インボイス制度のあおりで失業危機のラノベ作家、作家専門事務所の設立で一発逆転!

四葦二鳥

第1話

「善秀先生、残念ながらこのままでは、契約更新が不可能になります」


 担当編集から、そんなことを言われた。

 俺、橘正通(まさみち)(ペンネーム:善秀才宅)は出版大手『MARUKAWA』でライトノベルを執筆している作家だ。

 20歳の学生時代からデビューしてすでに5年。いくつかの作品がマンガ化され、現在書いている作品はアニメ化最有力候補とまで言われている。

 自分で言うのも何だが、売れっ子作家である事は間違いない。


 そんな自分がなぜ、契約更新が出来なくなる危機になっているかというと。


「あのですねぇ、個人でインボイスを発行出来るわけないでしょ」


 これから新しく始まる税制『インボイス制度』の影響だった。


「先生のおっしゃることも理解できますが、我々も仕入れ税額控除が丸々なくなってしまうと痛いんです。ご理解ください」


「ですけど、いくら私が売れっ子作家と言っても会社組織を立ち上げるだけの資金なんて持ってませんよ。インボイスを発行できるのは、個人会社やアトリエを立ち上げられた一部の大御所作家やマンガ家だけです。そんな方としか契約しなかったら、出版業そのものが消滅しますよ!」


「……確かに、その通りです。それにいつ作品がアニメ化されてもおかしくないとされている善秀先生が国に振り回される形で我が社との関係が切れてしまうなんて、会社の損失に他なりません。

 ですので、なんとか私どもの方で先生が執筆を続けられないか方法を模索してみます。先生もなんとか、考えていただけませんか?」


 結局、この日は『お互いになんとかインボイス制度に適合できないか知恵を絞る』という方針が決められただけで、根本的な解決にはならなかった。




 家に帰りながら、俺はこの問題を解決するため思考を巡らせていた。

 まず、インボイス制度について改めて整理してみよう。


 インボイス制度とは、消費税を計算・申告する時に『適格請求書』を使う制度のこと。この適格請求書の事を『インボイス』とも言うので、『インボイス制度』と言う。

 インボイスは商品の売り手が買い手に対して、商品と一緒に発行する。買い手はインボイスを元に税金の控除を申請し、売り手は発行したインボイスを元に消費税を申告する。


 このように、これからの会計処理において重要な位置を占めるインボイスだが、実は全ての事業者がインボイスを発行できるわけではない。

 実は日本では、一定規模以下の事業者は消費税を納める必要が無い事になっていて、そういった消費税を納める義務がない事業者を『免税事業者』、逆に消費税を納める義務がある事業者を『課税事業者』という。

 そして免税事業者は、インボイスを発行できない。インボイスは消費税に関する書類だから、消費税を納める必要が無い事業者は関与できないのだ。


 ここで、俺とMARUKAWAの関係を見てみよう。

 俺はフリーだし、個人事務所や著作権管理会社を設立してもいないが、ある意味小説の原稿や著作権を売る『売り手の事業者』と言える。逆にMARUKAWAは、俺の商品を買う『買い手の事業者』だ。

 仮に俺の全財産を事業者としての資本金だと見なしても、課税事業者の要件を満たすことは出来ない。つまり、MARUKAWAに対してインボイスを発行できない。

 だが、MARUKAWAはインボイスの発行を求めてきている。それはなぜか?


 答えは、『仕入れ税額控除の申請にインボイスが必要』だからだ。


 『仕入れ税額控除』とは、例えばパン屋さんがパンを売って100万円の消費税を納める必要があるとする。

 このうち、原材料として小麦粉を仕入れたときに消費税を20万円払っていたとすると、このパン屋さんが実際に納める消費税は80万円だけでいい事になる。

 これが、仕入れ税額控除だ。


 そして、インボイス制度が開始されると、仕入れ税額控除にインボイスが必要になる。MARUKAWAを始め出版各社は、作家から原稿を買うときに支払う原稿料や印税を仕入れ扱いにして、仕入れ税額控除の適用を受けたいのだ。


