第5話:主人に裏切られたヘルハウンド
『グウウウウ!』
ヘルハウンドは私たちを見ると、すぐに立ち上がった。
唸り声を上げ、炎のオーラをまとって威嚇してくる。
だけど、次の瞬間にはバランスを崩して倒れてしまった。
「この子は右足を怪我しているの。たぶん、前の飼い主から殴られたんだろうね。ハンマーの跡がついていたわ」
「まったく、ひどいことをするもんだよ」
ヘルハウンドの右足には包帯が巻かれている。
だが、長い間取り換えられてないのだろう。
茶色く薄汚れてしまっていた。
「包帯が汚れちゃってるね」
「まだ応急処置しかできていなくて……。ご飯も全然食べてくれないし体力が弱っているのはわかるんだけど、警戒してまるで食べてくれないの」
「きっと、前の飼い主に辛い仕打ちを受けたんだろうな」
ヘルハウンドは床に倒れながらも、私たちをきつく睨みつけていた。
『また来たのか。何度来てもお前たち人間に俺の身体は触らせないぞ。だまし討ちでもされたら、たまったもんじゃないからな』
やっぱり、人間に恨みを持っているのだ。
私は深呼吸して檻の前でしゃがむ。
心を通わすには、まず相手と目線を合わせるのが大切だ。
「こんにちは、ヘルハウンドさん。私はシェルタリア・ガードナーっていいます。私たちはあなたを傷つけに来たわけではないわ」
『……なんだ、お前。モンスターの言葉が話せるのか?』
「私には<魔物の語らい>というスキルがあって、あなたたちと話せるの。お願い、あなたの右足を治療させてくれないかしら?」
『俺は騙されないぞ。そう言って、前の人間は俺の足を殴ったんだ』
ヘルハウンドは怪我が辛いだろうに、両足で踏ん張って立っていた。
その厳しい表情から、人間に強い不信感を持っていることがわかる。
必死に訴えるだけじゃ、心を開いてくれないかもしれない。
行動で示すべきだ。
「……ベティ、あなたは回復魔法が使えるのよね?」
「う、うん、一応だいたいは使えるけど……」
私は壁に架けてあったナイフを取ると、指の先を少し切った。
プツッと皮ふが切れ、血がぷっくりと出てきた。
「いっつっ……!」
「ちょ、ちょっと、シェルタリアちゃん!? 何やってるの!?」
「お、おい、どうしたんだ!?」
『た、大変だ! シェルタリアのキレイな指が!?』
ベティもライムもストロングさんも、みんなしてオロオロしている。
もちろん、こんなことをするのには理由があった。
「ベティが魔法を使う様子を見れば、ヘルハウンドさんも安心すると思うのよ。きっと、回復魔法がどんなものかわからないから、不安になっているところがあると思うの」
人間でも得体の知れない物や出来事には恐怖心を感じる。
相手が以前裏切られた人間ならばなおさらだ。
だから、言葉で説明するだけじゃなくて実際に見せることが大切だと思った。
「「だからといって、自分の体を傷つけるなんて……」」
『シェルタリアの気持ちはわかるけど、そこまでしなくても……』
「言葉だけじゃなくて、実際に行動することが大事なんです」
ヘルハウンドさんは、相変わらず険しい顔で私たちを見ていた。
「ヘルハウンドさん。今からこの人に、回復魔法で指の傷を治してもらいます。その様子を見ればわかってくれると思うんです」
『……』
特に返事もなく無愛想だったけど、その顔はしっかりと私たちに向いていた。
「ベティ、お願い。この傷を治して」
「う、うん、わかった! <ヒール>!」
ベティが私の指先に手をかざす。
彼女が呪文を唱えると、指が緑色の光に包まれた。
じわじわと傷がふさがり、やがて元通りに治った。
ヘルハウンドさんにもよく見えるように、スッと差し出す。
「ヘルハウンドさん。回復魔法はこんな感じです。特に痛みもないですよ。むしろ、あったかくて気持ちいいです」
