★居場所がない

 思わず叫んだ。

「いやぁぁぁあああ‼」

「えちょっ、そこ叫ぶとこ⁉」

「なんで⁉なんで翔くんが二人もいるの⁉」

 ユキタ――いや、翔くんが、困ったように眉を下げる。

「いや二人に増えたわけじゃないんだけど……」

「ど、どういうこと。ていうか無事?無事って言えるの?こんなよくわかんないとこにいるし!なんで現実世界からいなくなったの」

「あああ、ストップストップ。訊きたいのは分かるけど、順に説明するから待って」

 私がはっと口を噤むのを見届け、翔くんはふっと息を整えた。その、辺りにすら気を遣っているような息遣いは間違いなく翔くんのもので、またもや馬鹿みたいに涙が出てくる。

 翔くんが、生きていた。私の目の前で、息をしている。

 翔くんが二人いて、しかも変な世界にいるとか意味不明だけど、とりあえずはそれで良かった、と。

「まず確認するね。綾の認識だと、僕は交通事故に遭った、ってことでいい?」

 翔くんの言葉に、私はへたり込んだまま「うん」と頷く。

「事故は昨日のことで、翔くんはなんでか知らないけど行方不明になったんだって。……その……、ごめんね。私のせいでしょう」

 こうなった引き金は、私の不注意とそんな私を翔くんが庇ってくれたことである。

 しかし翔くんは軽く笑み、俯いてしょぼくれた私の頬から涙を拭い取ってくれた。お面を取ってくれたおかげで気持ちが格段に受け取りやすい。

「ごめん……ありがと」

「気にしないで。まぁ……これからもっと気にしそうなこと言うんだけど。

 どうやら僕、幽体離脱しちゃってるみたいなんだ」

 ふっと涙が止まった。いやその、驚きすぎて。

「……え?」

「事故のせいかは解らないけど。その案山子の僕が身体で、今話してる――ユキタの僕が、精神というか、心というか……そんな感じ」

 翔くんは少し照れたように頬を掻く。言ってることがオカルトみたいで恥ずかしかったのかもしれない。いやしかし!

「えっと……さわれるよね?」

 さっき私の涙を拭いてくれたじゃない!私めっちゃ嬉しかったのに!

 試しにすこし長い袖口から覗く色白の手をつついてみるが、普通に人間の手の感触だった。ていうかもう七月なのに、長袖パーカーとか暑いんじゃないかな。お面つけてフード被ったりしたら完全に不審者じゃない……いや、フードは被ってないだけましかな。

「そう。でも、綾も多分似た状況だと思うんだけどね」

「……似てる?」

「綾は、夢としてこの世界に来ている。つまり、身体は現実にあって、心だけこっちに来てる……ということにならない?」

 言われてみればそうかもしれない。考え込む私を見て翔くんは緩く微笑むと、話を続ける。

「ともかく、僕は……事故に遭った、と思った途端に、何故かこの世界に来ていたんだ。あ、これ車ぶつかるなぁと思ったら、もう視界が真っ暗になって。気がついてみたら、この格好で立ってるんだ。そうしたら――誰かわからないけど、真っすぐ歩いていけ、って声がして」

「声?」

「そう。ちっちゃい女の子みたいな声だったんだけど、周りは真っ暗だしそんな子はどこにもいないし、どうしようもないから言われた通りずっと歩いてみたんだけど。光が見えてきたと思ったら、あの駅のホームに立ってた」

「事故の後、翔くんは本当はここに辿り着いてた……ってことかな。それが、行方不明ってことになったと」

「そういうこと」

 それもまた変な話だ。私はここが夢だと思ってるのに……いや待てよ。

「まさかここ、死後の世界とか⁉」

「あ、それはないから大丈夫。安心して」

 笑って却下された。思わず耳が熱くなる。な、何か誤魔化さなくては。

「そ、そっか。それなら安心だけど……というか翔くん落ち着きすぎじゃない?つまるところ、翔くんもここの滞在期間は私とだいたい同じでしょ。それにしてはやけに詳しいし」

「それなんだけど」

 翔くんは少しだけ首を傾げる。

「さっき、暗闇を歩いてた話をしたでしょ?そのときに声がしたって言ったけど、その子に、声だけでここがどんな世界か教えられたんだよ。仕組みとか、その他のこととか。こっちから言うことには反応してくれなかったけど」

 私は顔をしかめる。

「ええ……それだけであんなに詳しくなる?」

「そのへんは僕にもわかんないんだよね。話を聞いてるうちにぼんやりイメージが湧いてくるし、今は、この世界についての大方のことは分かってるっぽいよ。流石に身体が案山子になってるのは知らなかったけど」

