第25話 この黒髪大和撫子、一騎当千だってよ
音痴だ。
正確に言うと、ド音痴だ。
もっとさらに正確に言うと、音楽の歌のテストで一人前に出て歌った時、女子の大半が顔をしかめ、中には泣き出す子もいたレベルの音痴だ。
もっと更に色々と説明すると、俺は音楽が嫌いだ。かっこいいヤツがかっこよく楽器を弾き、魅了する声で愛やら友情やらを歌われても全く共感できないからだ。
こんな腐った考え方は、豚野郎特有の偏ったどうしようもない思考回路とただの嫉妬であることも自覚している。
だから、音楽をやる人を非難している訳ではない。好きに歌い、好きに奏で、自分のアイデンティティとやらを表現するのは素晴らしいことなのだろう。
俺は豚野郎らしく爪を噛み、耳を塞いでいるさ。ハッハッハ。
「ブゴー、ブブギョー♪ フブギー♪」
ただ、豚のアイデンティティなどは誰も求めていない。
前言撤回しよう。好きに歌い、好きに奏でろとは言ったが、マサルお前はダメだ。理由は単純になんかすげえムカつくからだ。
快晴の休日。俺は気分も晴れやかに街に繰り出した。
特に用事があったという訳ではない。出不精の俺が街にブラリと繰り出すなんて極めて珍しいことなのだが、気分が高揚していたのだろう。
というのも、少しずつ起きてきた日常の変化に疲弊しつつも、俺は潤いを感じていた。何もなく惰性で生きてきた日々に不意に現れた非日常は楽しかったのだ。
非日常というのはマサルのことではない。多分、普通の人が普通に行っていたことだ。
メールのやり取りをする。友達とダベる。バイト場で談笑する。そんな普通は俺にとっては全て新鮮だった。
要するに俺は調子にのっていたのだ。勢いづいてきた俺の人生に、この先どんな良いことが起きるのだろうと全く根拠のない希望を引っ下げながら、散歩に出たのである。
駅前まで歩いて行くと、遠目で人だかりを見つけた。10人程は集まっている。
猿の回し芸でもやっているのだろうかと、普段であればスルーする人混みに俺は近づいていった。今なら穏やかな気持ちで楽しめる気がしたのだ。
しかし、そんな俺の心の余裕はその人混みに近づくに連れ一気になくなった。その理由は単純で、ギターの音が聞こえてきたからである。
前述した通り俺はあまり音楽を好まない。駅前で弾き語りをする夢追い人のアイデンティティを受け入れられる程、俺はまだ成長できていなかったようだ。
足を止め別の方向へ向かおうとした時、ギターと共に聞き慣れた声……いや、聞き慣れた鳴き声が聞こえてきた。
「ブゴーブブギョー! ブギギーブゴー!」
"みんなのってるかー! 最高に楽しんでくれよー!"と言わんばかりのノリノリの鳴き声の元に駆けていくと、案の定そこにはギターをかき鳴らす豚がいた。
何をやっとんのじゃ、アイツは。お前は前脚の構造的にギターなんか弾けちゃいけないんだよ。改めて摩訶不思議を認識しちまうじゃねえか。
「ブゴー、ブブギョー♪ フブギー♪」
そして、この歌である。いや、とても歌などと言えるものではない。奏でられるギターに対して、音程もクソもなくただ豚がノリノリで鳴いているだけだ。
まあ、豚がギターを弾きリズムに合わせ鳴く芸など、俺の常識で見れば猿の回し芸なんかより物凄い事である。
しかし、この集まってる人々は普通に弾き語りの見物人としているのだろう。あんたら、こんな雲一つない晴れやかな日に豚の歌聴いてていいの?
(すげえな……)
(ああ、なんつーか……魂に響いてくるな)
(くっ……目から感情が溢れてきちまう)
いいみたい。むしろ、有意義な時間を過ごして頂いてるみたい。
相変わらず不可思議な世界だ。おっちゃん涙ぐみながら頷くなよ。マジで頭おかしい人にしか見えないんだよ。
まあ、いい。とりあえず今日はマサルと関わる気分ではない。俺は素敵なサムシングを探すのに忙しいのだ。
ため息をつきつつ鬱陶しい鳴き声から離れるように歩みを進めると、視界の端に違和感が走った。
俺は振り返り、その感じた違和感を観察する。そこにいたのは人間の女性であった。
年齢は俺と同じくらいだろうか。肩まで伸びた真っ直ぐな黒髪に、少しキレ長の瞳を持った和風な顔立ち。服装も含め、やや古風な雰囲気を持っている。今時とは少しズレた外見でありつつも、大和撫子という言葉がしっくりくるおしとやかそうな女性だ。
では、俺が何に違和感を持ったのかというと、そんな外見をした女性が口をあんぐりと
大きく開き、鼻からは少し汁を垂らし、美人な顔を大きく崩しながら明らかな衝撃を受けていたのだ。
女性は周りをキョロキョロと見回し、"えっ…? えっ…?" と物凄いキョドりを見せている。
その女性を見て、俺は何に驚いているのか最初は理解が出来なかった。大きな虫でもいたのかとそのままスルーし歩き出したのだが、ある可能性が頭をよぎり歩みを止めた。
というのも、彼女が驚きを示していた視線の先にはマサルがいたからである。
俺以外はマサルを日常と捉えるものだと決めつけていた分、反応するのにラグが出てしまった。
急いで再度振り返ると、彼女は変わらず焦りながら何やら一人でブツブツと呟いていた。
「いや、ありえんありえん……なんねあれ。豚やろ……。なんでみんな普通にしとんね? 都会の人間はみんな頭おかしいんか……?」
……間違いない。なんか見た目と反して結構ドス黒い声で訛りながらごちゃごちゃ言っているが、マサルの事を異常だと感知した反応だ。
俺はそのまま女性に必死に駆け寄り、声をかけた。
「す、すいません!」
「あん? あ! ……えっとおー、はいー。えっとーおー、なんですかー?」
いやいや、声質変えてまでおっとり系のキャラ作るな。さっきまでの反応全部見てたから、申し訳ないけどそのキャラ作り無駄になっちゃってるのよ。
「あのおー、ちょっとナンパとかはごめんなさいー。私ー、男の人って慣れてなくてー」
「いや、そうじゃなくて……」
「お兄さん素敵だからー、私なんかよりもっと素敵な人が見つかると思いますよー? ではっ!」
女性はくるりと方向転換し、俺から離れるようにツカツカと早足で歩き出した。
人生初めてのナンパに失敗した感覚を覚え挫けそうになりながらも、俺はこのチャンスを逃すことは出来なかった。
俺と同じ感覚を持った人と出会うことなんて、この先あるかどうかわからない。俺は必死に追いかけ、離れていく女性の手を掴み引き止めた。
「まっ、ちょっと待って……!」
その瞬間、女性は物凄い形相を浮かべ振り返る。それが俺の覚えている最期の記憶だ。
「……いっ、いやぁあああああー!」
女性が叫び声をあげると同時に顔面に物凄い衝撃が走り、痛みを感じる前に目の前が真っ暗になった。
調子にのっていた報いというものだろうか。やはりこの世界には、そんな簡単に心を許すものではなかったのかもしれない。
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