★現ナマ

 びっくりした。足音一つなかった。いつ来たんだこのお爺さん、さっきまで私達しかいなかったのに!

 腰は曲がっていないけれど、髪は真っ白で顔も皺だらけ、ちょっと年齢不詳だ。見た感じ九十歳くらいなのに、にまにまと不気味な笑みを元気よく浮かべている。

 何より不気味なのが、五十個くらいのお面を全身にくっつけているところだった。

 腕とか足とか場所を問わず全身に付いた、目の部分だけぽかりと空洞のお面と、にまにま笑う白髪の老人。

 音もなくいつの間にか近づいてきていた、というのもかなり不気味……ていうか、話、聞かれていたんじゃ。

 固まる私を面白がるように、お爺さんはじろりと私達を眺める。

「ははぁ……成る程。嬢ちゃん、ここに来るのは初めてだね。ユキタに拾ってもらったのは幸運だったなぁ」

 ……ユキタ?

 てことは、翔くんの知り合い?思わず翔くんを見上げると、彼は兎耳をぺこんと折ってお爺さんを見詰めていた。

「……貴方は?」

 私が問うと、お爺さんは大仰にお辞儀をする。

「俺はお面屋だよ。それも凄腕の!お面作りはお手の物、作ったお面は百種以上……俺のお面でならどんなものにだって化けることができるのだよ。な?凄いじゃろ?」

「は、はぁ」

 だからといって、商品を全身につけて歩くのはどうなんだ……私は突っ込みたくなるが、お面屋ってことは本当らしいので言葉を呑み込んだ。しわがれた声には似つかわしくない滑舌の良さで、自慢げに腕を広げる。

「ちなみに俺はこういう者で」

 かぽりと自分の顎を持ち上げ――いや違う、お面を外したんだ!これもお面なの⁉

「わっ」

 中身の――三十代くらいかな――男の人のにやりとした目と目が合って、思わず後退る。

「ふっはは、驚いたろう?俺は老人でもなんでもないのさ。そう――そうだ、そこにいるユキタの面も、俺が作ったんだよ。なかなかの出来だろう?さあ、よりどりみどり、嬢ちゃんはどれになさいます?」

 そういう声はもう地声で、しわがれてすらいない。この世界のお面は優秀だ……単にこの人が凄いだけかもしれないけど。

「っていうか、ユキタのお面って!」

「そうみたい。僕もんだけど……」

 私が耳打ちすると、ユキタは耳を垂らして答える。

「でも、貰っておいたら?一つくらいお面を持っていたほうが、僕みたいに便利かもしれないよ」

「えぇ……」

 思わず顔をしかめて、そういう翔くんを見上げる。

「おい、何だよ。何で俺のお面でそんな顔するんだ!」

「まあまあ……素顔を見せたくないときは役に立つかもしれないでしょ?有能だし」

「うーん……」

 翔くんはぶはっと噴き出す。そんな彼にお面屋さんはじとっと睨みを利かせている……。

「いい、分かった。一つだけなら買うよ」

 もういいや、ここは私が折れよう。翔くんが言うくらいだし……詐欺ではないでしょう。たぶん。

「これ、一ついくらくらいするの?一番安いのがいい」

「はん、嬢ちゃんは全くこっちに慣れとらんと見た。どうせ持ち金なんぞありゃせんくせに」

「失敬な。……で、いくらなの結局」

 私はお面屋さんの左腕に付いていた黒猫のお面を取りつつリュックを下ろす。数あるお面は動物のものばかりで、その中でも私が好きなのは黒猫だ。あんまり高くないといいけど。

 そもそも、私のリュックにはいくら入ってるんだろう?

 現ナマが入ってることは知ってる。現実世界の私のお財布の比じゃないくらいの重みがあることも。……これって絶対札束だよね。一体どれくらいの札束があるのか。

 リュックのファスナーを開けて確認すると、一万円札が紙で束ねられてどさっと入っていた。……なんかこういう場面、刑事ドラマかなんかで見たことあるな。太さから見て……千枚くらい?それがそれが十個入っている。

 つまり、一万掛け千掛け十……いっ。

「一億円……⁉」

 口を押さえる。私、億万長者じゃない⁉現実でだってこんな大金見たことないんだけど!そりゃあ重い……当然のように見慣れた諭吉さんが真面目そうな顔をこちらに向けている。こっちの気持ちも考えてみてほしい。

「お、お面屋さん、一万円札しかなかったよ。それでもいい?」

 声が震えちゃって恥ずかしい。同じく震えた指で一枚お札を引き抜き、お面屋さんに見せる。

 瞬間、その場の空気が凍りついた。

 身に沁みて分かる。お面屋さんも翔くんすらも、お札を見た途端に動きを止めたのだ。

「えと……どう……したの?一万円じゃだめ?」

「どうして……」

「え?」

 お面屋さんはぶるぶると震えだす。さっきまでの自信ありげな態度とは明らかに違った。何なんだろう……ちょっと異様で、こちらまで怖くなる。

「綾」と翔くんが私の手を掴んだ。耳がピンと伸びていて……どうやら警戒しているらしい。どうして?

 そのとき、お面屋さんがカッと目を見開いた。

「……どうして、どうしてお前なんかが、を持っている!」

 途端、ざわりと周りの透明人間たちの視線が突き刺さる。

「え……え?」

 動きを止めた彼らが、私達を舐めるように見てくるのが分かった。ぞわりと震える。

 値踏みするような、冷たい視線――

「綾」

 震える私の耳に、翔くんの声がすらりと届く。

 潜められた声は不思議なくらい落ち着いていた。

「いい?急いで言うからよく聞いて。今から僕が跳ぶから、綾はどこでもいいから僕に掴まって」

「わ、わかった……」

「いくよ。三、二、一……っ」

 翔くんが地面を蹴った。

 慌てて私は翔くんの腕を掴む。その瞬間、物凄い力で後ろに引っ張られる!

 ひゅーんと効果音でもつきそうなくらいのスピードで、私と翔くんは後方へと跳んでいた。

 そしてその一瞬遅れで、さっきまで私達がいた所に、透明人間たちがどっと襲いかかってくる。

「うわっ」

 危ない!一瞬でも跳ぶのが遅かったら今頃私、ぺしゃんこになっていたかもしれない……!

 現に今、お面屋さんの前の地面にピシッと地割れが起こっている。こ、怖。

 あまりの豹変ぶりに息が詰まりそうになる。私はただ、現ナマを見せただけ……のはずだ。何も襲われるようなことはしてないはず、なのに。

 すとん、と地面に爪先がつく。翔くんが痛くないように着地させてくれたみたいだ。

「す、すご」

 一回跳んだだけでもう五十メートルくらい離れられている。近くの階段を使えば駅の出口はもうすぐそこだ。流石は兎面。物凄い跳躍だ。

 しかし、私達がいなくなったことに気付いた透明人間たちが、ゆるりとこちらを振り向く。

 ビクッとしたのも束の間、今度は猛然と走って追いかけてきたよ!なんで⁉

「現ナマ!」

「それよこせ、現ナマ!」

「逃げるよ‼」

「っ、うん!」

 翔くんがまた地面を蹴りつける。

 ひといきで階段の上から下まで飛び降りると、そのまま私達も出口に向かって走り出した――!

 いや、どちらかというと、翔くんに引っ張られたまま動いてるようなものだけど。翔くんは漫画みたいに足が速かった。たった三回の跳躍で、駅から数百メートルは離れたさっきの畑まで辿り着いたのだ。

 おかげで、まるで暴徒のようだった透明人間たちから逃げおおせることが出来たのだった。

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