 俺もその要望に応えたいが、何分インボイスを発行できるほど財力があるわけではないし、仮に無理してインボイスを発行できるようになったとしても、支払う消費税分収入が落ちるわけで、生活が苦しくなってしまう。

 さらに、インボイスを発行するための手続きを税務署で行う必要があるし、原稿料や印税を受け取る度にインボイスを作成しなければならなくなったりと、とにかく時間を取られる。

 創作環境は確実に悪化するだろう。


 結局、何の解決策も見いだせないまま家に着いてしまった。

 そのまま惰性でテレビを付けた。写ったのはバラエティ番組だった。


『本日のゲストは、話題のユーチューバー『魚屋のおっちゃん』さんでーす!』


『はいっ、どうもー。魚屋のおっちゃんです! 今日はよろしくお願いします!』


 魚屋のおっちゃん。俺もチャンネル登録するくらい面白いユーチューバーだ。

 普段は魚市場に入居している魚の卸業者で働いていて、長年の勤務経験で培った知識で魚介類を紹介、そして捌いて料理するという大人気料理系ユーチューバーだ。


『今日は、告知があるんですよね?』


『オッス。実は自分が所属している事務所『カレーソフト』のイベントがありまして――』


 この瞬間、俺はひらめいてしまった。

 そもそも、俺みたいな作家やマンガ家みたいに、ユーチューバーや芸能人も(契約形態によるが)基本的に自営業だ。なのに、なぜかユーチューバーも芸能人もインボイス制度の影響を受けるという話を聞いたことが無い。

