第6話 十色の力(後)-3
「おーい……あんちゃん、生きてるか?」
酒樽のように丸い体をした男は、地べたに倒れて返事をしない男の頬を叩きながら話しかけていた。十数分の間、時々インターバルを挟みながら10秒ごとに暴行を受け続けた彼はぐったりとして意識を失っていた。そのままの状態でかれこれ1時間近く放置されている。
「まだ生きてはいますけど……、完全にいってますね、こいつ」
近くにいた背の低い猫背の男は彼を眺めながらこう言った。
「水でもぶっかけてみますか、ユージンさん?」
ユージンと呼ばれた男は、少し離れた場所に置いた椅子に腰かけていた。倒れている男を見て大きなため息をつく。
「お前ら加減しろって言っただろ? まだこいつが何者かわかってない。どっかの組織と繋がってでもしたらどうする? 殺すと面倒なんだよ」
「すみません……。つい調子にのってしまって――」
小男は猫背をさらに曲げて頭を下げた。
その時、金属が擦れる不快な音が響き渡った。そして外の雨音が先ほどより大きく聞こえる。建物の入り口の扉が開かれたようだ。中にいる人間の目が一斉に入口付近へと集まる。ユージンも椅子から立ち上がり、眼鏡をあげてそこを睨んでいた。
「今日は客が来る予定はなかったはずだが?」
金属の扉が開かれ、そこに5人の人影が見えた。外の雨はまだ激しく、時々稲光とともに轟音が鳴り響いていた。
◆◆◆
カレンさんはここにたどり着くまでに向かっている先のギルドについて教えてくれました。
ギルド名は「
道中サージェさんは魔法の写し紙を使ってギルドの本部と連絡をとっているようでした。なにかとてもいやらしい看板がたくさん出ている道を駆け抜けて、私たちは目的の場所までやってきました。
そこは年季の入った倉庫のような建物です。その入口の前にはとても人相の悪い男の人が2人立っていました。
カレンさんは彼らに歩み寄ってなにかお話をしていました。どんな会話をしていたのか聞こえませんでしたが、1人がカレンさんに掴みかかったかと思うと、次の瞬間にその人はお腹を抱えて膝をつき、そのまま地面に倒れてしまいました。
どうやらカレンさんが膝でお腹を思い切り蹴ったようです。
サージェさんはその人のポケットから鍵のようなものを抜き取っていました。そしてそのまま扉の鍵を開けていました。
カレンさんはもう1人いた男の人の胸ぐらを掴んで吊るし上げていました。男の人は苦しそうにしながらその手を引きはがそうとしていましたが、カレンさんは涼しい顔で微動だにしていません。
それからその人は建物の壁に思い切り叩きつけられて気絶したようです。一連の動きを表情ひとつ変えずにやっているカレンさんは、もはや私が知っている彼女とは別人のようでした。
ですが、きっとこれこそが噂に聞く「金獅子」の姿なのだと私は思いました。
カレンさんがブレイヴ・ピラー所属と知った時に、噂に名高い「金獅子」と気付きました。ただ、普段お話しているときは気さくなお姉さんといった印象です。
「パララちゃん……、中に入ってもしスガの姿を見つけたらやってほしいことがあるんだ」
私はカレンさんにあることを頼まれました。いつもなら咄嗟にできるかどうか不安になりますが、今は不思議と大丈夫な気がしました。
サージェさんは扉を開いて中に足を踏み入れました。カレンさんが続けて入っていったので私も後に続きます。
扉は錆びついて建付けも悪いのか、耳が痛くなるほどの金属音が鳴りました。それもあってか、倉庫の中に入ると中の人たちは揃って私たちの方を見ていました。奥から細い眼鏡をかけた顔の怖い人が歩いてきます。
「誰かと思えば……、ブレイヴ・ピラーの金獅子様ではございませんか? こんな弱小ギルドのアジトになにかご用でも?」
眼鏡の人を中心に中の人が集まってきました。どの人も目つきが悪くてあんまり関わりたくない人相の人ばかりです。カレンさんは正面を見据えていましたが、小さな声でこう言いました。
「あいつらの後ろ……、スガが倒れてる。パララちゃん、サージェ……、いけるかい?」
奥に目をやると、ユタタさんらしき人が倒れているのが目に入りました。遠目に見ても怪我をしているのがわかります。私は大きな声が出そうになりました。ですが、カレンさんに肩を引き寄せられて小さな声で囁かれました。それで自分のやるべきことを思い出しました。
「パララちゃんの魔法を合図にサージェが動く。任せたよ」
私は小さく頷くと最速で呪文詠唱をしました。
前にいる怖い人たちが魔法の発動に気付いたようですが、この程度なら彼らが動き出す前に発動させられます。
「ブライトッ!」
私の杖は強烈な光を発しました。まるで外の稲光を今だけ借りてきたかのような光です。何人かの驚いた声が聞こえました。
