◆第3話 魔法使いの挑戦(前)-1

「はぁ……、いい仕事見つからないかなぁ」


 黒く鍔の広い三角帽を被った少女は、独り言を言いながらため息をついていた。その身なりはいかにも「魔法使い」といった姿をしている。

 不慣れな土地なのだろうか、少し歩いては周りをきょろきょろと見渡し、また短い歩幅で歩き始める。


 そして彼女はある店の前で足を止めた。手に持っていた紙切れと店の看板を交互に2度3度と見返して、次に大きく深呼吸をする。


 そして意を決したように店の扉を開けた。



◆◆◆



 酒場は昼食目当てのお客の波が過ぎ去った後だった。たまたま人の入りが集中して洗いものがたまってしまっている。客足の途絶えた今のうちにまとめてやってしまおうと思った。


 動き回って身体が少し熱くなっていたので、手にかかる水道水の冷たさが心地よく感じられる。ラナさんはカウンターに出ていた食器類を片づけて私のところへ運んできてくれた。


「お皿洗いが終わったら休憩にしましょうか? この時間からはあまりお客さんも来ませんからね」


 そう言って、私が洗って置いていた食器を布巾で丁寧に拭き始めた。彼女と肘同士がぶつかりそうな距離だったので、すり足でほんの少しだけ間隔を空ける。


「ありがとうございます。もう少し要領よくできたらいいのですが、どうしても洗いものをためてしまいます……」


 接客と接客の合間をぬって片付けや洗い物をしたりとうまく立ち回るのがどうも私は得意ではない。ゆえにこうして洗い物をためてしまうことがよくあるのだ。


「お客さんの相手が大事ですから……。焦らなくても大丈夫ですよ?」


 ラナさんは機嫌よさそうに拭き終えたお皿をまとめて食器棚に閉まった。その時、扉の向こうに人影が見えた。


「おやおや、今日は忙しい日ですね?」



 ラナさんは首をかしげて扉を見ていた。人影はたしかにあるのだが、中に入ってくる気配がない。私が扉まで行こうと歩き出したときに、ちょうどその人は店の中へ入ってきた。

 鍔の広い大きくて黒い三角帽子、あまりにわかりやすい魔法使いの象徴が目に付いた。


 店の中へ入ってきた人は帽子を脱いでこちらを見た。帽子の大きさとは不釣り合いな背の低い少女がそこには立っていた。


 一瞬私と目があったが、すぐに逸らして周りをきょろきょろと見ていた。

 肩より下まで伸びた青く濃い髪が左右に揺れている。服装は濃紺のボレロを着ていて、それがより魔法使いっぽさを際立たせていた。



「いらっしゃいませ、お食事ですか?」



 ラナさんが私の横から少女に声をかける。ラナさんのほうを見ると少女はまごまごとしながら話し始めた。


「あっ…あああ、ああの…こちらでお仕事を紹介してもらえると聞いてきたのですがっ!?」


 少し裏返ったような声。ラナさんは一瞬私のほうを見た後、にこりと笑って言った。


「あらあら、お仕事の紹介ですね。えぇ、こちらで承っておりますよ?」


 ラナさんはカウンターの席を引いて少女を座るように促した。私はお茶を淹れてきます、と言ってカウンターの裏へまわりこむ。



 この酒場では仕事の斡旋をおこなっている。フリーの冒険家がこうして時々仕事を求めてやってくるのだ。私はそこまで詳しくないが、まもの討伐や護衛・警備の仕事など……、内容は様々だが、比較的一人から少人数でできる仕事で、短期間で終わるものが多いらしい。

 人手が必要な仕事は、大きなギルドなどにまわっていくと以前ラナさんが教えてくれた。


 カップを2人分準備して紅茶を淹れ、カウンターに置いた。ラナさんは、ありがとう、と言って早速一口飲んでいた。


「まずはお名前を伺ってよろしいでしょうか? ボクのことはラナと呼んでください。よろしくお願いしますね?」


「はっは…はい! よろしくお願いします! 私はパララと言います!」


「えぇ、よろしくお願いしますね、パララさん。では……早速ですが、どういったお仕事を探してまおられますか?」


「えっと、あの…経験の少ない魔法使いがひとりでも任せてもらえるようなお仕事はありますか?」


 あの帽子が物語るようにやはりこの少女、パララさんは魔法使いのようだ。



 この世界にきて、私が元いた世界ともっとも違いを感じたのがこの「魔法」の存在である。こちらの世界には火・水・雷・風・土に精霊が宿っており、一部の人たちはこの精霊とコンタクトがとれるという。それがいわゆる「魔法使い」である。


 精霊は人間がもっている精神エネルギーを欲する。魔法使いは呪文や儀式、触媒となる道具など様々なものを使って精霊のもつ超常的な力を借り、代わりに自身のもつ精神エネルギーを精霊に与えるのだ。

 これらの知識は魔法についてまったく無知だった私にラナさんがかいつまんで教えてくれた。


 人の精神エネルギーと精霊の力を交換する契約、と思えばわりとすんなりと理解できた。


 他にも「魔鉱石」といって精霊の力を一定量閉じ込めた「石」も存在する。街で走っている路面電車も実は電気ではなく、その魔鉱石の力で動いていると聞いた。冒険家が遺跡発掘にいく話をよく耳にするが、そのほとんどの目的は、この魔鉱石の発掘らしい。


