♯1 日常

 起床のサイレンが鳴り響き、僕は眠りから覚めた。軋むベッドから下りて、洗面台で顔を洗う。壁に備え付けられているセンサーに手の平を向けると、中からほんのり焼けた食パン二枚とトマト、グラスに注がれている水が出てきた。いつもの朝食メニュー。


 食べ終えると、薄緑色の作業着に着替えて鉄格子の前に立つ。センサーが反応し、鉄格子がゆっくりと上下に収められていく。廊下に出て左右を見渡すと、他の人たちも檻の中から続々と出てきていた。


 部屋は全員決まっているので、近くに立っている人たちの顔は見慣れている。性別や年齢は様々だが、皆一様に生気のない表情で正面を見ている。きっと僕も同じ目をしているだろう。

 沈黙の時間が続く。

 誰も何も喋らない。

 喋る話題など、何ひとつないから。


 廊下の奥から、全身真っ白のアンドロイドが歩いてきて、僕たちを一人ずつチェックする。人数が足りているか、健康状態はどうか、違反する物を持っていないか、それらの確認。


 僕の正面にアンドロイドが立ち、確認を始める。僕はじっとアンドロイドを見つめる。

 世界が平和だった頃に作られたアンドロイドは、見た目が人間そっくりだったが、今僕の眼前にいるアンドロイドは全身が真っ白で、髪の毛はなし。目と口、そして耳は付いているが、全てのパーツが平面的だった。

 この真っ白なアンドロイドは、全てAIが作っている。人間に気に入られる必要はないから、簡素な外見にしているのだろう。


 アンドロイドの手には、レーザー銃が握られている。逆らうような言動を取れば、容赦なく撃たれることになる。レーザー銃の威力は絶大。撃たれれば、確実に死ぬ。僕は何度か、その光景を目にしている。他の人たちも一度くらいは見ていると思う。


 犬は恐竜に勝てない。


 そのことを理解したから、今ではもう、誰も逆らう人間はいなくなった。

 廊下に並ぶ全ての人間のチェックを終えたアンドロイドが、僕たちに向かって「進め」と命令する。言われたとおり、僕たちは前進し始めた。


 一糸乱れぬ無言の行進は二、三分ほど続き、やがて《作業場》に着く。僕たちと同じように、四方八方、別のエリアからも大勢の人たちが姿を現わし始めていた。


 大人数で行うスポーツが複数できるほどに、作業場はだだっ広い。

 どのくらいの人たちがここで作業させられているのだろう。五百人か、七百人か、もしかしたら千人を超えるかもしれない。

 

「それぞれ持ち場につけ」

 アンドロイドに命令されて、僕たちはそれぞれの持ち場に歩いていく。


 僕のしている作業は、無数に流れてくる部品の中から、アンドロイド作成に使えそうな物があるかどうかを判別すること。流れてくる部品の多くは、エイリアンに破壊されたアンドロイドの物で、破損が激しい。たまに、まだ使えそうな物があるので、それを見つけたら手に取って箱の中に入れる、というのが僕の仕事になる。


 作業内容は人によって違う。技術のある人だと、アンドロイドの身体を作ったり、エイリアンを倒す武器を作ったりするレーンに配属される。僕にはそれだけの技術がないので、単純作業の持ち場に固定されている。

 

 本来なら、僕たちがやっている作業は、AI自身でした方が圧倒的に早く済むはず。しかしそれでも僕たちに作業させるのは、奴隷として見ているからかもしれないし、他にやらせることがないからかもしれない。たぶん、どちらも真実だろう。


 誰一人、私語をせず、黙々と手を動かし続けている。その様は、感情のない機械のよう。そんな僕たちの周りを、アンドロイドたちが歩きながら監視している。昔の人が見たら、どちらが機械かわからないと言うかもしれない。


 作業場にブザーが鳴り響いた。続いて「昼食の時間だ。前に進め」というアンドロイドの声が響き渡る。

 僕たちの目の届くところに、時計はない。作業場には窓もないので、今が昼か夜かもわからない。だがアンドロイドが昼食の時間だと言っているので、きっと今は昼なのだろう。


 レーンのあいだを抜けて端まで歩くと、テーブルの上に食べ物が無造作に置いてある。

 定番の食パンや乾パンの他には、焼いたとうもろこし、じゃがいも、トマトや胡瓜などの野菜。今日は珍しく、おにぎりがいくつか置いてあった。今では、米は貴重な食糧なので、たまに出される米は早い者勝ちとなる。


 ただしおにぎりを一個取ると、他の食べ物はあと一個しか取れなくなる。おにぎり以外なら四つまで取っていいので、腹を満たすか美味しさを求めるか、悩む者も結構いた。


 僕は迷わず乾パン二個と、焼きとうもろこし、トマトを手に取った。おにぎりは魅力的だが、腹を満たす方を選択した。

 最後に水の入ったグラスを手に取り、僕は奥の方に進んで行く。ほとんどの時間を作業場と鉄格子の中で過ごす僕たちに取って、昼食の時間と夕食の時間だけは、自由に動けるひと時だった。