この魔法自体は単なる目くらましです。ただ、こうした屋内ではより効果を発揮します。わずかな隙をつくるには最適な魔法でした。
光が消えた時、サージェさんはユタタさんを抱き抱えてこちらに滑り込んできました。それに気づいてか、人相の悪い人たちがより怖い顔をしてこちらに向かってなにか言ってきています。ただ、今はその内容はどうでもいいと思い、ほとんど耳に入りませんでした。
「気絶しているようですが、息はあります。ですが、怪我はひどいようです。早急に治療が必要かと……」
サージェさんはユタタさんを抱えたままカレンさんにそう告げました。
「ブルードさん、スガを抱えて駅まで走ってくれるかい? うちから人をまわして本部の救護室まで案内させるからさ」
サージェさんが無言で頷いていました。きっと魔法の写し紙で手配を済ませているのだと思います。
付き添いで来てくれたブルードさんはサージェさんに代わってユタタさんを抱えました。ブルードさんがとても大きいので相対的にユタタさんが小さく、子どもを抱っこしてるみたいに見えました。
ブルードさんはスガさんの身体の傷を見て表情を歪めました。小さい声で「ひでぇ」と聞こえました。
「……駅まで走ったらいいんだな。任せろ」
「ありがとう。後ろは気にしなくていいよ、後を追うやつがいたら私がぶった斬る」
カレンさんは腰にかけた2本の剣に手をかけていました。いつでも抜く準備ができているのだと思います。
「待てコラ……、いきなり乗り込んできて客人さらっといてなに勝手に話進めてんだ?」
怖い人たちの真ん中にいる眼鏡の人が声を上げました。大きな声ではなかったのですが、威圧を感じる低い声がこちらまで届きました。
「ユージンさんとこは客人にずいぶん乱暴なもてなしするんだねぇ、驚いたよ?」
どうやら眼鏡の人が話に聞いていた「ユージン」という人のようです。
「その男への用はまだ済んでいないんです。こちらに返してくれませんか、金獅子カレン様?」
「ブルードさん、気にせず行って」
カレンさんが小声でそう言うとブルードさんは先ほど開けた鉄扉へ向かって走り出しました。前にいる人たちは追いかける素振りを見せましたが、カレンさんとサージェさんが武器に手をやり、睨みつけるとそれは止まりました。
「……いきなり乗り込んできて、てめえらただで済むと思ってんのか?」
ユージンという人は怒りを露わにしてこっちを見てきました。周りの人たちが武器を手にしているのも見えます。杖を握る手がいつの間にか汗ばんでいました。
「ふぅん……、手ぇ出してくれるのかい? うれしいね……。私も暴れずに帰れる気分じゃないからねぇ」
カレンさんの目つきは獣のようにギラギラしていました。まるで猟犬……いいえ、これが「獅子」なのかもしれません。私はその奥に怒りの炎が宿っているのを感じました。とても冷静に……、カレンさんは怒っているのだと思いました。
「――カレン様、まわりのザコは自分が引き受けます」
サージェさんが周りの人たちにも聞こえる声でそう言いました。顔の怖い人たちの表情がさらに怒りで歪んだのがわかりました。
「任せるよサージェ……。まあ私が相手なら全員ザコなんだけどねぇ」
いつの間にかユージンという人も剣を抜いていました。
「パララちゃん……、サージェの援護をお願いね?」
「はい、わかりました!」
「サージェ……、相手が剣を抜いたらどうするんだっけ?」
「刃を向けるは覚悟の意志……。殺すつもりで戦え、です」
カレンさんとサージェさんが前を向きながら話していました。
「惜しいね、サージェ……。『殺すつもり』じゃない、『殺せ』だ」
一触即発の空気が流れていました。私も魔法をいつでも発動できるよう詠唱の準備をしています。
「ちょっとだけ――、耳を塞いでてくれますか?」
ここに着いてからずっと沈黙して後ろにいたラナさんが前に歩み出てそう言いました。
その時、精霊のざわめきを感じました。
魔法が近くで発動する際、精霊の躍動や魔力の収束は術者以外でも感じとることができます。それによって詠唱の短い簡易な魔法でも発動を予期して対処できたりするのです。
――ですが、今回は違いました。
「超」がつくほどの強大な魔力が一瞬でこの場に収束したのがわかりました。そしてこれまで無表情だったラナさんの口元がわずかに緩んだように見えました。
その刹那、私は放たれる魔法がわかりました。
ですが、この魔法は普通、詠唱にかなりの時間を要します。もしこの一瞬でその発動過程をクリアしたのならもはやそれは神業の域でした。耳を塞ぐ前にラナさんの声が小さく聞こえました。
「ライトニングレイ」
強い光がすべてを包み込みました。
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