第1話 はじめまして、君へ。

『どんな思い出も、─────────すこと──から──────に僕が──と呼ぶよ───。』



 ヂリリリ……


 目覚まし時計の音。白い天井。


 夢…だったのか……。

 小さい頃から体質的なものなのか、夢なんかあんまり見ない。眠りが深いのだろうか。見ても大半は過去に起こったことが回想シーンのように夢に出るぐらいだった。

 今の現状に軽く驚きつつも顔を洗いに階段を下りる。キシキシと音を立てる階段に母が気づき"おはよう"と声をかけてきた。


「新しい学年になってどう?」

 顔を洗う俺の背後からする母の声は少しぎこちなく感じる。何か俺と会話をしたいんだと思う。朝食か夕食以外は話すタイミングが無いから今だ!などと考えているんだろうか。

「別に普通だよ」

「そうなの…。あっ、母さん今日からばあちゃん家行かなきゃ行けないからね」

 そう少し寂しそうな顔をする母に俺は何も触れずただ答える。

「分かってるよ」

 そう返してからは早かった。

 母が準備してくれた朝食を頬張るだけの時間が、母と俺との間にあるいつまでも埋まらない穴のようなものを、更に広げていくような時間としてただ流れていた。

 ただ俺は金曜日の朝な事があり、気持ちが少し軽いこともあり何も気にせず朝食を食べ終わり、ソファで休む母を横目に1度自分の部屋に戻る。扉を開いたと共に吹き込む憂鬱な風を受け溜息をつきながらもカバンを手にして階段を下りる。

 近頃"行ってきます"の一言すらもめんどくさく感じるので、母へは何も言わず扉の外へ出る。

 外に出れば春の陽気が〜なんて言う奴がいるが俺には全く分かりっこない。ただ子鳥のさえずりだけが俺に春の訪れを伝えている。

 週末というのにこの晴れ晴れとしない気持ちはきっと昨日あった事によるせいだろうか。

 始業式から1週間、俺たちのクラスには転校生が来た。

「よっ、おはよう夏」


「夏〜今日も寝みぃなぁ」


「ねぇ夏くん〜」

 教室に入れば夏、夏と声をかけられる。このクラスはとりあえず賑やかだ。体育会系の集まりのようなクラスだ。本当に教室が騒がしい。うるさすぎて頭が痛くなるほどだ。


 チャイムが鳴る。

 さっきの教室が嘘かのように一斉に静まりかえる。

 そんな情緒不安定なクラスにとけ込めるはずもなく俺はただ虚無的感情を維持していた。

 ガラガラと音を立てて入ってきた先生は俺達が挨拶をすると間もなくして口を開く。

「今日はずっと空いていた席の主を紹介しようと思います」

 "ずっと空いていた席"。

 始業式から今日までずっと人のいなかった席。

 けれどなんだ、不登校とか病気とかそういうのじゃないのかと少し残念みがある。


「聞いて驚くな…?転校生の春中類斗はるなかるいとくんだ」

 そう言って先生の横に現れたのは背が小さめの男子だ。黒髪で、センター分けの前髪とサラサラな後ろ髪。シャツの上からは薄橙色のカーディガン。いかにも真面目そうだが転校してきてそうそう制服を着こなしている。

「うぉっ!うちのクラスに春夏秋冬揃ったやん!すげぇ!」

 おちゃらけ担当の一声でみんなの注目を浴びる俺と他2人。

「そうだな。うん!みんな仲良くするんだぞ。よし、これで朝は終わり!1限目、遅れないようにな!」

 その言葉を聞くとクラスの奴らは1限の準備など忘れてすぐ転校生の所へ集まった。

 当たり前のように俺達もそれぞれ他の奴に腕をを引っ張られ転校生の方へ強制連行。一瞬でさっきの騒がしい教室が戻ってきた。

「春中くん!この3人がうちのクラスで夏秋冬って呼ばれてる夏樹憂なつきゆうくん、西沢秋良にしざわあきらくん、風見冬束かざみふたばくん!!名前に季節が入ってるから3人ともそう呼ばれてるの!春中くんも春くんでいいかな…?」

 コミュ力お化けの女子の異様に完結的な説明に少し驚く。

「そうなんだね!全然いいよ!」

「良かった〜!」

「夏樹くん…?だっけ?よろしくね!」

 俺の前にわざわざ現れて大の笑顔を振りまく転校生に少し違和感を感じたが社交辞令として一応返した。

 1限のチャイムが鳴るとまた一斉に教室が静かになる。


 転校生が来て、そんな完全体になったこのクラスにどうやって関わって行けばいいのか。


 *


 昨日のことを1人でフラッシュバックさせていた俺はもう4限が終わるという事を知った。考え事のし過ぎは良くないことは知っているが、これは俺にとって結構な大事なのだ。そう本能的にそう感じる中、お昼を知らせるチャイムが鳴った。それとほぼ同時にクラスのある男子が声を上げた。

