマン・アクターはシューヴァント家の城で専用の部屋を与えられていた。
そのベッドに座りながら、彼は自分の身に起きたことをまた頭の中で整理し始める。
3日前、ヘルマンはオルフェアでなく地球にいた。
日本のとある森林、生い茂る緑の中を探索する。
彼は科学者だった。専門は物理系統だが、科学者の性分とでも言うべきか、必ずしも興味は物理のみには尽きない。
今日は、植物分布を調べるためにこの森に来ていた。そもそも彼が日本に来たのはただの観光であり、山林の散策は気晴らしにもちょうどいい。
「お、珍しいな」
あまり見かけない花があり、ヘルマンは驚く。
まさかこんな場所に咲いているとは。
群生していたので、サンプルとして花を一輪だけ採取しようと、身を屈める。
その時、ヘルマンは本能的に異変を感じ取った。
次の瞬間には、ヘルマンがいる付近、およそ3メートル四方の小さな空間に、光のカーテンのようなものが発生した。
「えっ!?」
驚きながらもその場を離れようとしたが、足を動かす前にもう、光の幕は彼を包み込んでいた。その後は一瞬だけまるで宙に浮くような、自分の存在が不確かになるような感覚に襲われ、次に見た景色はさっきまでいた森林ではなかった。
もう、彼がいる場所は地球ではなかったのだ。
***
ヘルマンが転送されたのはシューヴァント家の領地であり、すぐ近くの町で事情を話すうちに地球からの『来訪者』としてシューヴァント家の城に招かれることが決まり、客人としての滞在生活はとんとん拍子で始まった。
ヘルマンがここまで考えたところで、扉をノックする音が聞こえた。
返事をすると、入ってきたのは1人の青年だった。
あるいは少年と言えるかもしれない。
この3日間でヘルマンも何度か見た、シューヴァント家の臣下だ。
青年は深く一礼して挨拶をした。
「アスラ・カリリオンと申します。旦那様より、アクター様の世話係を仰せつかりました」
ヘルマンはすぐに立ち上がってアスラに近寄る。
ヘルマン自身もちょうど青年期が終わるかというくらいの年齢であり、かなり若々しい風貌をしている。
実際の年齢差よりも、2人の外見上の年齢は近かった。
「よろしく、カリリオンさん」
まるで友人かのように、ヘルマンが手を差し出す。
少し驚いたアスラは、一瞬だけ自分の立場を鑑みて迷い、それでも呈示された好意を受け取ることにした。アスラがヘルマンの手を取り、握手を交わす。
「ええ、よろしくお願いします」
***
2117年、現在。
ゴウロ・チルスがクレフに敗北を喫した日の朝。
明け方に行われた戦いに関する情報は既に、様々な形でオルフェア貴族達の耳に届いていた。
セイム・カリリオンの場合は、その情報をランス・ジルフリド経由で受け取った。
王家との繋がりが深いランスの元に王家からいち早く届けられた情報を、彼はセイムにも知らせたのだった。
「ジルフリド様より緊急の報せが届きました!」
そう言って書斎に入ってきた臣下が、セイムにゴウロ敗北の報を伝えた。
ゴウロは寡黙だが忠に厚く、また己の分をわきまえた姿勢は、セイムの尊敬するところであった。また、いくら同じバロンとはいえ家督を継いだばかりのセイムに対しても、対等の貴族として接してくれた。
『敗北』としか伝えないということは、おそらくゴウロは生存しているのだろう。
だが、任務を果たせずに帰還した彼の無念を思うと苦しい。
だが、そんなことばかり考えてはいられない。
セイムには至急、やらねばならないことがある。
「この情報、どこまで他の貴族に伝わっている?」
「明確なことは分かりませんが……オルフェア貴族全員の最大の関心事である、地球侵略についての情報ですから……」
「……おそらく全貴族が情報網を巡らせており、この敗北の報もすぐに伝わると?」
「はい」
「分かった」
やはり予想通りだ。
この臣下が下がった後に、すぐにセイムは側近のディファ・キルルを呼ぶ。
ディファ・キルルはまだ年若い青年で、セイムより年齢がごくわずかに上なだけである。
だが、セイムが当主となる前から、ディファはセイムの傍に仕え続けていた。
ゆえに、セイムが最も信頼を置く臣下である。
セイムはディファ・キルルが書斎に来ると、すぐに用件を切り出した。
「私はこれより、チルス家領地とブナーガヌ家領地の接する地域まで出向く」
この言葉で、優秀な側近はすぐに理解した。
「……ホロウ・ブナーガヌ様のチルス領侵攻を阻止するためですね?」
「……ああ」
ホロウ・ブナーガヌは、セイムやゴウロらと同じ『バロン』の爵位の貴族である。
好戦的な人物で、以前より何かと理由をつけては、ゴウロが治めるチルス家領地を侵略しようとしていた。
その彼が、ゴウロ敗北の報を聞いて動かないはずはない。
出陣する前、ゴウロ・チルスは、留守中の領地の守護をセイムに依頼していた。
その約束は、果たさねばならない。
それから数十分後、カリリオン家の城から中型飛行機が飛び立つ。