 この違いは何だ、と聞かれると、やはり事務所の有無だろう。


 芸能人は芸能事務所を通じて仕事をするから、税金に関することは芸能事務所がやってくれる。

 ユーチューバーの場合、莫大な収益を稼いでいればユーチューバー事務所に所属し、収益の一部を支払う代わりに面倒な税金の手続きを一手に引き受けてくれる。

 つまり、税金関連において事務所の存在は非常に大きいのだ。


「作家やマンガ家専門の事務所は聞いたことが無い。これが現状を打破するカギなのかも……」


 そう思い立った俺は、ある人物へ連絡をした。




 後日、喫茶店で俺はある女性と会っていた。


「今日は来ていただいてありがとうございます、かやびじん先生」


「いえ。大切なお話に私を誘っていただいて、本当に光栄です、善秀先生」


 この女性は、イラストレーターの『かやびじん』先生。本名は山崎龍(たつ)芽(め)さんと言う。

 俺がラノベ作家デビューしてから一貫して担当イラストレーターを務めてくれた、俺にとって決して欠かすことが出来ない仕事仲間だ。


「ところで、やはりかやびじん先生が通ってらっしゃる美大でもインボイス制度のあおりは……」


「はい、かなり影響を受けています。才能があるのにインボイスを発行できる力が無いために、芸術家の道を諦めて就職を選択する人が増えていて……。

 かくいう私も、イラストレーターも芸術家も辞めて、デザイナーとして就職を考えているんです。もう4年生なので……」


「そんな、もったいない……」


 実はかやびじん先生、現役美大生であり、西洋絵画を描く画家としての顔も持っていて、画家としても国際的に高く評価されているらしい。

 美大や音大といった芸術系の大学は、学生時代から活動をしている人もいるらしく、購買では名刺作成サービスも受け付けているとか。

 そんなかやびじん先生すら芸術家の道を諦めてしまうとは、インボイス制度の力はすさまじい物がある。


「ですから、善秀先生の考案された作家・マンガ家専門の事務所に希望を持っているんです。そこに芸術家を加えていただければ助かりますが……」


「もちろん、芸術家も含めます。ただ、アイディアはあっても設立方法がわからない。なんとか設立にこぎ着けたとしても、運営方法がわからない。

 ですから、そういう実務面や経営面に詳しい方をご存じないかなと。あるいは、そういった方に顔が利く方を紹介してもらえたら……」


「……一人だけ、心当たりがあります。高校時代の後輩なんですけど、結構顔が広いんですよ。もしかしたら、善秀先生が求められている方と知り合いかもしれません」


 そう言うと、かやびじん先生はスマホを取り出し、誰かと連絡を取った。




 数日後、同じ喫茶店で俺とかやびじん先生が会っていた。

 さらにもう一人、小柄な女性がいたが。


「紹介します。高校時代の美術部の後輩の喜多川千代(ちよ)ちゃんです。『金平キッズ』のペンネームの方がご存じでしょうか?」


「ああ、あの!」


 『金平キッズ』と言えば、俺もよく知っている。

 高校生で少女マンガ家デビュー。その後も順調にマンガ家としてキャリアを進めていくが、それと同時に作品ジャンルの幅が広がっていった事で有名な人だ。

 最初は少女マンガを書いていたが、その後少年マンガ、青年マンガ、婦人マンガ、さらに小学生以下対象の子供向けマンガまで手を広げており、これからもドンドン色々なジャンルにチャレンジしていくことを明言している。


 そんな気鋭のマンガ家の先生が、俺をジロジロ見るなり一言。


「ふーん。こんな冴えなさそうな男が、先輩とずっと仕事をしていたと……」


「千代ちゃん。初対面の人にそんなこと言ったら失礼でしょ?」


「いえ、あまり気にしていませんから、かやびじん先生」


 ちょっと精神的ダメージを負ってしまったけど、とりあえず聞かなかったことにする。ここでケンカすると、後々に響くだろうし。


「ところで金平先生。やはり、マンガ家の方もインボイス制度の影響は……」


「めちゃくちゃあるわね。あたしもそのせいで契約切られそうになってるし、知り合いのマンガ家も似たような状況よ。

 ただ、こんなことしてたらマンガ界は終わるわね。インボイスを発行できるマンガ家なんて、アトリエや個人会社を立ち上げている大御所か、そういうのを立ち上げられる財力を元々持っている人か。

 だから、あんたの作家・マンガ家・芸術家版の芸能事務所の構想には、ちょっと期待してるのよ」


 マンガ界の窮状はある程度知っているつもりだったけど、こうして当事者の口から直接聞くと緊迫感がある。

 そして金平先生、なんだかんだで俺の構想に希望を持っているようだ。


「だから、あんたに協力してあげる。知り合いに人気ユーチューバーがいるから、その人にたのんでユーチューバー事務所の社長と会えるように話を付けるわ。

 その代わり、あんたの構想、絶対に実現しなさいよね」


「はい。それはもちろん」




 数週間後、俺はある会社の会議室に招かれていた。


「初めまして。作家の橘と申します。善秀才宅のペンネームで活動しております」


「ご活躍はかねがね。自分、『カレーソフト』の代表取締役社長、高村と申します」


 そう。ここはユーチューバー事務所『カレーソフト』の本社ビル。俺が作家・マンガ家・芸術化専門の事務所を設立するアイディアをひらめいたきっかけとなった『魚屋のおっちゃん』の所属事務所だ。


 なんとこの度、カレーソフトの社長と会えることになったのだ!


「金平先生から高村社長に会えると聞いたときは驚きました。今回のアイディアを思いついたきっかけは、『魚屋のおっちゃん』さんが出演したバラエティ番組がきっかけだったもので」


「そうだったんですか。彼は弊社所属ユーチューバーの中でも特に人気でしてね。何か縁を感じますね。……さて」


 すると、高村社長の雰囲気が変わった。ビジネスマンとしての『凄み』というものを全面に押し出してきているようだ。


「仮に、あなたの言う事務所が設立したとしましょう。すると、あなたには大きな責任を負うことになる。特に、所属する作家・マンガ家・芸術家のために責任を全うしなければなりません。そのお覚悟はありますか?」


 なるほど。事務所を立ち上げるとなれば、所属者やスタッフを路頭に迷わせないよう務めなければならない。

 生半可な覚悟では務まらないだろう。だが、もう答えは決まっている。


「正直に言うと、我々にとってインボイス制度はない方がいい。反対しているクリエイターや政治家の方はいますし、各業界でも反対声明を出しています。ですが、一度決まったことを覆すのはなかなか難しいでしょう。

