第5話 家族

 俺は全力で走った。昔の記憶通り、すべてがそのまま、そこにあるのだが、消えてしまいそうな気がして焦っていた。思ったより早く実家に戻った。俺は成長して足が速くなっていた。家はまだそこにあった。見慣れた水色の壁に青い屋根の二階建てだ。


 錆びた門を開けて中に入った。前は黒いペンキが塗られていて真新しかったのに。地面は草ぼうぼうだった。誰も草むしりをしてないらしい。いないのかと思うほど荒れているけど、間違いなく俺の家だ。


 玄関のピンポンを鳴らすが、誰も出て来ない。恐々、引き戸を開けてみた。鍵は掛かっていなかった。玄関には、だらしなく古びた靴やサンダルが出しっぱなしになっていて、古新聞が壁の片面にびっしりと積み上げられていた。俺が住んでいた頃はこんなことはなかった。玄関はもっと片付いていたはずだ。母親が病気か何かで父親だけで住んでいるみたいだった。


 俺は大声を出した。

「ただいま」

 何回も呼んだが出て来ないから、俺は玄関の上がり框に座って待つことにした。


 俺には姉と妹がいたのだが、2人は今どうしているんだろう。姉は今22歳で、妹は13歳くらいだろう。妹は中学生だから、まだ家にいるはずだった。


 しばらくして、母親が戻って来たが、俺を見て悲鳴を上げた。

「うわぁ、びっくりした。あんた、誰!?」

「お母さん、聡史だよ」

「聡史って、聡史は施設に入ってるんだよ!あんた、誰よ」

「本当に聡史だよ。ずっと迷子になってて、やっと戻って来たんだよ」

 お母さんはびっくりしたように俺を見た。

「本当に聡史だったらいいんだけどね。聡史は寝たきりになってて、うちらが何言ってんのかも、わかんないからね」

「俺、聡史だよ」

「そういえば、顔が似てるねぇ・・・どっかの親戚に子なのかなぁ・・・上がってお茶飲むかい?」

「うん」

 俺は家に上がったが、まるで他人の家みたいだった。年を取って母は丸くなっていた。全然知らない人からみたら、優しくて、すごくいい人と思われるだろう。昔、さんざん叩かれた俺ですらそう感じた。


「お父さんは元気?」

「いやぁ・・・お父さんはもう死んだよ」

「え?」

「くも膜下出血。でもさ、苦しんだ時間が短かったからまだよかったんだろうね」

「いつ?」

「聡史が具合悪くなって、半年くらいしてからだね。多分、ストレスがあったんじゃないかな。でも、保険が下りたから、それと遺族年金で生活できたからね。有難いと思わないとね」

「知らなかった・・・」

 俺をよく殴っていた父が亡くなっていたなんて、意外だった。天罰が下ったんだろうか。

「お姉ちゃんは?」

「お姉ちゃんは行方不明。家出しちゃった」

「何で?」

「聡史を家で面倒見てたから。手伝ってもらってたんだけど、もう耐えられないって言ってたから、それが理由かもしれない」

「でも、お姉ちゃん、働いてたか、大学行ってたんじゃない?」

「うん。高校卒業して〇〇電気に就職したけど、すぐやめちゃって」

「あ、あそこに入ったんだ」

「でも、先輩からいじめにあってね。精神的におかしくなってやめちゃったから、家で聡史の世話をしてもらうことにしたんだよ。でも、オムツ変えたりするのが嫌だったみたいで」

「・・・・申し訳なかったな」

 俺だってお姉ちゃんにオムツを替えてもらうのは嫌だけど、随分迷惑をかけてしまったんだと思う。

「紗々は?」

「自殺未遂して、今、隣の部屋で寝てる」

「え?」

「寝たきりになっちゃって・・・聡史か紗々かどっちか世話しないといけないから、聡史に施設に入ってもらった」

「紗々は何で自殺未遂したの?」

「お兄ちゃんの世話が嫌だって」

「どっちも俺のせいなんだ」

「まあね。やっぱりまだ遊びたいだろうし」

「お母さんは何やってたの?」

「私は色々家のことやったり忙しかったから」

「嘘だ。パチンコやってたんだろ?」

「パチンコはたまにだよ」

 母は前からパチンコ依存症だった。家が貧しいのに、この女はギャンブルをやめられなかった。きっとお姉ちゃんの給料を家に入れさせて、その金でパチンコをやってただろうと思う。姉がいなくなって、母と2人なって、まだ中学生の紗々に俺の面倒を見させるなんて。俺は腹が立ったが、そもそも自分のせいなのだ。

「紗々に会える?」

「うん。見てくれば?」

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