 武器や装飾品なども発掘されるが、多くの場合、魔鉱石発掘の副産物ということだ。では、なぜ遺跡に大量の魔鉱石が眠っているのか、ここに関しては解明されていないらしい。



 ラナさんは仕事紹介の書面をぱらぱらとめくり、ふと顔を上げて少女の顔を見た。


「どこかのギルドに所属されたりはしていますか?」


「いっいいえ…あの、その……今はフリーです」


 少女は自信なさそうに小さい声でそう答えた。


「そうですか、魔法使いの修練はどこで受けられたのですか?」


「はっはい! えっと……、セントラル魔法科学研究院を今年卒業しました」


 パララさんはそう言って、持っていた鞄からなにか格式ばった冊子のようなものを取り出して差し出していた。いわゆる通知表のようなものだろうか。

 一緒にぼろぼろの辞典のようなものが鞄から出てきたが、そちらはすぐにしまっていた。


「あらあら……、セントラル卒業ですか? あそこは魔法学の名門ですからね」



 この世界では、大学の専攻のように「魔法」という分野を学ぶ場がある。そして今名前の上がった「セントラル魔法科学研究院」とは、国が設立した名門魔法学校のことだ。この辺の知識も以前ラナさんに教えてもらった。


 私はこれを国立大学と似たものとして認識した。気になることを質問するとラナさんはなんでも答えてくれた。おっとりした雰囲気だが、とても賢い人なのだと思ったものだ。


 しかし、魔法学校をすでに卒業しているなら、パララさんは見た目ほど幼くはないようだ。この研究院は私がいた世界での大学とほぼ同じ位置付けで、卒業の年齢はたしかストレートなら20歳だったはず。



 ラナさんは差し出された冊子を見ながら少し唸ってみせた。


「パララさん、とても優秀なのですね。特に火属性と弱体化に関してすごい才能をもっておられますね?」


「そっ、そんなこと…ないです」


「これだけの能力があればギルドから推薦が来そうなものですが……、フリーでいるのはなにか訳がおありですか?」


 パララさんは顔を俯いたり上げたりしながら口をもごもご動かしている。しかし、声になっていない。言葉を選んでいるのだろうか。なにかを伝えようとしているのだけは感じ取れた。


「わ…わっわ、私…人と話すのが苦手なんです……。ギルドからの推薦はあったのですが、面談の時にうまく話せなくて断れてしまいました……」


 ラナさんは紅茶を軽く啜ってひとつ息を吐いた。


「そうですか。立ち入ったこと聞いてごめんなさい」


 こう言って軽く頭を下げていた。


「い…いっい、いいえ! いいんです。その…なんていうか、ラナさんは初対面なのにちょっと安心できるというか……、まだお話ができてる方なんです」


「あら、そうなんですか? それはうれしいですね」


 いつも通り、口をUの字に曲げてにこりと笑っている。


「しっ…し、知らない人と話すのがとても苦手で、お仕事もなかなかもらえないんです。それでいろいろとまわっているうちに、単独でのお仕事ならここがいいと紹介してもらいました」


「そうですね、ボクのとこにまわってくる依頼はひとりか少人数で受け持つ仕事ばかりですから」


 ラナさんは人指し指を立てて唇に押し当てながら仕事の依頼書をめくっている。私は食器洗いと掃除をしながら2人の会話を聞いていた。


「これなんかどうでしょうか? 飛び入りで入った仕事ですので明日からになりますがーー」


「どっ、どどんな内容のお仕事でしょうか?」


「魔鉱石の運搬を護衛する仕事ですね。お隣の国までの往復ですから1~2日の仕事です。ルートも比較的安全で、過去にまもの関係に襲われた話も聞かない道になっています。護衛自体は3人以上の募集となっておりますが……、欠員が出たようで今足りていないようです」


「さっ、3人以上……ということは、きっとその…協力して護衛するような感じですよね?」


 少女の顔がみるみるうちに不安げなものに変わっていく。ここまでわかりやすく表情に出る人も珍しい。


「うーん……、たしかに少人数ではありますが、連携して仕事することになるでしょう。ですが、フリーで過去の実績がまだない以上、単独での仕事は紹介が少し難しいですね」


「うぅ…やっぱりそうですよね、他のとこでもそう言われました」


「危険性は少ないですし、幸い出発の場所はここから近いところです。お給金も悪くないので、よい仕事かと思いますが?」



「わわっわかしました! そのお仕事お願いします!!」



 私が少しびっくりするくらい急に大声でパララさんは返事をした。そして少し嚙んだようでもある。不安そうではあるが、選り好みしている余裕もないのかもしれない。


「わかりました。では、ここにお名前を書いてください」


 パララさんが書面にサインをした後、ラナさんは仕事の依頼書にハンコを押して控えを彼女に手渡した。彼女が持っている書類は淡く発光している。


 魔法のかかった依頼書、見た目は私がいた世界で一般的に使われていた領収書などと同じ類のものだ。数枚がセットになっており、記載をすると重なっている下の紙に文字が写る仕組みだ。


 だが、ここから魔法の力によって、書面の一部に決まったハンコを押すとバラバラになっているすべてにハンコが押され、それを示すように紙が淡く発光するようだ。


 恐らく依頼主も紙の控えを持っており、この光とハンコによって仕事が引き受けられたとわかるのだろう。簡易版の電子メールのようなことが魔法によってできているのだ。

 依頼書の控えを手にするとパララさんは何度もラナさんにお辞儀をしてから酒場を後にした。



「可愛らしい方でしたが……、ちょっぴり心配ですね」



 私に問いかけたのか独り言なのか、ラナさんは酒場の扉を見ながらそう呟いた。パララさんの去った後の酒場はいつにもまして静かに感じられた。

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