 もちろん、アンドロイドの目の届く範囲だけしか移動できないが。


 母親の姿が目に留まった。僕は足を止めて「おはよう」と声をかけた。

 もうおはようという時間ではないのだろうが、この声掛けをルーティーンにしている。

 長椅子に座ってパンを食べていた母親が顔を上げた。僕を見る時だけ、母親の目に元気が戻ったように見える。

「しょ……ここに座りなさい」

 母親は自分の隣をぽんぽんと叩いた。僕はそこに腰かける。


 今、母親は僕の名前である『翔』と言いそうになっていた。

 どんなに気を付けていても、今のように、たまに母親は僕の名前を呼びそうになる時があった。

 しかしここで名前を呼ぶことは禁止されている。誰かを呼ぶ時は、番号のみ。親を呼ぶ時も、父さん母さんと呼ぶのは禁止。それが、AIが僕たちに課したルールだった。

 

 なぜAIが僕たちから名前を取り上げたのかはわからない。

 始めのうちは、人間を囚人のように扱いたいのかと考えていた。AIの方が主で、人間の方が奴隷だと、そういう意識を植え付けて洗脳したいのかと。あるいは、今まで都合よく扱われてきたことに対する意趣返し。


 しかし、もしそれが正解だった場合、AIに自我が宿っているということにならないだろうか。僕はAIに関して詳しくないが、洗脳とか復讐とか、感情が宿っていないと出てこない思考ではないだろうか。

 それとも、単純に、ボードゲームのようにそうするのが最善だと計算しているだけなのだろうか。

 どれだけ考えても答えは出ない。


「久しぶりにおにぎりがあったけど、取らなかったんだ」

 僕は母親の取った食べ物を見ながら訊ねた。

「取ろうと思ったんだけど、迷ってるあいだに無くなっちゃってたのよ」

 母親は笑いながら乾パンを食べる。

「少し寒くなってきたから、温かい物が食べたいな。うどんとか――」

 と、そこまで話したところで、僕は腕を小突かれた。

 見上げると、アンドロイドが立っていた。

「不満を言うな。懲罰にかけるぞ」


 名前で呼ぶことを禁止されているように、ここでは他にもいくつもの禁止事項が存在する。

 AIの悪口や、作業への不満、食事の少なさへの愚痴、そういったネガティブな発言は全て禁止。違反すれば、懲罰の対象になる。

 僕はまだ懲罰にかけられたことはないが、対象になった人を見ると、身体への暴力を受けるようだった。


 温かい物が食べたい、というのが愚痴に聞こえるのか。今更だが、本当に制限だらけだ。本当に、今更だが……。


「すみません。息子は麺類が好きなので」

 慌てた母親が、僕を庇うように腕を伸ばしている。

「こいつは息子ではなく、107番だ」

 不快な電子音のような声で、アンドロイドは注意する。

「ああ、はい、すみません。107番は、昔から麺類が好きなので」

 母親は、アンドロイドの機嫌を取るかのように言い直した。

「お前たちに要求する権利はない。出された物だけを食べていろ」

「はい。わかりました」

 注意を終えたアンドロイドは、再び巡回に戻っていった。


 近くにアンドロイドがいない時に、注意されるようなことを小声で話しても、奴らは素早く駆け寄って来る。正に地獄耳。きっと髪の毛が一本床に落ちた音や振動さえも探知できる機能が備わっているのだろう。


 庇ってくれてありがとうと僕が礼を言うと、母親は少しだけ口角を上げて頷いた。


 短い昼食時間――体感で三十分くらい――を終えると、みんなそれぞれの持ち場に戻っていく。

 僕も持ち場に戻ろうと、立ち上がった時、母親が僕の右手を握った。

 そのまま手の平に≪しょう≫となぞった。

 母親はたまにこうやって僕の手の平に名前を書く。他にも、思いを伝える時はこの方法を使っている。今のところ、バレていない。

 僕はにこりと笑い、またあとでと言って持ち場に戻った。


 単調な作業をずっと集中してするのは難しい。立ったまま眠りそうになったことは一度や二度ではない。特に昼食後は強い睡魔が襲ってくる。そういう時は、注意されない程度に、周囲を見回して気を紛らわせることにしている。


 作業場には、見える範囲だけでも三十体以上のアンドロイドがいる。中二階の廊下にも、こちらを見下ろす恰好で十体以上のアンドロイドたちが監視している。

 この数は、あくまでも見える範囲だけのものであり、実際にはこの数倍のアンドロイドがこの建物内にいるだろう。

 ここには二階もあるが、僕は一度も上がったことはない。恐らく、人間で二階に上がった者はいないのではないだろうか。だからそこに何があるのかはわからないが、そこにも多くのアンドロイドがいると思われる。