「飯じゃぁぁぁぁぁ!」

「ちょ、うるさいんだけど」

 ある女子も続いた。

 そこからふたりが軽く口論になっているが、2人が付き合っている事はクラス全員が知っているので『また痴話喧嘩だ』と無視をして食を進める。

「あの2人、いつもあんななの?」

 カバンから昼食のパンを出そうとしていた時、目の前に転校生が来てそう聞いてきた。

 めんどくさい気持ちもありつつ俺は転校生の質問に答えた。

「『あそこの2人はカップルじゃなく、もはや熟年夫婦だ』って言われるぐらいにはいつも」

「付き合ってるんだね。そっかぁ…」

『何?もしや一目惚れでもしてた?それならやめた方がいいよ』と言ってしたが、無駄口を叩くようなことはしたくないので辞める。


「そうだ、夏樹くん…?ってさ」

 まだ会話を続ける転校生。

「夏でいいよ、そっちの方が慣れてるから」

 俺がなんとなくそう言うと転校生は軽く頷いた。

「夏くんって、どこら辺に住んでるの?」

 唐突な個人情報の聞き取りだ。

 普通に怖い。

「あそこら辺」

「そんなんじゃ分からないよ?」

 まぁそりゃ分からないよな。

 教える気ないし、分かられても困る。

 まず教える気があっても家の周り住宅街だし、これといって特徴もないし分かりたいなんてのは無理な話だ。


「あれ、夏と転校生の春くんじゃん、仲良くなるの早くない?」

「俺というものがありながら…やっぱり若い子がいいのね…!」

「ちょ、誤解を生むような言い方すんなよ。あとここにいる時点で老いも若いもないだろ」

 クラスで1番の真面目くんである生徒会長の秋と、クラスの兄貴と呼ばれる副会長の冬。俺の唯一の友達だ。元はみんな普通ゆ名前で呼ばれ呼び合っていたが、クラスの奴に1年の時『お前らって仲良いよな、三季組って呼んでやろうか?』

 と言われ今に至る。


「そういえばさっき家…?の話してたけど夏の家知りたいの?それなら2人一緒に帰ったら?」

 は?秋の奇想天外な発言はいつもの事だがこれに関してはさすがに同情する。

「えっ、でもおふたりは……」

「大丈夫大丈夫、俺と秋は真反対だから全然気にしないで2人で帰りなよ」

 冬まで…。完全に断るタイミングを逃した…。もう逃げられないよなぁ。

 本当、一生恨む勢いでふたりを睨みつけてやりたい。

「じゃあ、夏くん、また放課後ね」

 嘘だろ…。

 チャイムの音がなっても俺は状況を整理できていないからか、その場から数秒動くことが出来なかった。今日に限って職員会議やらなんやらで5限が終わるともう下校になるのに1人で帰れないなんて…。ちょっと今はあまり考えないようにして授業に集中をしよう。そう思ったのだが、チャイムが鳴ったというのに一向に先生が来ない。

「ごめんなさい〜!今日数学の菊池が休みなので自習で!お願いします〜」

 自習か…とりあえず課題を終わらせよう。


 *


「「『さようなら』」」


 来てしまった…。体感時間約5分と言ったほどに早かった。気づいたらもう放課後だ、つくづく時間の流れに恐怖を覚える。

 ただ、あっちから言ってきたくせに全然話しかけてこないこれはあれか?こっちから声を掛けるのを待っているのか?転校生の様子を伺おうと顔を上げると、どこを見ているのか分からないがただ今にも涙が零れ落ちそうな転校生が居た。黄昏でいる訳でも無さそうだが、なんて言い表せばいいのかが分からない。ただ、金曜日の放課後のだるさで今にも吐きそうなのでいっその事このまま一人で帰ってしまおうかと思い、カバンをもって1歩歩く。

