#1.3 "王女逃亡"
オルフェア。
王城の自室では、王女リエラ・シューヴァントが侍従のポート・ダズールから説明を受けていた。
「戦争を止める」、その強い覚悟があると言い切ったリエラに対し、ポートは一つのアイデアがあると言ったのだった。
「このルシエルには、現在準備が進められている『ゲートキー』の他にも、もう一つゲートキーがあります」
「聞いたことがあります。……現在のゲートキーは『完成品』、その前には『プロトタイプ』のゲートキーが造られていたと」
リエラの言葉に、ポートは頷く。
「はい、当然姫様もご存知でしょう…今から約一年前に造られていたゲートキー…それは未だ壊されず、ルシエルの都市を完全に出た場所にあります」
ポートが手元の端末を操作し、壁に映し出される映像を切り替えた。
表示されたのはプロトタイプのゲートキーの情報。簡易な構造図や位置座標などが示されている。
「しかし、このゲートキーは失敗作。ある致命的な欠点が判明し、開発は中止されたのです」
「『帰り』のワームホールが形成されないということですね」
「はい、その通りです。地球への『行き』の通路を作り出すことはできますが、『帰り』の道を作ることができない、片道だけの旅になってしまうということです」
地球からオルフェアに帰ることができなければ、侵略することに意味が無くなってしまう。ゆえにこのゲートキーの開発は中断され、改良されたゲートキーが造られることになったのだ。
そして、前置きは終わり、話は本題へと入り始める。
「それでこの失敗作の『ゲートキー』なんですが……実はまだシステムが生きているんです」
「えっ」
完全に予想外の話だった。てっきり、計画が破棄された時にシステムは停止したものと思っていたのだ。
「……失敗作とはいえ、片道の転送は可能にするわけですから、有事の際の備えとして、改良版が完成するまでは保存しておくことになっていたのでしょうね」
実際、既に改良版ゲートキーは完成している。これでもはや失敗作は用済みなはず。近々、プロトタイプは壊されることになるだろう。
しかし、現時点ではまだ『使える』のだ。
「……では、あなたが考える、『戦争を止める方法』というのは……」
彼女にはポートの考えが読めた。
「……試作品ゲートキーを使い、私が地球に行くということなのですね」
「はい……現状では、私にはそれが最善の……いえ唯一の手段のように思えます」
ポートの目にはわずかに躊躇いが浮かんでいた。
リエラにも分かっている。これは決して『良い』方法などではなく、『唯一』、つまり苦肉の策なのだ。
王女であるリエラが地球へ行くことで、その後に何が起こるか。
それについては様々な予測がある。数パターンを即座に思い描いた後、リエラは自らの考えを確かめるかのように問いかける。
「ポート、あなたは私が地球に行くことで、何が起きると思いますか?」
「いくつものパターンが考えられますが、まずは最良のシナリオから。王女、さらに言えば次期国王の座に最も近い姫様が地球にいるという状況により、オルフェアは迂闊に地球を攻めることができなくなる。その間に和平交渉が進み、戦争を回避、そんなところでしょうか」
彼の答えは、リエラが考えた最良のシナリオと一致していた。
しかし、必ずしもそうなるとは限らない。むしろ、ここまで都合の良い事態にはまずならないだろう。
「次はやや悪いシナリオです。……姫様の身柄を確保するために地球に少数部隊が派遣される。『戦争』と呼ぶべきものにまで発展するかは分かりませんが、小規模の戦闘は起こるでしょう。そして、最悪のケースは……」
ここでポートは言葉を切った。
言いにくそうにしている。リエラがその先を引き継いだ。
「……私の安否に配慮することなく、オルフェアが大規模攻撃を仕掛ける…それにより戦争へ突入、ですか」
「……はい」
残念ながら、この最悪のパターンになる確率は決して低くはない。国王ガイセル・シューヴァントの覚悟も相当なもので、娘リエラが地球にいることを無視してでも侵攻を強行する可能性は十分にある。
それを理解した上で、それでもリエラは強く言った。
「それでも、私が地球へ行くことで、何かが変わるはずです……今のまま、何もできずに2日後の侵攻開始を待っているよりも、きっと良い方向に転がります」
毅然とした態度だった。
「……分かりました。細かい計画を練ります。決行は今夜です」
***
その頃、カリリオン家当主セイム・カリリオンは、自らの城の自室で通信を交わしていた。
壁のモニターには通信相手の顔が映る。相手はセイムと同じ『バロン』の貴族…ゴウロ・チルスだ。たくましい風貌で寡黙なゴウロは、当主になったばかりのセイム相手にも、対等な話し方をする。まだ17歳のセイムに対して、ゴウロは既に30を越しているにも拘わらずだ。決してセイムを見下すような態度ではなかった。