垂直離陸で、チルス領とブナーガヌ領の境界地へと、セイム・カリリオンは旅立っていった。
***
地球。十字市。
明け方に行われたクレフとウォーメイルの戦闘についての情報はまだ公にはされていない。十字市民は皆、避難シェルター『コクーン』の中にいたこともあり、そのような戦闘があったこと自体、気付いていないのだ。
戦闘後、久馬那一は稲森渡が運転する車でガーディアンズ本部に帰還した。
「無事みたいだな」
心配を押し隠して出迎える兄。
「問題ないよ」
朝日の中、弟はあっさりと答える。
優吾は稲森にも声をかけた。
「ありがとな」
「俺は何もしてないぞ」
実際、稲森には特に自分が何かをしたという考えはなかった。
簡単に言えば、少年を戦場まで送り届け、また連れ帰ってきたに過ぎない。単なる『送り迎え』とでも呼べばいいのか。どのみち、あの場では何もできなかったのだが、そんな状況が歯痒い。
那一は短時間の休息を取る。
休息といっても睡眠を取るわけではない。
本部の一室で、単に座って休むという感じだ。
この後、クレフの装着者の再選定があることは、帰還して早々に那一も聞いている。
最初の襲撃の際には、リエラの傍にいた那一が、やむを得ない形でクレフの資格者となった。次の襲撃、つまり先程の対アームウォーメイル戦は、資格者の変更という不確定な作業をする時間が惜しかったことが要因となり、再び那一が変身することになった。
しかし今ならば、次の襲撃までは間があるはずだ。リエラの情報によれば、転送装置『ゲートキー』のエネルギー充填にはある程度時間がかかる。そして、昨日今日と連続で使用された以上、現在はエネルギーは残っていないだろうと予測できる。
緊迫した状況には変わりないとはいえ、この空隙を利用して様々な方面から迎撃策を整えなくてはならない。
クレフの資格者変更もその一つであり、那一とリエラもいる状況でその作業は開始される予定だ。
だがその前に優吾は、少し眠らなくてはならない。彼に限ったことではなく、『未知の惑星からの襲撃』などというとてつもなく大きな案件が発生したことで、多くのガーディアンズ隊員が夜通しで働いていたのだ。
優吾は少し仮眠を取ることを那一に伝えた。
「お疲れさま」
「ああ」
那一は部屋の長椅子に腰かけていた。
隣にはリエラが座っている。彼女は心配そうに、「怪我はないか」といった内容を、様々な表現で何度も尋ねている。
こうも重ね重ね尋ねるのはやはり、巻き込んでしまったという自責の念があるのだろう。那一はそれらの問いかけ全てに、律儀に、かつ淡白な答えを返していた。
そんな様子を見て苦笑をこらえながら、優吾はその部屋を後にする。
……もう数時間でクレフの装着者が交代される。そうなれば、もう那一が戦いに赴くこともない。
そう思うと、少し心が軽くなった。
***
チルス領の、ブナーガヌ領に接する地域には、シェンテ村という村がある。
シェンテ村は小さな村で人口もわずかだが、土壌が比較的肥沃なために農業が行われ、機械を用いて広い農地を耕していた。
ここまで古い方法の農業は、他の土地ではもうあまり見られない。タワーの中に人工農地をいくつも作り、スプリンクラーで水を撒いたり、太陽光の代わりとなるライトを当てたりする、オートメーション化された農業が主流だ。この方法は面積当りの収穫は少ないが、コストが掛からない。
オルフェアは元々、地球ほど土壌が肥沃ではない。普通の土地で旧式の農業を行っても、少ない収穫量では採算が採れないのだ。
シェンテ村の旧式農業は、比較的豊かな土壌あってこそのものであった。
そんなシェンテ村に、飛行機が降りたった。
垂直着陸の際に起きる風で、土埃が舞う。
村人達は険しい顔をした。この飛行機がやって来た方角は、ブナーガヌ家の領地がある方角。飛行機は間違いなくブナーガヌ家の兵士達の物だ。
ブナーガヌ家がチルス家の領地を狙い、度々小競り合いを仕掛けてくるのは皆が知っている。実際にこのシェンテ村も幾度かその舞台となったのだから。
だが、着陸した飛行機から出てきたのがブナーガヌ家当主のホロウ・ブナーガヌであるのを確認したときは、さすがに村人達も驚いた。
ホロウ・ブナーガヌは年齢としては20代後半で、尖ったアゴ髭と細い目が印象的だ。
驚く村人達の前で、ホロウ・ブナーガヌは告げる。
「貴様らの領主ゴウロ・チルスは、地球における戦闘で敗北を喫した!」
村人達がどよめく。信じたくないと言うように、悲痛そうな表情を浮かべる。それだけゴウロの、民からの支持は厚い。
ホロウ・ブナーガヌはそんな様子を見ながら口元を緩め、言葉を続ける。
「ウォーメイルも失い、チルス家の戦力の低下は明らかである……だが!」
ここからが本題だと言わんばかりに声を張り上げる。
「このホロウ・ブナーガヌが、ゴウロ・チルスに代わり、この村を管理し守ろうではないか!」
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