★魔女の家
丘を下るとすぐに住宅街が目の前に広がった。
先に行って待っていたユキタが、十字路の真ん中に立っている。私は彼に向かって叫んだ。
「もう少し手加減して走って!」
「どうつらら。こんな家とかは?」
完璧に無視された。む、としかめっ面になりかけたけれど、横にあった建物を見上げてみればそれも吹き飛んでしまう。そこにはこぢんまりとした木造の家があった。
「ロータスが気に入った、って言ってたでしょ。それに似たものがあったから」
焦げ茶の壁に板チョコのような扉。背も低く全体的に小さいけれど、どこか暖かみのある建物だ。違いと言うならば、庭がないことくらいかな。
「良いおうちだね!確かにロータスに似てるかも。中は見られないのかな」
「鍵がポストに入ってる。それで入れるけど、入ったら契約完了したことになっちゃうみたいだね」
ユキタがパンフレットを覗きながらそう言う。
つららは、少し首を傾げると、おずおずと手を上げた。
「……あの、とてもいいと思うんですけど……ぼくは庭のある家にしたいです。植物が好きなので」
「そうなんだ、園芸とかするの?」
「いえ、ちゃんとしたことはないんですけど……やってみたいなって」
私が訊くと、つららは顔全部を赤くして頭をかいた。植物を愛でる小熊の映像が頭に浮かぶ。似合いだ。めちゃくちゃ似合いの趣味である。
「それじゃ、庭付きの家じゃないとね!皆で手分けして探そうか――」
言いながら振り向いて、ぎょっとする。
ユキタが兎の顔を覆って俯いていた。
「どうしたの!?」
「ゆ、ユキタさん……!?」
おなかでも痛いのかと駆けよると、「また……」と小さく呟く声が耳に届く。
「またやっちゃった……また余計なことを……」
そっちか、と、私はちょっとほっとする。ほんとに体調が悪いのかと思った。もう二度と、あの事故みたいなことは起こしたくない。
「……そもそもつららの住む家だもんね。僕が選ぶのは間違いだ……」
いつもより低い声で言うユキタに、私はなんとなく不安になった。思い返せば、私が田んぼで泣いたときもこんな風になっていた気がする。
翔くんは世話焼きだけど、それは全部翔くんの優しいところから来るのに。
――どうして、自分でそんな風に言ってしまうんだろう。
「ぼ、ぼく、そんなこと気にしてませんよっ」
かける言葉を見つける前に、つららがそう言った。つららは両手をきゅっと握り締めている。
「むしろ、ぼくはユキタさんに助けてもらっていますし。その、余計なことなんかじゃ、全然ないです」
「……そうだよ。ユキタの世話焼きなんて、今に始まったことじゃないし。私はいっつも助けられてるんだけど?」
言いながら、私は密かに自分の掌に爪をたてる。
……駄目だなあ、私。
ユキタが……翔くんが落ち込んでるのに、自分では何も声をかけられなかった。そんなだから、私はゆかりたちと上手くやれないんだ。
「ぼく、次はあっちを見に行きたいです。一緒に、来てくれませんか」
つららの言葉に、ユキタはほんの少しだけ顔を上げた。
歩いているうちに、ユキタはいつもの調子を取り戻したみたいだった。
「こういうところもいいですね」
「じゃあ候補その一、パンフレットの地図に印つけとこうか」
「はい!」
普通に話して、普通に笑っているようだけど……私はふい、と顔を背ける。
あれは絶対嘘だ。絶対、まだ翔くんは引きずってる。
……だけど。なんとか言ってあげたいけど。翔くんがああもうまく隠してしまうなら、なにか言うこともできない。私が踏み込んでもいいものか、わからないから。
ヴェイグにいれば――翔くんの体が元に戻れば、私もちゃんと話ができるようになるんだろうか。
私は小さく頭を振る。ああもう、どうしたらいいのか分かんなくなってきた!
いやになって目線をわざと上げると、街路樹のように静かに立ち並ぶモノトーンの家が目に入る。この辺りは白黒や茶色の屋根の色が多い。さっき見ていたところは暖色系が多かったんだけど……蛍石さんが屋根の色を決めろ、と言ったのはこういうことなのかな。
私達三人はその通りを歩いていく。不思議なことに人っ子一人いない。こんなにいいお天気なのに!
