第19話 幸福の花-2
『次のお休み、またお出かけしませんか?』
先日に続いてラナさんからこう声をかけられていた。今日はその約束の日。酒場はお休みの日だった。ラナさんは外へ出る前、私にある提案をしていた。
「私は構わないのですが……、本当にこれ、表に出すんですか?」
「はい、スガさんと出会うまでこんな考えは浮かばなかったんです。けど、利用されてばかりでは悔しいじゃないですか?」
ラナさんに言われるとおりに私は看板に文字を書いていた。それを表の私が置かせてもらっている看板の横に並べて置きたいというのだ。
【魔法で解決! 仕事の依頼受け付けます! ※価格相談1,000,000ゴールド~】
なんといういかここ数日のラナさんはなにか吹っ切れたようなところがある。こんな看板を設置したいと言われた時は本当にびっくりした。
100万ゴールドは私の感覚で1000万円……、1度の依頼でこの料金とは破壊的な価格設定である。しかも『
「これで誰もおいそれとはボクにお手伝いを頼んでこないと思います。王国の偉い人もシャネイラも好き勝手にボクを利用しようとするからいけないんですよ」
ラナさんの変化はやはり「あの夜」の話がきっかけだろうか。真相を知った上で彼女はなにを思ったのか……。
あれからお客としてトゥルーさんは一度もここを訪れていない。王国騎士殺しの犯人として衛兵に捕らえられたのだろうか。
カレンさんはいつも通り顔を出している。彼女の顔を見るのが少し照れくさくなってしまっていた。
先日お酒を出した際に、「あの日のことは、絶対言うんじゃないよ?」と耳打ちされたところだ。
「どうされました、スガさん? 顔が赤いようですけど?」
「いいえ! なんでもありません!」
思い出すだけで体温が上がってしまう。
ラナさんに言われた通り看板を設置した後、私たちはまた街の中心の方へ出かけることにした。
彼女は、白のブラウスの上からベージ色のふわふわしたポンチョを着ていた。それよりやや濃い色の膝丈ほどのスカートを着て、頭には薄いねずみ色のベレー帽を被っている。靴は茶色のショートブーツだ。
先日の時といい、ラナさんはけっこうおしゃれな人のようだ。それに引きかえ私は毎度同じワイシャツを着ている。今度、外出用の服を探しておこうと心に決めた。
彼女は私のそんな残念な格好を気にも留めず、今日も楽しそうに、私の少し前を歩いている。好奇心旺盛な子どものように、目に付くものすべてに興味を向け、表情をころころと変えていた。
今日も天気はとてもよく晴れていて、時折吹き抜ける風がかすかな涼しさを乗せてくる。
「退屈させたらごめんなさい、久しぶりに見てみたいものがありまして――」
ラナさんに付き添って訪れたのは、古本屋のようなお店だ。――とはいっても、私が日本で見てきた古本屋ほど置いてある本の数は多くなく、一冊一冊が重厚な装飾を施されたハードカバーの本ばかりだ。これとよく似たものを以前に見かけている気がした。
そうか、魔法闘技場近くのお店で売っていたレプリカ……、つまりここはグリモワの専門店なのだろう。
酒場に出した看板は、価格設定は一旦おいといても、ラナさんが魔法使いとして名を表に出しているのだ。そして、今も魔導書のお店を訪れている。明らかに彼女の中で魔法との向き合い方が変わっているのを感じた。
彼女は本を手にとっては、何ページか捲って読み、首を捻っては別の本に手を伸ばす、を繰り返していた。
その動きを横目で見ながら、私も並んでいる本を観察していた。一応、中身を読めるには読めるのだが――、内容が理解できるかというとさっぱりだ。ただ、凝った装飾を眺めているだけでそれなりに楽しめた。
ラナさんは、濃紺のハードカバーの百科事典のような書籍を一冊だけ購入していった。丁寧に紙に包んでもらって受け取り、大事そうに両手で抱えている。ただ、見た目からもあまりに重そうなので私が持って歩くことにした。
「本一冊とはいえけっこう重たいんですよ?」
「これくらいは平気ですよ。差し支えなければどんな本なのか教えてもらえませんか?」
店を出て歩きながらそんな会話を交わした。彼女の説明によると「高位魔法の詠唱に関する技術体系を記した書物」、とのことだが正直なにがなんだかさっぱりだ。
ラナさんは今日も新しい喫茶店を見つけ、そこに入って食事をとることにした。まるで小さな植物園のように、初めて見る色とりどりの草花が所狭しと並んだお店だった。
「先日シャネイラとはどんなお話を?」
私の心臓は急に跳ね上がった。シャネイラさんが訪ねてきたその日には話の内容に触れてこなかったというのに、まさか今になって聞かれるとは思っていなかったからだ。
まものについての話はしないほうがいいと釘を刺されている。さて、なんと言ったものか……。
「ふふっ……、わかりますよ。ボクには言いたくない話でしょう? わざわざ外に出て話していたわけですからね?」
彼女はそう言ってから、運ばれてきた紅茶を香りを楽しむように目を瞑ってゆっくりと飲み始めた。その様子から私の返事を望んでいないように見える。
「ボクがシャネイラと知り合ったのは、まだセントラルで魔法を学んでいた頃です。当時は今みたいに険悪ではなかったんですけどね」
ラナさんは、「嫌ってるのはきっとボクの方だけですけどね」と後から補足した。
「元は王国騎士団でその名を馳せた剣士です。――とはいえ、その頃の彼女についてはあまり知りませんけどね。ボクが生まれる前の話ですから」
いつかカレンさんに聞いた。見た目に反してシャネイラさんはそれなりに年齢を重ねているはずだと。「不死鳥」の通り名のように、本当に不老不死なのではないかと疑いたなくなる。
「『王国最強の剣士』として誰もがシャネイラのことを知っていました。そして、彼女が築いた『ブレイヴ・ピラー』というギルドもまた、この国で最大の組織といっていいと思います。それほどの力を持ちながら、さらなる力を追い求め続けています」
ラナさんがシャネイラさんについて語るのは意外だった。これまでの印象から名前を口にするのも憚られる気がしていたからだ。
「シャネイラはきっと今でも、『魔法使いとしてボク』に惚れているんですよ? なにをさせたいのかはわかりませんけどね……」
彼女は紅茶のカップを手に取り、その水面に目を落としていた。
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