#1.2 "ある日、ある中佐の昼"
十字市のガーディアンズ本部。
広大な敷地を有し、十字市全体の約5分の1の面積を占めている。
ガーディアンズは西暦2117年現在における日本軍である。
その主たる目的は、ガーディアンズの前身である自衛隊と同じく、日本国の防衛だ。しかし、自衛隊からガーディアンズへの転換がなされた際に、より迅速かつ柔軟に有事に対応するため、軍という形に変更された。
その際の推進派・反対派の対立、法律の整備など、大きな議論が社会全体を巻き込んで繰り広げられ、様々な主義主張に根ざした事件も勃発した。
その混乱も今はもう影を潜めている。
社会の変革期に『非常』とされる事案は、安定と共に『正常』となる。ガーディアンズ発足の件もその例に漏れなかったというわけだ。
ガーディアンズ本部の食堂で、日替り定食のトレイを持った
彼の階級は中佐。26歳にしてこの階級が与えられているのは、彼が高く評価されていることを意味している。
手を合わせて食前の礼をしてから、焼き魚の骨を箸で器用に外し始めた。あらかた外し終わってから白米と一緒に脂の乗った魚を食べる。社会に数多ある様々な組織の食堂の中には、あまりおいしくないと評される食堂も多々あるわけだが、ガーディアンズ本部の食堂はそうではなかった。
黙々と食べる優吾。
食べながら書類に目を通さねばならないほど忙しい時もあるわけだが、今は忙しさが中程度なため、食事中まで無味乾燥な書類を読んだりはしない。
そこへ声がかかった。
「久馬中佐、ご一緒してよろしいでしょうか?」
優吾が目を上げると、彼の見知った顔があった。
「何だ、お前か」
苦笑した。
優吾を見下ろしていたのは彼と同年代の男性。有能とされる優吾をいわゆるエリートとするなら、組織の空気とは少し馴染まないような…異端とでも表現すればいいのか、そういった雰囲気の男だった。
彼の名は
稲森渡は優吾の前に座った。
「何だとは何だ。こっちは上官に敬意を示してだな……」
そう言いながら稲森自身が笑いを隠しきれていない。
「最近の調子はどうだ?」
「それをお前が聞くのか?俺の任務履歴ぐらいいつでも見られる立場だろ」
「いや……」
笑いながら、だがその中に言いにくい本音を、オブラートとしての冗談に包んで、優吾は答える。
「…書類からじゃ『人間』は分からないだろ?」
それを聞いて稲森は苦々しげに言った。優吾の言わんとする本音を、彼は感じ取ったようだ。
「確かにそうかもしれないが、紙の上から人間を判断するのが組織の上層部……つまりはお前の仕事だ」
「ま、そうなんだろうな」
稲森からそう言われても、優吾はその言葉を完全に是とするわけにはいかない。何より、目の前にいる稲森自身が、軍のシステムに冷徹なまでに従うことができなかった男なのだ。
「……なあ、稲森」
「何だ?」
「……あの時、指揮官がもしも俺だったとしても……」
「よせよ……昔のことを何回掘り返す気だ」
昔ではあるが遠くはない記憶。優吾の言葉を遮ることは、自らの記憶に蓋をすることでもあった。微妙な空気を打ち消すためか、稲森は不自然なほどに派手に音を立てて味噌汁をすすった。
「……とにかく、あの任務の指揮官は俺だった、お前じゃない。で、俺が隊員一人の命を優先した結果、任務の目的は果たされず、テロリストにはまんまと逃げられた……つまるところ、それだけの話だ」
『それだけ』で片付けられる問題でもない、優吾はそう思ったが、喉の奥からせり上がりそうな言葉を抑え込む。
「……もう3年前、しかもお前は当事者ってわけでもない。いい加減忘れろよ」
重苦しい空気。しばらくの沈黙の後、優吾は息を大きく吐き出した。
「……そうだな、もうこの話は無しだ。悪かったな」
「……ったく、前にも聞いたぞ。『この話は無し』って台詞」
「ハハ、じゃあ今度こそだ」
そう言いながら、優吾は立ち上がる。
「じゃあ、俺はそろそろ行くよ」
「おお、じゃあな」
手をヒラヒラと軽く振って、食堂から姿を消す優吾を見送った。
それから、稲森は皿に残った米と魚を見下ろしたが、今はもう食欲がなくなっていた。
「はぁ、余計な話しやがって。飯が不味くなったじゃねえか」
***
食堂を出て、優吾は自分に与えられた執務室に戻った。椅子に腰掛け、机の上に置かれた書類に目を通し始めた。食堂に行く前は無かったはずの書類がいくつかある。しかし、これはいつものことで、優吾のサポートをこなす直属の部下が置いておくことがあるのだ。
優吾はそれらに目を通す。
最近は近隣諸国の軍事的な動きがやや活発になっている。同盟国であるアメリカとの連携を強化する話が進められているが、それは同時に近隣への威圧をさらに強めることになり、軍事力強化の流れがエスカレートしていくことになるだろう。
国際的に緊張が高まれば、一触即発で小競り合いが起きる。
そこから、大規模な戦争まで発展するかどうか。
ただ、規模の大小に関わらず、争えば人は死ぬ。それが自国の人間であれ、他国の人間であれ。
「ハァ…」
ため息をついた。
亡き両親の思いを継ぐために、高校卒業と同時にガーディアンズに入った。今は26歳、従属からもう8年目になる。その短くはない年月の間に幾度も感じてきたのは、
何かを守る行為は、何かを傷つけることになるという事実だ。
味方を守るには、敵を倒すしかない。敵を倒さなければ、味方が倒れる。
何度も戦地で指揮をしてきた彼は、命が天秤にかけられているのを思い知りながら、命令を下してきた。
そして無論、自らの命も天秤にかけられている。
ノックの音で、思念から引き戻された。
「どうぞ」
返事をすると、ドアが開いて部下が入ってきた。
部下の名前は
階級は中尉。まだ若い女性隊員だが、事務的な処理も含めた総合的な能力の高さと、その能力を生かすための実直かつ冷静な性格が高く評価され、久馬優吾中佐の片腕としてサポートをしている。
「中佐、留守中にいくつか書類を置きました」
「ああ分かってる、いつも助かってるよ」
「いえ、中佐のサポートが仕事ですから」
生真面目に返事をする、これが彼女の口癖だ。だが、『仕事だから』という淡白な口癖とは裏腹に、彼女は優吾の様子をかなり正確に観察している。
「お疲れですか?」
「……ん、ああ、まぁ、いつもの通りだ」
実際、彼はしばしば物思いに囚われるわけで、そう珍しいことではない。
「そうですか……では、失礼します」
そう言って、彼女は退出していった。
桐原中尉は優秀であり、彼女のおかげで優吾はかなり助かっている。例えば、数日前に優吾が一度自宅に帰れたのも、彼女が雑務を肩代わりしてくれたからだ。
おかげで、弟の那一と久々に夕食を共にすることが出来た。
まあ、弟は相変わらず素っ気ないのだが。
優秀な部下に感謝しつつ、優吾は気持ちを切り替え、目の前の書類に向かい始めた。
ガーディアンズの隊員も知らない、地球に迫る嵐。
そして、その嵐の中で、『ガーディアンズ』……『守護者』達は足掻くことになる。
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