★家探し
井中まち駅の駅舎を通り抜け、線路をまたいだ向こう側に、十沢町は広がっていた。
「ふおわああ、広い広い!」
「ヴェイグの南半分は全部十沢町だからね」
「見てください、靄の端まで家が詰まってますよ!」
私達は駅の近くにあった小高い丘から町を眺めている。
これがまた、絶景という訳ではないけれど壮観な眺めなのだ。見渡す限り家しかない。視界の端から端まで家、家、家!
現実世界じゃ絶対にあり得ない光景だ。一つの家と家の間には歩道くらいの広さの道があり、それが碁盤の目のように並んでいる。一マスごとにカラフルな家が建ち、なんだかチェス盤にびっしりと家のコマが並んでいるようにも見える。
作りものみたいだけど、一応は何人かの透明人間が通りをつつと滑るように歩いている。確かに人が暮らしているのだ。
「ええと」とユキタがまず歩を進める。側にぽつんと立っていた銀色のポストみたいな物から紙を一枚取り出して戻ってきた。
「これだね、案内図」
差し出されたのはパンフレットだった。
「まずはどの地域に住みたいか決めないといけないんですよね」
つららが受け取って紙を広げる。
パンフレットには十沢町を拡大した地図が載っている。近くにある駅によって四つの地域に分けられるようだ。
「えっと?便利なのは十海駅近くの十海地域。辺境だけど人が少ないのは川上付近……」
「ぼくはこの辺りでいいですが……ロータスに近いので」
「ロータス気に入ったの?」
「はい!あそこのカフェオレは絶品です!」
にこにこするつららの手元を覗き込む。地図には大体百戸ほどの家が並んでいた。
「良いところがあると思いますか?」とつらら。
「人口は五十人くらいしかいないから、殆どの家が余ってるんじゃないかな。好きな家が見つかると思うよ」
「え、逆に、選択肢多くない……?」
「蛍石さん、なんて言ってましたっけ……」
私は昨夜のことを思い返す。ロータスを出る前――私が昨日目覚める前に、蛍石さんから家の探し方を教わっていたんだった。
「家をお探しになるのなら、暮らしたい家のサイズを決めておくと良いですよ。あとは屋根の色ですね」
蛍石さんがカウンターからそう声をかけた。
「や、屋根?ですか?」
ちょっと声が裏返ったつららに、蛍石さんは小さく頷く。
「駅からの距離で家の大きさが決められているんですよ。駅に近いと小さめの家で、ちょっと不便だけど遠くに行けば大豪邸に住めるという訳です」
「ご、豪邸はちょっと……ぼく一人しか住まないんですし、絶対持て余しますっ」
「なら決まりだね?要するに駅チカだ」
あやうく噴き出しそうになった。なんでそんな大真面目に言えるの、ユキタ……。
「で、でも……それだけでどうやって家を探せば良いんですか?おすすめの物件はこちらです、とか言ってくれるんでしょうか」
「残念なのですが」
蛍石さんが珍しくにっと笑う。……嫌な予感がした。
「そこまで決まったなら、あとはフィールドワークしかありませんね。好きな家が見つかるまで歩いて、探してください」
「えっ――」
私とつららは顔を見合わせた。
「も、もうちょっとデジタルな方法はないんですか?希望の条件を示せば良い家を紹介してくれるとか、不思議な力でばーんドーンとか……」
「夢を見てはいけませんよ、綾さん。ここにはそんな力はおろか電子機器すらろくにありませんからね」
「え、嘘でしょ⁉蛍石さん料理に電子レンジとか使わないんですか⁉」
「ミキサーならありますが……これは貸出屋に頼んで作ってもらったものなので、例外でしょうね。あの人に頼むか……ほとんどあり得ませんが、現ナマに頼らない限り、ここで機械を手に入れることは不可能です」
私は思わずどっかと背もたれに身を預けた。うっかり現ナマに反応してしまいそうだった。危ない……また追いかけられるのは御免だもの。
それにしても貸出屋さんってすごいな。何もないところから機械を作ってしまうなんて……。
つららはというと、まだ納得がいっていないようで拳を握り締めている。気持ちは分かる。私もちょっと期待していた部分はあるし。
「不思議なパワーもないんですか?ここ異世界感が凄いですよね?」
「そんなものは……聞いたことないですね。現ナマに妙な力があるなんて噂を聞くことはありますが、そもそも存在しないなら確かめようもないですし」
「えっ」
思わず声を上げてしまって、口に拳をつける。蛍石さんは一瞬こちらを見たけれど、何も言わずに手元に目を戻した。さっきから何か作業をしているようだ。
「ヴェイグがどこにあるかなんて、わたしにも分かりませんからね。地図の上にないことは確かですが」
言ってから、蛍石さんは私たちのテーブルに歩み寄った。
「だからこそここでなら、他人を気にせずやりたいことを何でもやれる」
そうして、なにか大切なものを見せるみたいに、両手を開いた。
「わぁ……!」
「ほんのささやかなものですが、わたしから新入りの二人にプレゼントです。二人のここでの生活に、幸、多からんことを」
蛍石さんの手に乗っていたのは、綺麗にラッピングされた丸いチョコチップクッキーだった。
「美味しそう……」
「いいんですか?いただいても」
「勿論。まだ焼いてそんなに経ってませんから、一番美味しく食べられると思います」
「やったぁ」
うきうきと包みを受け取る私に対し、つららはクッキーを見つめて何か思い悩んでいるようだった。そんなつららを、蛍石さんは微笑みながら見守っている。
「あの……」
「どうされましたか」
つららがぎゅっとクッキーを握り締める。
「ぼくも、ここで上手くやっていけると、思いますか」
蛍石さんは少し目を細めた。優しい顔になって、大きく頷く。
「心配する必要はありません。ここに、あなたのことを知っている人は一人もいない。その代わり、皆あなたの気持ちが解っている。そうでなければここに呼ばれていませんからね。
だから大丈夫。あなたはあなたのまま、ここで生きていけます。ヴェイグは、そういう場所です」
……そうか、と、何故か聞いている私の方が腑に落ちた。
そうか、ここの人は、私の人と話すときのあのキリキリと走る痛みを、解ってくれるのだ。
だから、あんなに人と接するのを怖がるし……蛍石さんみたいに、柔らかい会話ができるのか。
ふっと、息が楽になった気がした。
つららが顔を上げる。
「蛍石さんも、ヴェイグに来て……自由に、なったんですか?」
蛍石さんは一瞬、きょとんとした。
しかしすぐに、淡い笑みを浮かべる。
それは花矢さんの話をしていたときのものに似た、どことなく切なげで苦しそうな笑顔だった。
「そうですね。ここのために切り捨てたものも沢山ありますが。……結果的には、ここに来た方がずっと上手く回っていると思っていますよ」
「……フィールドワークするしかないんでしたっけ」
「十沢町こんなに広いのに!」
「やっぱりこういう世界には魔法の一つや二つ必要だと思うんです」
「そうだね。つまり、自分の住む家は、自分の足で探しに行けってことじゃないかな?」
兎の赤い目が微動だにせず無感動にそんなことを言う。肩が揺れているので笑っているようだ。ひどい!
私とつららは同時に溜息を吐いた。
「なんだか気分が台無しです」
「私も。しょうがない、とりあえず探しに行くか」
「はい……」
「小さくていいなら駅の近くを探そう!」
そう言うやいなや、ユキタがさっと兎のように跳んでいってしまった。
「足速っ、兎だからすばしっこいのかな」
「置いてかれちゃいますね。急ぎましょう!」
つららが走り出し、私もその後を追った。
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