第30話 人生は夢だらけ
達人だ。
正確に言うと、気配を消す達人だ。
更に正確に言うと、産まれながらの才能を持ち合わせたチート級の気配を消す達人だ。
もっと更に色々と説明をすると、達人やら才能やら誇ったように語ってはいるが、別に人に自慢出来るようなものではない。
俺は産まれながらに存在感がなく、ましてや登場人物として脇役にさえもなれず、いてもいなくても誰かの世界には全く影響をもたさない人間であった。
きっと、俺自身の人生の中でさえも主人公は他の誰かなのだ。妄想や空想の中でも活躍するのは他の誰かで、そこに自己投影されることはない。俺自身が一番俺という存在を諦めているのだろう。
ただ、もし誰かの世界の主役になれる日がくるとしたら、俺は全力で演じきってみようと思う。そんな晴れ舞台は、俺にはきっと人生に一度だけなのだから。
まあ、そんなことが起きないからこその豚野郎なのだがな。変な希望はもたず、大人しく豚生を送るとしようか、ハッハッハッ。
"プルルルルル"
「はい、榊ですが……」
「き、金之助さんですか! たす……助けてください!」
さて、どうやら捕らわれのお姫様を救い出す
ヒーローを演じる時がきたようだ。
漢、金之助。一生に一度の晴れ舞台である。
なんてことのない平日。あまり入らない昼のシフトに入っていた俺は、少し時間に余裕を持って出勤した。
「おはようございます、店長」
「おはよう、榊くん。顔の腫れもだいぶひいてきたね! よかったよかった!」
小柳さんから殴られた後の初出勤の際は一苦労であった。
不幸にもその日は宮本さんとシフトが被っていて、俺の腫れ上がった顔を見ると同時に、店長と一緒に大騒ぎを始めた。
大して事情も聞かぬ内に店長は警察に通報し始め、宮本さんは弁護士事務所に電話をかけ出した。
俺が事件に巻き込まれた、もしくはイジメを受けたのではと勝手に勘違いをし暴走がはじまった訳だ。
一刻も早く誤解を解かなければと、俺は頭をフル回転させる。ごちゃごちゃ説明している暇はなく、簡潔に暴走を止める必要があった。
そして、最悪の結論に達した俺が二人に向かって叫んだ言葉がこちらである。
「ち、違うんです! ちょっとSMプレイのお店に行ってきただけなんです!」
暴走は止まった。
そして、その瞬間俺は何かを失った。
二人は静かに通話を切り、何事もなかったかのように仕事に入っていった。
テキパキと仕事を進める二人に、さっきの発言のフォローを入れようと必死に俺は話しかけたのだが、"大丈夫、ごめんね"と虚ろな目をして返されるばかりで、会話にならなかった。
よほどの衝撃だったのだろう。
二人共、その話題に関しては意地でも触れてはいけないと思ったのか、その後も完璧なまでのスルー対応をかまされた。
"なかったことにしよう"
そんな二人からの、沈黙のメッセージを受け取った俺は何も言えなくなってしまい、未だに誤解はとけていない。
「もう一人のバイトの子が体調不良でお休みになっちゃったけど、僕が現場入るからね」
「あ、そうなんですか? ……店長他に沢山仕事あるのに、大丈夫ですか?」
「ハッハッハ、なあに! ちょっと血反吐吐くぐらい疲れた方が、人生丁度いいんだよ!」
いい訳がないだろ。血反吐と共存していく人生なんか嫌だわ。相変わらずこの人は過労をナチュラルに受け入れるな。
「まあ、一緒に頑張ろ……榊くん、携帯鳴ってないかい?」
店長に言われ、ポケットに入れていた携帯電話から着信音が流れていることに気がつく。
この携帯に電話がかかってくるなんて珍しい。ルイからの連絡もメッセージ(の連投)だもんな。
相手を確認すると、これまた珍しい人物である。着信の画面には、"小柳"の名前が表示されていた。
「どうしたんだい、榊くん? 出ないの?」
「あ……、そうですよね。電話がかかってきたら、出るもんですよね」
通話が不慣れということもあるが、何より女子との電話なんか人生で初めてだ。
俺の女性とのファーストテレフォンを、こんな微妙な感情で迎えてよいものかつい葛藤が走ってしまった。
しかし、わざわざ電話をかけてくるなんて急用なのだろう。俺は生唾を飲みながら応対ボタンを押す。
「はい、榊ですが……」
「き、金之助さんですか! たす……助けてください!」
通話先の声は紛れもなく小柳さんであったが、様子がおかしい。
助けを求める声は、電話越しでもわかるほど切羽詰まっていた。走っているのか、通話口から風を切る音も入ってきている。
「ど、どうしました? 大丈夫ですか?」
「だ、大丈夫じゃないです! 今追われてて……何!? 早すぎっちゃろ、あの子!」
……なんだ?
誰かに追われているようだが、本人も焦っているのかイマイチ状況が伝わってこない。
「落ち着いて下さい! 今どこにいますか!? 今いる場所わかりますか!?」
「わ、わからんち。けど、とりあえず丸山動物病院……い、いや……来ないで。きゃああああ!」
小柳さんの悲鳴と共に、ブツリと電話が切れた。今まで経験した事のない状況に俺は呆然とする。
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