1章

#1.1 "嵐の前に"

 オルフェアの首都ルシエル。その中心にそびえる王城では、ここ数日慌ただしい動きが続いている。

 異次元の宇宙に浮かぶ惑星『地球』への侵攻作戦が着々と準備されていた。二つの惑星は異なる次元の宇宙に存在するが、それぞれの宇宙における惑星の座標は同一である。つまり、地球とオルフェアはいわゆる並行世界、パラレルワールドの関係にある。そのため、二つの宇宙間に次元を超越するトンネルを開通させることで、地球とオルフェアは行き来が可能になる。

 古来より、しばしば自然発生的な時空の乱れが起こり、一時的に開いた時空の穴に巻き込まれた地球人がオルフェアへ、あるいはオルフェア人が地球へと辿り着くことがあった。これがオルフェアで知られている地球からの『来訪者』の正体である。


 そして、長年オルフェアで続けられてきた時空の穴『ワームホール』の研究が実を結び、原理が大部分解明された。

 それに伴い、解明された原理を応用することで、人工的にワームホールを作り出す技術が発明されたのだ。この人工ワームホール生成装置は『ゲートキー』と呼ばれ、これによって、オルフェアは自由意思で地球と行き来することが可能になった。


 現在、首都ルシエルに設置されたゲートキーは一台。

 都市中心部の外れに建設されたドーム状の巨大な建築物そのものがワームホール生成装置となっている。さらに周囲に管理棟などの関連施設が必要なため、広大な敷地が使用されている。

 施設の中では、王家の兵士や技術者達が慌ただしく動き回り、ゲートキーのプログラムやエネルギー供給システムの点検が行われていた。


***


 その頃、王城の私室で、王女リエラ・シューヴァントが憂いに満ちた表情を浮かべ、壁に映し出された映像を見つめていた。

 映像は壁をスクリーン代わりにして直接映し出されているもので、その機械を操作しているのは侍従の青年ポート・ダズールである。

 王城から離れたゲートキー関連施設での作業状況の進行状況が映されていた。

「着々と、準備が整えられているのですね……」

 何の準備かと言えばもちろんゲートキーの準備、すなわち戦争の準備である。

「はい、現在全ての作業が順調に進んでいるようです。このままのペースで作業が進んでいけば、二日後には地球侵攻の第一陣が出撃することになるでしょう」

「二日、ですか」

 あまりにも短いタイムリミット。

 そもそも、リエラには戦争を事前に止める手立てがない。

 父ガイセルの説得は既に望めない。もう何度も説得しようとしたにも拘わらず、王の決意は固く、翻されることはなかった。

 そんな中で、母である王妃ネーナ・シューヴァントは、リエラを不安そうに見つめていた。母の視線には同情が込められていた。

 彼女なら説得することはできたのかもしれない。しかし、仮にネーナを説得したとしても状況が変わるとは思えなかった。王妃ですら、王の決定を覆すことはできない。

 そして弟の王子ガロンは、何日か熟考した末に、リエラとは異なる答えを導き出していた。彼は王の地球侵攻計画に理解を示したのだ。戦争を起こしてでも、新たな資源を得なければオルフェアに未来はない、彼はそう考えたのだった。

 王家の臣下達も、大多数は侵攻に賛成した。もっとも、王の決定に逆らう力が無いためかもしれないのだが。

 つまり現状、戦争に頑なに反対するリエラは、ほとんど孤立無援の状態であると言っていい。


 強張った表情で壁の映像を見つめ続けるリエラに、侍従のポートが尋ねた。

「……リエラ様は、なんとしても戦争を止めたいと?」

 リエラは顔をポートに向け、その質問に微かに驚くような表情を浮かべた後、きっぱりと答えた。

「ええ、当然です」

「そうですか……では質問を変えます。なんとしても止める、その言葉に、命も懸ける覚悟がおありですか?」

 ポートの眼鏡の奥の目は、真っ直ぐに王女に問いかけていた。

 その視線を真正面から受け止め、リエラは力強く言い切った。

「ええ、私にはその覚悟があります」


***


 オルフェアとは別次元の宇宙。

 その中でオルフェアと同座標に浮かぶ惑星、地球。

 もちろん同座標にある『パラレルワールド』だからと言って、全てが同じとは限らない。例えば地球の地表面積はオルフェアの約四倍だ。


 そんな地球に数多存在する国家のうちの一国、日本。

 2122年現在、国の人口は最大時期を過ぎ、下降を続けている。

 だが、世界でも有数の豊かな国であり、国民の生活水準は高い。

 