 なら、もう我々にはこの方法しか無い! 生存を懸けた戦いと言っていいでしょう! ならば、生き残るためには何だってやる覚悟です!!」


「……なるほど。あなたの覚悟はよくわかりました」


 高村社長はお茶を一口飲むと、こう続けた。


「自分も、あなたの計画に賛同しましょう。助力を惜しみません」


「……ありがとうございます!!」


 やった、認めてもらえた!! これで事務所設立に一気に近づいた!!


「ではまず、どのような事務所にしたいか検討しましょう。なにか希望はありますか?」


「はい。高村社長は『声優生活協同組合』をご存じですか?」


「ええ。大手声優事務所として有名ですね。運営システムが独特である事も有名ですが」


 『声優生活協同組合』は、所属声優が事務所に出資しており、その出資金で運営されている。名前の通り『生活協同組合』と似た運営方式なのだ。


「声優生活協同組合と同じように、所属創作者から出資してもらおうと考えています。なぜなら、事務所の方針で表現の自由に制限がかかってしまう危険性があるからです」


「確かに。アダルト系など禁止にされそうですしね。ですが、アダルト作品は創作者を育てる上で重要なコンテンツ。これを制限してしまうと、業界が大きくならなくなる」


 往年のスーパーロボットアニメの原作者は元々強めのお色気マンガを描いていたし、ダークファンタジーな魔法少女物のアニメの脚本家だってアダルトゲームの脚本を書いていた。

 とにかくアダルトは、クリエイターの育成に重要なのだ。それを高村社長は十分理解していた。


「わかりました。生活協同組合方式で調整しましょう」


「ありがとうございます」


 こうして、作家・マンガ家・芸術化専門事務所の設立プロジェクトが始まった。




 それから10ヶ月後。


『ではこれより、『創作者生活協同組合』の設立発表会を開催致します』


 俺の構想が形になった作家・マンガ家・芸術化専門事務所『創作者生活協同組合』が設立された。略称は『創協』。

 今日は創協設立の記念すべき第一日目で、設立を周知する発表会が開催された。


 会場となるホテルの大広間には、俺、かやびじん先生、金平先生、そして高村社長という設立の中心メンバーが主催として出席。

 ゲストとして出版社、広告代理店の関係者やペンクラブ、マンガ家協会といった団体関係者、マスコミ、さらにカレーソフト所属ユーチューバーが何人か来場している。


 設立の理念、事務所の運営方式、事務所に所属する創作者への支援といった基本的な部分を発表すると、次に質疑応答へと移る。

 その中で、かなり鋭い質問が飛んだ。


「確かに、インボイス制度への対策として事務所設立は有効な手段だと思います。ですが、消費税を支払う義務が生じることと事務所が仲介することの2つの要因により、創作者の収入が減少してしまうのでは無いでしょうか?」


「確かに、おっしゃる通りです。ですが、『創協』という事業所を設立したことで、今までオファーを受ける事が多かった創作者の方々へ『営業』という武器を提供することが可能となります。こちらから『積極的に』アプローチを仕掛けることが可能になるわけですね。

 今後の事務所の展開次第では、独自にプロジェクトを立ち上げることも不可能ではないかもしれません。どこまで成功するかはわかりませんが、所属者の不利益にならないよう努力するつもりです」


 ……いや、『つもり』じゃないな。努力し『続けなければならない』だ。

 確かに、俺たちは失業の危機を免れたし、かやびじん先生は画家の道を閉ざさずにすんだ。でも本当にこの創協が、これから創作者の福音になるかは、俺たち創協の努力にかかっている。

 俺たちは、走り続けなければならない。そう胸に刻みながら、設立発表会のプログラムをこなしていった。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

インボイス制度のあおりで失業危機のラノベ作家、作家専門事務所の設立で一発逆転! 四葦二鳥 @keisuke1011

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