『……そうみたいだな』
ヘルハウンドさんは無愛想ながらも一瞥してくれた。
いつの間にか、威嚇するような炎のオーラも消えている。
「まずは足の包帯を取って、傷の状態を確認しても良いですか?」
『……ふん、勝手にしろ』
相変わらず口は悪いものの、ヘルハウンドさんは右足をスッと出してくれた。
「さあ、ベティ。一緒に状態を確認しましょう」
「う、うん」
ベティと一緒に、足の包帯をほどいていく。
右足は脛のところに大きな傷があった。
血は止まっているものの、傷口は腫れている。
私に医術の知識はそれほどないけど、放っておくとさらに悪化することは目に見えていた。
「ヘルハウンドさん、傷が腫れてきています。悪くなると良くないので、ベティに魔法で治してもらってもいいですか?」
『……手早くやれ』
ヘルハウンドさんはそっぽを向きつつも、右足は出したままでいてくれた。
「ベティ、回復魔法をお願い」
「わ、わかった! <ヒール>!」
ベティが魔法を唱えると、ヘルハウンドさんの右足が緑の光に包まれた。
じわじわとゆっくり傷が治っていく。
その様子を、ヘルハウンドさんはジッと眺めていた。
やがて、傷はキレイに消え去った。
腫れも収まり、ケガをした右足は元通りだ。
「ヘルハウンドさん、これで治療はおしまいです」
『ふむ……本当に足が治っているみたいだな』
ヘルハウンドさんはすくっと立ち上がると、右足を揺すったりして動かしている。
スムーズに動いているので、問題なく完治したみたいだ。
「良かった……化膿しちゃったら大変なことになっていたかもしれませんよ」
無事に治ってホッとした。
傷を治す手段はあるのに、右足を切り落とすことになっていたらと思うと、心配でしょうがなかったのだ。
「シェルタリアちゃんのおかげで怪我が治せたよ! 本当にありがとう!」
「よくやった、シェルタリア! これでまた一匹治療ができたぞ!」
『モンスターにとっての聖女様だね!』
「あ、あんまりくっつくと痛いですって」
三人と一匹で喜んでいると、ヘルハウンドさんが静かに話し出した。
『おい、お前、シェルタリアとか言ったな』
「は、はい」
『……俺に名前をつけることを許可してやる』
「な、名前……ですか?」
『ああ、そうだ。前の名前はもう思い出したくもないからな』
その瞳からは、さっきまでの怒りの炎は消えている。
私のことを信頼してくれたのだと思うと、胸に迫るものがあった。
良い名前を考えてあげないと……。
そうだ……ヘルハウンドの“ヘル”って、地獄って意味よね。
ちょっとかわいそうだわ。
「でしたら、ヘヴンさん……ってどうですか?」
『ヘヴンね……ヘルハウンドらしくはないが……まぁ、いいだろう』
苦笑した様子で了承してくれた。
『ついでに、俺の体を撫でる許可も与える』
「え……? 撫でていいんですか?」
『だから、そう言っているだろ。早くしろ』
「す、すみません」
そーっと手を伸ばして、ヘヴンさんの体に触れる。
見た目以上にスベスベして、モフり具合がたまらなかった。
暖炉にあたっているときみたいな暖かみがある。
「ヘルハウンドさんの体って、あったかいし柔らかくて気持ちいいですね」
『俺たちは体の中で炎属性の魔法を錬成しているからな。体温が他のモンスターより高めなんだ。ふんっ……言っておくが、触っていいのはお前だけだからな』
「ヘヴンさん……」
ほのぼのしていたら、ライムがぴょこりと顔を出した。
『シェルタリア、僕のことも忘れないでよね』
「わかってるわ、大丈夫よ」
ライムとヘヴンさんを撫でながら、私は確かなやりがいを感じていた。
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