第9話 試練の開始
王宮の前庭に着陸しようとするアーウィンの背から2階のバルコニーに飛び降りたヴォルフは、そこで待っていた両親とメーアメーア、ザフィアという面子を見て嫌な予感を覚えた。
「どうしたんです、こんなところで雁首揃えて。あと、姫さまは?」
アウゲに会うためだけに帰ってきたようなものなのに、肝心のアウゲはここに顔を見せてくれていない。
「そのことでございますが……」
ザフィアが申し訳なさそうに何かを言いかけるのを、ローザが制した。
「ヴォルフ、『試練』の時が始まったの」
「どういうことです。姫さまはどこにいるんですか。無事なんでしょうね」
ヴォルフは滅多に見せることのない、鋭い調子でローザに詰め寄る。
「無事でいる、はずよ」
「『はず』とは?」
ヴォルフは声を低くする。
「……攫われたの。冥府の王に。この城から」
「は!?」
ヴォルフの目つきが一層鋭くなる。
「母上がいながら?」
「ええ。本当に面目ないわ」
ザフィアが一歩進み出る。
「ヴォルフさま、その時その場にいたのはわたくしなのです。同じ部屋にいながら……」
「いいえ、この城を統べているのは私よ。冥府の王の侵入を許してしまったのは私の力が及ばなかったからだわ」
「全くそのとおりですよ。でも、そもそもこんなやり方、許されるんですか」
「許されないわ。本来はね」
「ですよね。じゃあなんで」
「……アウゲが受諾したそうよ。それで、瑕疵は回復されて、『試練』が正式に成立してしまったの」
「脅されたんでしょうか。許せない」
ヴォルフは怒りを込めて拳を打ち合わせる。
「……冥府の王の腰巾着が、こんな無体なやり方はあまりに可哀想だから一度魔界の嗣子のところに帰った方がいい、って言ってくれたみたいなのよねぇ」
「……」ヴォルフは天を仰いだ。「一番言っちゃいけないこと言ってくれましたね」
「……でしょう? だからまあ、そういうわけなのよ」
「……仕方ないですねぇ」
ヴォルフは力なく、天を仰いだままため息混じりに言った。
「ま、わかりました」
ヴォルフは軽く言って肩をすくめた。
「試練の場は魔王の墓よ」
「行くんか、ヴォルフ? 手伝うで」
会話を聞いていたアーウィンが言う。
「助かる。出発だ」
「待ちなさい、ヴォルフ」
ローザに呼び止められて、バルコニーの柵を飛び越えようとしていたヴォルフは振り返った。
「さすがに少し休んでいきなさい。アーウィン王子も」
「でも姫さまが……」
「落ち着きなさい、ヴォルフ」
口を開いたのはヴァイストだった。
「アウゲは無事だよ。絶対に」
「どうしてそう言い切れるんです」
「なぜならね、冥府の王は、アウゲを自身の花嫁にするために連れ去ったからだよ。そのためにも殺してしまっては意味がない。そして冥府の王は、魔界の王に打ち勝って初めてその伴侶を手にすることができる。冥府の王は、今は指定の場所にきみが現れるのを待つしかない。だから、アウゲは必ず無事だ」
「それなら、なおさら急がないと」
「だから待ちなさい。疲れと焦りは判断を誤らせる。それに、アウゲは、そんなに弱い女性ではないだろう。きみが一番よく知っているのではないかな」
その言葉を聞いて、ヴォルフの顔から切迫感がするりと抜け落ちた。
「はは……、そうだ」ヴォルフは顔の半分を手で覆って、肩を震わせて笑う。「そうでした。ほとんど初めて見る冥府の者に、『いいえ、平気よ』って言っちゃうのがおれの姫さまでした」
「そうだろう? のんびりしている余裕はないにせよ、ひと息入れるべきだ」
しかし、ヴォルフは父の言葉に首を振った。
「でも、やっぱりすぐに行きます。のんびり休むのは姫さまを取り戻した後でじゅうぶんです」
「そうかい?」
ヴァイストは心配そうだったが、それ以上引き止めようとはしなかった。
「アーウィン王子も、戻ったら人族の国名物の温泉に浸かってちょうだいねぇ」
ローザが言う。
「オレにまで気ぃ
「当然よぅ。こちらこそありがとうだわぁ。ごめんなさいねぇ」
「いえいえ、これくらい大丈夫っすわ。オレらは3、4日やったら不眠不休で飛び続けられるんで」
「そうだ、母上」ヴォルフが思い出したように言う。「姫さまの力が判明しましたよ」
「本当? 何だったのかしらぁ?」
「『加護』です」
「まあ……」
ローザは目を見開く。
「冥府の王が攫っていくはずだわ。だって、加護の持ち主はとても希少だし、力は絶大だもの。あなた、強くなったはずよねぇ。でも注意なさい。冥府の王と魔王は対の存在よ。あなたが強ければ強いほど、冥府の王も力を持つわ。それが世界の均衡なのだもの」
「わかってます」
ヴォルフは笑って答えた。
「必ず戻るのよ、ヴォルフ。冥府の卑怯者をボコボコにしていらっしゃい。相手に二度とその気を起こさせないように、徹底的に叩きのめすの。いいわね?」
ローザは妖艶に笑った。
「承知しました」
「負けは許されないわよぅ?」
「当然です。そんなの、姫さまが許してくれるはずがない。負けを認めるまでは負けてない、というのが姫さまの持論ですからね。あと、戦うからには勝たなければ、と」
ヴォルフは笑って答えた。
身体の隅々まで力が充実しているのを感じる。正直なところ、疲れなど全くなかった。アウゲはきっと待っている。平気なふりをして。
ヴォルフは一秒でも早くアウゲを救い出したかった。再びの孤独から。
ヴォルフはさっとマントを翻してもう一度アーウィンの背に乗る。
「もうひとっ飛び、頼むよ」
「おう、まかしとき。ほな、行ってきますぅ」
「2人とも気をつけるんだよ……!」
ヴァイストが気遣わしげに言う。
「行ってまいります!」
ヴォルフは片手を上げ、そしてもう振り返らなかった。上昇気流が生じ、2人の姿はあっという間に遠ざかった。
「ところで陛下」
2人の姿が見えなくなったところで、それまで黙っていたメーアメーアが口を開いた。
「あの気の毒な冥府の宰相を八つ裂きにしたりなど、していらっしゃらないでしょうね?」
「いやだわぁ、何を言うの」
ローザは美しい顔を顰める。
「左様でございましたか。これは失礼を」
メーアメーアは眼球をぺろりと舐めた。
「八つ裂きだなんて、私が野蛮みたいじゃないのぉ。2つにしかしていないわよぅ。ねえ、ザフィア?」
「おっしゃるとおりでございます」
ザフィアは目を伏せて答える。
「……あの者とわたくしは、何か、あい通ずるものがある気がいたしますよ」
メーアメーアは反対側の眼球を舐める。
「あなたも2つになりたいのぉ? 確かに、身体が二つあれば便利だけれど、やめておいた方がいいと思うわぁ」
「ええ。遠慮申し上げます、もちろん。身体が二つあったら、今の倍ではなく、二乗の4倍働く羽目になりそうですので」
「1人は仕事、1人は旅行じゃないのかい?」
ヴァイストが言う。
「いつから魔界はそんな真っ当な労働環境になったのでしょうか。存じませんでした」
メーアメーアに反論されて、ヴァイストは口を開けて笑った。
和やかな雰囲気ではあったが、この場にいる誰しも皆、心のうちでは感じていた。アウゲが戻らなければ、ヴォルフもまた戻らないであろう、と――。
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