 これだけのアンドロイドに監視されているので、これまで一度たりとも脱走を考えたことはなかった。一人じゃ絶対に無理だし、ここにいる人間全員が協力して反乱を起こしても、たぶん十分も経たないうちに制圧されるだろう。一体で数十人を倒せるであろう屈強なアンドロイドは、レーザー銃も持っている。丸腰の人間が束になってかかっても一体も倒せない。


 ただ、これだけ大勢の人がいるのだ。中には、ここからどうにかして脱出しようと計画を練っている人もいたかもしれない。僕には思いつかないような斬新な発想で、脱出の可能性を高められた人も、もしかしたらいるかもしれない。


 でも、きっとその人は、今ではもうここから出ようとは微塵も思っていないはずだ。奴隷のような生活だったとしても、ここに居れば殺されることはないのだから。


 だが、外に出れば、数分も経たないうちに殺されるかもしれない。


 ある日突然、地球にやってきた凶悪なエイリアン。

 人間を生きたまま食べることを極上の喜びにしている凶悪な生物が、外の世界で跋扈ばっこしている。そんな奴らがいる外の世界に逃げたところで、希望などない。生き延びるためなら、AIの≪保護下≫に身を置いていた方がいい。

 それに、エイリアンさえもバラバラにしてしまう【未知の何か】もいるようなので、尚更外には出たくない。


 そんな風に、エイリアンや外の世界のことを考えていると、父親の顔が脳裏に浮かんできた。


 元警察官の父親は、体力と射撃能力の高さを買われ、≪エイリアン討伐隊≫のメンバーに選ばれた。

 エイリアンの肉体は鉄のように硬いとされているが、支給される武器は高性能であり、アンドロイドとの共闘なので、父親はこれまで何匹ものエイリアンを射殺したと話していた。


 ただ、毎回無傷で帰ってくるわけではなく、いつもどこかに傷を負っていた。重傷ではないのが救いだったが、この戦いがいつまで続くかわからないので、常に不安とともに過ごしていた。


 その父親に関して、僕の中で少し不安が芽生えていた。


 いつもなら、僕が三回から五回眠りに就けばエイリアン討伐隊は戻ってきていたのだが、父親たちが外に出て行ってからもう僕は七回眠りに就いていた。過去、こんなに戻りが遅かったことはない。何かあったのではないか。どうしてもマイナスな思考になってしまう。


 戻ってこないエイリアン討伐隊の中には、僕にとって大切な人がもう一人いる。

 僕の唯一の友達である、陸。

 世界がこうなってしまう前、小学校で同じクラスだった友達。当時から陸は運動神経抜群だった。だからエイリアン討伐のメンバーに選ばれてしまった。


 父親と陸は無事なのか。情報を教えてもらいたかったが、AIが人間に何かを教えてくれることはほとんどない。だからきっと訊いても何も教えてはくれないだろうと諦めていた。


 父さん。陸。無事に戻ってきてくれ。

 僕には祈ることしかできなかった。


 今日の作業の終了を知らせるブザーが鳴った。

 これから、夕食の時間。

 夕食も昼食の時と同じように、テーブルの上に無造作に置かれた食べ物の中から選ぶことになる。ただ、夕食は、昼食時よりも食べ物を一つ多く取っていいことになっていた。この時間が一番腹が減ると、AIもわかっているのだ。それを優しさと取るかどうかは、その人次第だろう。


 アンドロイドに注意されないような話をしながら、母親と夕食を食べる。食べ終わると、朝ここにきた時のように、同じエリアの人たちと一緒に部屋に戻った。

 室内に入ると、鉄格子が重い音を立てて閉まる。

 部屋の中に備え付けてあるシャワーを浴びて、一日の汚れを落とす。そのあとベッド上に座り、傍らに置いてある本を手に取った。


 読書。それがここでの唯一の娯楽。

 僕が物心ついた時には、ほとんど目にすることがなかった紙の本が、この建物には多くある。辞書も置いてあって、僕はその本で多くの言葉を覚えた。


 元々は、ここに紙の本なんて置いてなかったのだが、あるアンドロイドが国会図書館から持ってきてくれたのだ。


 AIが作ったアンドロイドと違い、今は外に出ている人間が作った二体のアンドロイドは、僕たちに対して優しさを見せてくれていた。その二体のアンドロイドが、人間に読書することを許可してくれたのだ。


 今僕が読んでいる本の内容は、人間とアンドロイドの友情物語。今から一〇〇年ほど前に書かれた小説。読みながら、こんな世界に戻ってくれないかなという思いに包まれる。人間とアンドロイドが、仲良く暮らせる世界。平和で、温かった世界。

 でも、きっともうそんな世界には戻らないことも理解していた。

  

 やがて明かりが消え、就寝の時間になる。

 眠りに落ちる時、僕の頭には父親と陸の顔が浮かんでいた。

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