 首都東京にある十字市。都心部からわずかに離れているが、かつての東京23区であった場所の一部分に位置する市である。

 何よりもこの十字市を特徴づけるのは、『ガーディアンズ』本部の存在だ。

市の総面積の約五分の一はガーディアンズ本部の敷地であり、そのため十字市民の中にもガーディアンズ隊員やその家族は多い。


 十字市内の高校の一つ、十字第一高校。

 今は午前の授業時間。学校中の教室で、生徒達は勉学に勤しんでいる。

 もちろんそれは建前であり、実際にはすやすやと眠っている者や携帯電話を熱心に操作している者もいるのだが、久馬那一は勉強に集中している方の人間だった。

 少なくともそう分類するしかなかった。だが、彼の様子を『熱心』とか『懸命』などという言葉で表現するのは適切ではない。彼はもっと淡々としていて、どこか周囲から外れた空気の中に彼は生きていた。


 午前の授業が終わり、昼休みになった。昼食を食べる時間でもあり、生徒達にとっては最も気が休まる時間だ。

 売店へ昼食を買いに出かける生徒達で廊下が賑わう。賑わいの中、那一はマイペースに廊下を通り、階段を上った。片手には袋を持っており、その中には弁当箱が入っていた。


 那一は校舎の屋上に出た。

 この十字市に立ち並ぶビルが風の流れを作り出しており、風の道の一本がこの屋上を通るため、ほとんどいつも屋上には風が吹き付けている。

 那一は隅の段差に腰かけ、弁当を広げた。風が通るこの場所で弁当を食べるのが、彼の日課だった。


 弁当は那一自身が作っている。自宅には現在、実態として那一しか住んでいないからだ。彼には9つ年上の兄以外は身寄りはいない。兄はガーディアンズに所属しており、若くしてそれなりの地位にいる兄は忙しく、自宅にはなかなか帰ってこない。


 風音に混じって、誰かが階段を上ってくる足音が聞こえる。

 扉が開いて、一人の少女が屋上に入ってきた。

 那一を見つけて笑う。

「あ、やっぱりここにいたんだ」

 彼女は千崎薫。那一の幼馴染みだ。

 薫は那一の方へと歩いてきた。

「隣、いい?」

 那一は無言で頷き、薫はその隣に腰かけた。

「那一ってさ、いっつもここで食べてるよね」

 そう言いながら、薫も自分の弁当を取り出して食べ始めた。

「そういう薫も、けっこうな頻度でここに来てるよね」

「アハハ、那一の半分も来てないって」

 二人は小学校からの知り合いで、いわゆる幼馴染だ。家が比較的近かったこともあって親しくしていた。

「そういえばさ、最近お兄さんはどんな感じなの?」

 時折彼が話す話などから、薫は彼の家庭事情のことも大体知っていた。

「ついこの間帰ってきた。一晩でまた出ていって、それっきりずっと本部にいるみたいだけど」

「へえ、やっぱりすごく忙しいんだ。ええと、中佐だっけ?」

 那一がこくりと頷く。

 その後もとりとめのない話を続ける。口数は那一の方が圧倒的に少ない上に、彼はいつも無表情に近い顔つきをしていた。しかし、薫を迷惑がっているわけではない。薫自身もそれを理解しているから、那一と普通に付き合ってこれたのだ。


 突然、また屋上のドアが開いた。

 今度入ってきたのは、見るからに活発そうな少年だった。

 彼は木島竜平。那一のクラスメート、生粋のサッカー少年だ。

「おお、那一……って、生徒会長さんまでこんなところに」

 生徒会長というのは薫のことだ。

 竜平は那一に用件を切り出した。

「なあ、明日提出の数学のプリント、一個分かんない問題あるんだけど、後で教えてくんない?」

 竜平がこんな風に勉強関係の頼み事をするのはよくある光景。

「分かった。じゃあ、昼休みが終わるちょっと前に教室に戻るから」

「おお!サンキューな」

 竜平は嬉しそうにそう言って、屋上から出ていこうとする。

 扉を開けて一度校舎の中に消えてから、思い出したようにもう一度戻ってきて、那一と薫に尋ねた。

「……そういや、お前らって付き合ってるの?」

 特に他意があるわけでもなく、単なる疑問として尋ねたのだった。

 だが、薫はそれを聞いた途端、顔を紅潮させ、怒ったような口調で言った。

「そんなわけないでしょ!ただの幼馴染みだって!」

 見てる竜平としてはこの反応も十分に面白いのだが、さらに面白いのは那一の反応。彼はいささかも表情を変えることなく、あっさりと言うのだ。

「うん、ただの幼馴染み」

 彼特有の淡白な口調のせいで、『ただの』の部分が強調されているように聞こえる。

 竜平は面白そうに笑い、薫はなぜか竜平ではなく那一に対して苛立ちの視線を向けた。


 ここにあったのは、穏やかな日々。

 しかし、これは嵐の前の静けさであって、もうすぐ崩れ去る。

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