 翔くんは少し考え込んで、ふっと笑った。

「でもここは、現実で居場所のない人が迷い込む世界だから」

 私は思わず顔を上げる。

 少しだけ、ぼんやりしていた感覚がくっきりしたような気がした。

「……居場所がない、って?」

「そう。綾は不眠症だって言ったよね。夜に眠れなくて、居場所がないから、そう感じる夜にだけここに来てるんじゃないかな」

 私は思わず目を瞬いた。

 たしかにそれは……そうかもしれない。

 暇で上手くもない絵を描いてしまうくらいだ。両親も寝静まったあと、私には話し相手もいなければすべき趣味もない。

 有り余る時間を持て余し、一人ぼっちで無意味に過ごす夜を、どれだけ無駄にしたことか。

 不眠症になってからほぼ一年。そろそろ飽きてきた頃だ。

 そんな私に突然、非日常から呼び出しがあったと……いや、そんな偶然は、普通はないだろう、けど。

「……そんな気がする。そう思ったほうが楽しいよね、何もわからないよりはさ」

 にこっと笑って彼を見上げたが、思わず「えっ」と馬鹿みたいな声が漏れてしまった。

「ごめん……居場所がないとか、失礼なこと分かったみたいに言っちゃったよね。ごめん、気にしたよね……」

 なんかめっちゃしょげていた。額に手を当てて睫毛を伏せ、頭を下げて小さくなっている翔くんだけど、こう、申し訳無さそうに俯く翔くんなんていつも見ることがないからちょっと焦ってしまう。

「だ、大丈夫だから気にしないで!そう思うと、不眠症も悪くないよ。それより、翔くんを生き返らせなきゃ。どうしたら元の世界に戻れるの?」

 すると、翔くんは力なくも柔らかく口端を上げた。

「……綾が元気そうで良かった」

「……へ?」

「心配してたんだ。僕が代わりに轢かれた気でいたけど、もしかしたら助けきれてなかったかもしれないって」

「そんな……私は怪我ひとつなかったよ!翔くんのおかげ。むしろ、謝らないといけないのは私の方」

「謝るなんて……気にしないでよ。それに、こうして僕が事故に遭ったから、今また会えたとも考えられるでしょ。綾が事故に遭ってたら、こうはならなかったかも」

 私は思わず噴き出した。

「なにそれ」

「おかしい?」

「ポジティブにもほどがある」

「そっか」

 翔くんはどこか嬉しそうに笑った。それから少し目を伏せて、両手を握りしめる。

「……僕は泣いてほしくて綾を庇ったんじゃないんだから。綾にはちゃんと笑っていてほしいよ。せめてこの世界の中だけでも」

「……」

 急にそんなことを言われたら、どうにも言葉を返せなくなってしまう。意味もなく頬をこすってみるが、今の自分の顔なんて分かるはずもない。

 ていうか、私は翔くんと登校するとき、どんな顔をしていたんだろう。そんなに暗い顔で登校していたなら、ちょっと申し訳ないな……。

 いいや、それよりも今は翔くんのことだ。私は首を振る。

「……私のことはいいよ。まずは翔くんのこと。翔くん、このままじゃずっと行方不明のままだよ?ご両親にも連絡ついてないみたいだし……どうするの?」

「両親……」

 翔くんは少しだけ眉をハの字にした。

「……どうするって。ここから出るの?」

「皆心配するでしょ。それと、その幽体離脱ていうのは治らないの?」

「やってみようか」

 翔くんが、案山子の翔くんに手を伸ばす。後ろの青い空も相まって、なにかの絵画か映画のワンシーンみたいだった。私も何だか緊張して、どきどきしてくる。

 翔くんの指が、案山子の指に触れる。

「……」

「……」

「……何もなし?」

「何にも起こらないな……」

 翔くんはべしんと案山子の頭をはたいた。

「翔くん、どう……?」

「何もない。普通に人の頭を叩いたみたい」

「そっか……」

 案山子は触れても叩いても蹴ってもびくともせず反応なしだった。どきどきして損した、まったく。

「なんか納得できない……はぁ、もうちょっとぶっ叩いたほうがいいのかな」

「息切れてるよ翔くん。やりすぎて変な奴になりかけてるし、諦めよう」

「わ、分かった」と汗を拭く翔くん。

 さてどうしたものか。

 雲も少ない真っ青な空を眺めて考える。太陽は西側にあって、まだまだ健気に私達を照らしていた。そういえば、ここは今何時なんだろう。

「……でも、翔くんの本体くらいは元の所に戻すべきだよね。どうやったら現実世界に戻れるの?なにか教えてもらったりしてる?」

 空から目を戻して訊くと、翔くんは「うーん」と軽く唸る。やっぱり駄目かと俯きかけたけれど、思いの外早く翔くんが「ひとつ、」と人差し指を立てた。

「思い当たることがあるけど……」

「ほんと⁉」

「でも、地図があったほうがいいと思う。一旦駅まで戻ろう……立てる?」

「うんっ」

 翔くんが手を貸してくれたのでそれで立ち上がり、さっき投げ捨てたリュックを拾い上げる。

 ほんとに翔くんがいてくれてよかった。一人だったらパニックになって、案山子の持ち主に殴り込みに行ってたかもしれない……それに、この世界のこともまるきり分からない夢としか思わなかっただろうな……。

 リュックを背負って翔くんに向き合うと、ずいっと白いタオルを差し出された。

「……これは?」

「その。あぜ道に座り込んだから、足が……」

 そこではじめて、私はスニーカーが泥で汚れてしまっていることに気がついた。タオルを受け取りつつ、顔ががーっと熱くなる。

「す、すみません……」

 ありがたく頂き、足を拭く。絶対洗って返す、と約束して、私はそれをリュックに大切に仕舞っておいた。

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