しかし、こう見ていると面白い。道路を挟んで並ぶ家々は、それぞれまったく違うテイストなのだ。
こっちは円形の近未来っぽいデザインで、その隣は純日本家屋、縁側もあれば庭には盆栽が並んでいる。かと思えば、その横には軽い色合いに高い塔まであるお城のような洋館も。まるで、一区画ごとに別世界が並んでいるような感じだ。
「ここなんかいいよね。異国の貴族が住んでそうじゃない」
私が洋館を覗き込むと、突然目の前に黒いビー玉のような瞳が現れた。
「うわっ!」
思わず飛び退く。目の前には、麦わら帽子を被ったおばあさんが!
「どうしたの、綾」
「きゅ、急に人が!……あれ?」
私が大声で叫んでも、おばあさんは微動だにしない。それどころか、まばたきすらしていなかった。
ていうか、ビー玉のような目、というより、本当にビー玉の目なんじゃ……?
「綾、そのおばあさんは案山子だ」
「案山子⁉こんな洋風の建物に?というか、畑もないのになんで!」
「あ、案山子はかなり人気だそうですよ。防犯にいいですし、何より、本物そっくりなので。パンフレットにかいてあります」
「本物そっくりにも限度があるでしょー!」
私はおそるおそる案山子の手に触ってみる。すぐに手を引っ込めてしまったのは、思ったよりも本物の人間みたいな感覚だったからだ。
「怖い……今にも動き出しそう。夜中に町を徘徊していそう」
「言えてますね。たまに、魂が入って動き出す案山子もいるので注意、とありますよ」
「なにそれ、まんまオカルトじゃない……」
もしかして、蛍石さんの先代の案山子がいなくなったのはこのせい?今もどこかをうろついているのだろうか。……やばい、嫌なこと考えちゃった。
ぶるぶるっと頭を振ると、周りの家々の案山子とばちばち目が合う。家のどこかに必ず潜んでいるみたいだった。案山子に観察されてるみたい……それはそれで嫌……。
そのとき、ふいに目の端に鮮やかな緑が飛び込んできた。その次に黄色、赤、白に桃色と、水彩画のような淡い色がびっくり箱のように弾ける。
そこは、煉瓦でできた小さな家だった。小人が住んでいそうな可愛らしいデザインに、小さくとも植物の溢れる庭。何より壁を伝う濃い緑の蔦が目を引き、花々の咲きみだれる屋根はお伽噺のような雰囲気を柔らかく敷地中に満たしている。
「――ここ、良い」
どきん、と胸が高鳴りはじめる。優しい魔女が住んでいそうだ。ああ、絵を描きたいな。絵の具を水でぼかしながら使ったら、こんな明るい庭が描けるだろうか。とにかく、手放したくない。私が住むのは似合わない気がするけど、つららが住むのは簡単に想像できる。花に囲まれのんびりと水やりをする子熊の姿。きっと童話みたいになる。
「綾ー、なにか見つけた?」
ユキタの声ではっとした。長いこと立ち止まってたようで、二人は随分先を歩いている。
私は二人に向かって大きく手を振った。
「ねー、ここにきれいな家があるよー。つらら、ここなんてどう?」
「どれですか?」
つららが駆け寄ってくる。ほら、とあの家を指差すと、つららはなぜかぴたりと足を止めた。
「……綾さん?」
「ん?どしたの」
つららは訝しげに私に目を向ける。あれ、気に入らなかったかな?
「……どこのことですか?」
「え。どこって」私は煉瓦の門柱に手を当てた。
「この家だけど。花もいっぱいあって、ぴったりじゃない?煉瓦造りもお洒落だし」
「えっと……」つららは首を傾げた。怪訝というより困惑しているように眉を寄せる。
「そんな家、ここにはありませんよ?」
進、と一瞬沈黙が下りた。
「えっ」ちょっと噴いてしまった。「からかってる?ここにあるでしょ、私ちょうど門柱に触ってるくらいだよ。え……見えてない……?」
足元がぐらついた。まさか、私にしか見えてないなんてこと、あり得るの……?
急に、触れていた門柱が氷の塊みたいに思えてくる。触り続ければあっという間に溶けて消えてしまいそうな。背筋が薄ら寒くなって、慌てて飛び退く。
「――なるほどね。綾にしか見えない家か」
ユキタがすすと歩み寄ってきた。一度家の方を見上げると、手を握り締めながら見守る私に赤い目を合わせる。少し笑ったみたいだった。
「綾が見てるのは、魔女の家かもね」
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