★お願い

 駅にはやっぱり改札がなかった。

 今はあまり透明人間たちもいない。がらんと空いたホームの隅に置かれた、大きな地図を私は見ている。

十沢じゅうたく町、三世みせ町、……文字の森?」

 変な地名ばっかりだ。ちなみにここの駅名は『井中いなかまち駅』というらしい。

 長方形の形をしたこの世界は、大きく三つの地域に分けられている。それが十沢町、三世町、文字の森だ。

 まず真東から真西にかけて線路が引かれている。たぶん、私が乗ってきた電車だろう。そしてその線路によって北側を三世町、南側全てを十沢町、というように分けられているらしい。

 なら文字の森がどこにあるかというと、三世町の西側、真北から流れる縦川たてがわなどという川で区切られた部分に広がっている。しかしこの縦側がまた変な形で、真北から流れているのに中央部からはぐいーんと曲がって真西に流れていくのだ。

 そのせいで文字の森は北西部一体を占め、三世町は北東部一体にあるというわけだ。

「ていうか、駅は五つしかないの?」

「そうだよ。ここは二つ目の駅」

 時刻表を見に行っていた翔くんが戻ってくる。時刻表と言っても具体的な時間は書かれてなくて、『五分後にまいります』とかいうアバウトなことしか書かれていない。翔くんはというと、今は兎のお面をつけてユキタモードになっていた。私は地図に目を戻す。

「ええと、最初の駅は『とんぼのとちゅう駅』でしょ?それでここが『井中まち駅』、次が『十海とかい駅』……こんな世界のど真ん中に海があるの?」

「いや、海はないよ」

 ずっこけそうになる。何なんだこのネーミングセンスは……。

「でも、この辺りより十海駅のほうが都会だよ。お店も多いし、ビルもゲームセンターもある。一番大きい駅は、次の『川上かわかみ駅だけどね」

「そこも栄えてるの?」

「いや……文字の森に近いから、あんまり人はいないかな。でも景色は凄いらしいよ。川の上に駅舎が建っているんだって。大階段があって」

「へぇぇ……」

 よく見ると、川上駅以降の路線は縦川の上に引かれていた。ちょうど縦川が真西に流れ出す位置くらいからだ。

 やっぱり名付け方がおかしいと思う。縦川と言うくせに、途中から真横に流れ出すんだから。

「じゃあ、終点の『神様の終わりの国』は?」

 ここだけ駅じゃなくて『国』だ。統一性の欠片もない。この世界の地理は大変そうだ。

「ああ、そこ?そこは――」

 少しだけ翔くんが言い淀む。あれ、と思ったが返事は意外とすぐだった。

「何もないところだよ」

「……なにもない?」

 ざっくりとした返答だった。

「そう。荒野が広がってるだけで、なにもないんだってさ。人も皆近寄らない。行ったことない人のほうが多いんじゃないかな?帰ってくるのが大変だし」

「それはまた、何で」

「電車が一方通行だからだよ」

 うそ?と思ってホームに出てみると、確かに線路が一つしか延びていなかった。もう意味不明だ。

「……それなら、車両が足りなくなるよね」

「いや、それが、決められた時間になると必ずとんぼのとちゅう駅に現れるそうなんだ。電車の運転休止は心配しなくていいみたいだよ」

 電車は一方通行で、帰ってこない。それなのに車両は際限なく現れる。……この辺りで思考を放棄した。無心だ、受け入れろ。

「でも……どこから電車は来るの?」

 駄目だった。やっぱり気になる。

「東側の霧から」

 にしても、翔くんもおかしくないかな。何でこんなに淡々と返事ができるの!

「……霧ってなに」

 もう一度地図のところまで戻る。よく見ると、長方形の周りの三法を白いもやもやしたものが囲っている。なにこれ。

「北の霧、東の霧、南の霧……単純だなあ」

 北端と東端と南端は霧に覆われているらしい。

「霧はとても危険なんだ。身体がから」

「融けるって……」そんなさらりと言うな。

「昇華。理科で習ったよね?あれだよ」

 固体が気体になるというやつか。いやいや人体が昇華って……ドライアイスみたいなこと?この世界って結構怖いこと多いよね。

「まぁでも、霧は本当に世界の端に行かないと出くわさないから安心して。この辺には出ないから」

 恐怖が相当顔に出ていたらしい。翔くんが笑みを含めてフォローしてくれた。不思議と兎面も笑っているように見えてしまう。

「それなら安心かな……でも電車は霧の中から来るんでしょ?……私、いつの間にか電車に乗ってたんだけど……え?」

 だめだ混乱だ。頭を抱える私だが、翔くんは相変わらず淡々と答えを返す。

「はじめてこの世界に来る人は、電車に乗ってくるそうだよ。気に入った駅で降りて、そこで生活を始めるんだ。……綾も、もう少し都会で降りられたほうが良かったんじゃない?こんな田舎じゃなくて」

「いやそれなら、翔くんは初めてここに来た訳じゃないことにならない?駅に立ってたってさ……そうだよ、教えてもらったにしては詳しいし、翔くんは昔ここに来てたんじゃない?」

 そうだよ、その通り……という返事を予想したけれど、意外にも言葉は返ってこなかった。

 それどころか、ふっと黙ってしまっている。お面で表情が読めない分いたたまれない。私は「あー」と変な声を出しながら地図に目を戻した。我ながら誤魔化しが下手。

 それにしても、西だけ霧がないのはどうしてだろう。縦川だって西に引きつけられるように曲がるし……何かあるのかな。

 そう、なんとはなしに、地図の西側を見た。

 西の端は、ひとつ塔のような建物がある以外は真っ黒に染められていて……

 地名を見た瞬間、比喩ではなく本当に一瞬、心臓が止まったと思った。

 これは……知らず、体が震えて、それを抑え込もうとして過度に力が入る。そのせいで歯が震えて、がちがちと音を鳴らす。

 この世界の、西の果ての名前は。


 ”セカイノハテ”だった。


 ――綾ちゃん。忘れないで、綾ちゃん。

 ――ここは。

「世界の果て……」

「綾?」

 はっとした。目の前に兎面が一杯に広がっている。今更ながら「うわぁぁあ」と叫んでしまった。

「どうしたの綾。今更僕に驚くなんて」

 いや、眼前が兎面で埋め尽くされるのはほぼほぼホラーですから……と突っ込みを入れることも出来ず、私は無意識に翔くんの両腕を掴む。

「お願い、お願い……翔くん」

「……何?」

 握り締める。震える息を吐いて、なんとか喉に力を込める。お願い、まだ夢から覚めないで。

「私、私を。……セカイノハテ、まで、連れて行ってほしい。お願い……」

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