いくつかの細かな事項の話が終わった後、会話を締めくくる形でゴウロが言った。
「では……俺はこれから出陣のために王都ルシエルへ向かう。後のことはセイム殿に任せる」
「はい、こちらはお任せください。ゴウロ様のご武運をお祈りしています」
「感謝する」
通信は切れた。
セイムの治めるカリリオン家の領地と、ゴウロの治めるチルス家の領地は、その一部が隣接している。そこでゴウロ・チルスは、自分が不在となる期間の領地の守護を、セイム・カリリオンに委任したのだった。
ゴウロが自らの領地を留守にする理由は、王家からの出陣要請…すなわち戦争へと駆り出されたのである。
ゴウロは2日後のゲートキー起動によって地球へと向かい、地球侵略の先鋒となることが決まっていた。
通信が切れて静かになった自室で、セイムは椅子に腰掛け、思案する。セイムには、ゴウロ自身がこの戦争をどう考えているのかは分からない。しかし、セイム自身はこの戦争が不可欠なものだとは思えなかった。
確かにオルフェアの資源危機は深刻だ。
資源には、土地の栄養価なども含まれており、今のままでは、いずれ食糧危機にもなり得るということだ。
それでも、なりふり構わず他の惑星の資源を奪おうという段階ではないと思っていた。
和平交渉を行う余裕はある。
ただ同時に彼は、自らの若さゆえに甘い判断をしているのではないかとも疑っていた。まだ、貴族の一人としての自信は持てない。
若き『バロン』は、苦悩と迷いの中にいた。
***
その日の夜。
王都ルシエルの都市部から完全に離れた場所に位置する、王家管理下の巨大な施設。
ここには試作ゲートキーがあり、常に兵士が見張りをしている。
しかし、地球侵略が迫る今の状況において、失敗作のゲートキーの見張りに多くの人員を割く余裕はなく、最低限の警備体制が敷かれているだけだった。
突然、警報が鳴った。
鳴り響いた警報に、まさかこんな事態が起きるわけがないと思っていた警備兵達は動揺する。
「どうしたっ!?」
「き、急に火が!」
敷地内で火災が起きていた。
中心部のゲートキー本体とは離れた位置だ。火の規模は小さいが、大量の煙が昇っている。
兵士が集まり始める。火を消すために、消火剤を持った兵士もいる。
その時、煙の中に何かが光った。
「まずい!!」
誰かが叫んだときにはもう遅かった。
光が閃き、視界を兵士達の視界を封じた。煙の催涙効果も重なり、兵士達はもはやまともに立っていることができない。
今、この現場に集まっている兵士達は半数近く。
だが、同時に似たようなことがもう一ヶ所で起こっており、そこにも半数近くの兵士が集まっていた。
つまり、今この場の警備兵で機能する人間はほとんどいない。
ここまでスムーズに警備が無力化されたのは、警備の薄さが主な理由である。
だが、もう一つ理由があって、それは犯人が警備体制を知り尽くしているからだ。
様子を物陰から眺めながら、この騒動の主犯であるポート・ダズールは思う。
「どうかご無事で……リエラ様」
***
敷地の中心部に位置する建物は、建物自体がゲートキーであった。
外壁には何本ものエネルギー供給ラインが設置されていた。
ゲートキーの建物のドアはスムーズに開いた。
元々、セキュリティロックが掛けられていたのだが、ポートがロックのシステムをダウンさせておいたのだ。
リエラは急いで建物の中に入る。
中は無機質な部屋があるだけだった。
だが、中央にアーチがあり、まるで何かの門のようだった。もっとも、アーチはただそこにあるというだけで、アーチの向こうには部屋の向こう側が見えるだけだ。
部屋の隅にある、複雑な機械の操作盤。操作盤の前に立ったリエラは、操作盤のモニターに触れてみる。
モニターが光り、様々な映像が映し出された。リエラは迷わず、次々と画面を切り替え、必要な操作を続けていく。操作は全て、事前に確認していた。
最後に、モニターの脇のレバーを勢いよく引いた。
その瞬間、部屋全体が輝き出した。
眩い光の中で、部屋の中央のアーチから、「ジジジ……」というような虫の羽音に近い音が響き始めた。
音と並行して、アーチの中に光が集まり始める。光がカーテンのように幕を形成した。
リエラはアーチへと近づいていく。
「この光の向こうに……」
未知の星、地球。
その星へと繋がる扉は今、開かれた。
リエラは駆け出す。
「戦争を、止めなくては」
未知へと飛び込んでいくことを、迷いはしない。
そして、光の幕までの最後の一歩。
次の瞬間、リエラの体は光のカーテンを通り抜けた。
全身が眩い光に包まれ、そしてリエラ・シューヴァントは、オルフェアから地球へと転送された。
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