 その時、横から声をかけられた。

「あれ。夏、転校生くんと帰らんの?呼んできてあげようか?」

 秋には空気というものを読んで欲しい。

「転校生くん〜?夏が待ってるよ〜?」

 だから冬も…。

「あっ、ごめん!考え事してた!!帰ろ!」

 さっきの転校生が嘘のような笑顔…。

「じゃあ僕達生徒会あるから!頑張ってね!」

 ”頑張ってね”……。この言葉は本当に無責任だ。

 とりあえずの形で2人で静かに教室を出て廊下を歩く。横を歩く転校生との身長差は5cmぐらいだろうか、俺が170ぐらいだから165ぐらいか。

 階段を降りる度に揺れる横顔。どこかで見たことあるような顔だが、これといって特徴がない顔だからなのだろうか。

「ん?どうしたの?」

 あまりに見すぎたのか、笑いながらそう問いかけられた。

「別になんでも」

「え〜?気になるじゃん」

 会話を続けたい訳では無いのでこの言葉はスルーした。

 下駄箱から校舎を出ると薄くオレンジがかった空が広がる。静かに流れる風に乗せたように転校生が話し出した。

「どこまで一緒なんだろうね」

「さぁ」

「冷めてるね〜。僕寂しい〜」

 会話に意味が無さすぎて客観視してもつまらない。まぁ初対面で俺と面白い会話ができるならそりゃ異常者だ。

「夏くんに彼女はいる?」

「別に」

「好きな人は?」

「興味無い」

「顔整ってるのに勿体ないよ〜」

「別に、根本的に人に興味が無いから」

 自分の話をするのは苦手だ。されたことが少ないから。俺が相手に興味を示さないと、相手も俺に興味を示さないから。でもこいつはそこからもずっと話というか、無意味な質問を続けた。

 そしてようやく今、分かれ道まで来たらしい。


「ここ僕右行ってすぐ!」

「俺左行ったとこ」

「ここまでだね!結構家近かったね〜。明日朝会えるかな」

「さぁ」

「じゃあね!」

 そう言って転校生は手を振りながら帰って行った。

 10分もよくずっとつらつらと話が出てきたな、と思う。

「ただいま。」

 そう口にしてたから母がいなかったことに気づく。

 父は他界していて兄弟もいないのでここから数日間は一人暮らしだ。ただ、課題をするにも提出日まで1週間もあるものをやろうとは思えない。

 暇だ。完全に暇だ。

 普段なら冬とかに連絡をするのだがまだ生徒会の時間だし返信待ちの時間が結局できる。

 さぁ、どうするか…。

 ボーッと時計の針を見つめているだけの時間。

 なんとなくこの時間が好きだった。何も無駄な事がなくなるような気がしたから。

 針の1音1音に意味はなく、ただ無駄でもなく。

 ただ流れていくのが時間なのだと、そう考えるのが好きだ。


 そういえば夕飯の買い出しに行かなきゃだと思い出したのはそれから10分後のこと。


 今日ぐらいはコンビニ飯でもいいよな。

 俺はさっき通ってきた道を戻らなければいけないだるさを抱えながらも扉を開けて外に出る。

「え゛」

「あ」

 何故か目の前に転校生と秋と冬が居た。


「なんでいるんだ」

 俺のその問いには秋が答えた。

「せっかくだから転校生くんに夏の家教えようかな〜っと思いまして」

「秋くんと連絡先をさっき交換して。今さっき連絡が来まして」

「俺は止めたんですけれども」

 まじ何やってんだこいつら。冬ももうちょいガツッと止めてくれ…。


「まぁ許して!?冬と飯買ってきたからさ!カップラーメンだけど……。」


 とりあえず肌寒かったので家にあげて話をすることにした。2階の自分の部屋にはあげず、リビングに。


「んで?本当に理由はさっきのだけか?」

 今回の元凶であろう秋にそう聞いた。

「よくお分かりで〜…。夏さん。単刀直入に言います。僕に勉強を教えてください。」

「は?」

 秋の言ってることの意味がつくづく分からない。

「僕も冬も理系科目は得意なんですが、文系が苦手でして…。圧倒的に夏の方が僕らよりできるんです」

 口にこそ出さないが、だからって今来るのか?と思う。

「今日から夏のお母さん居ないよね……?泊まっていい?」

「は?え、3人全員か?」

「そりゃまぁ…ジャージあるから服にも困らないし……」

「だからって転校生は?」

 転校生に視線が向く。

「あっ、僕は夏くんがいいなら大丈夫だよ!親戚の人の家に居候してるだけだし、その親戚転勤族で結局居ないから!」

「じゃあ大丈夫そうだね!よし、決定!!」

「は?えっ、ちょ……」

 あー、これ終わった。よりにもよって来週の月曜日は設立記念で三連休……。

 冬に助けの目を向けるが『仕方ない』みたいな目で返されるし…。きっと月曜日も泊まって火曜日一緒に登校になる……。

 ついてない……

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