★案山子

「……どうなってるの……これは本当に夢?」

 思わず口の端からそんな言葉が転がり出た。

 電車の座席の端っこに座り、茶色いリュックを抱きしめている私。

 目の前にはユキタがいて、昨日と全く同じ立ち位置で私を見下ろしている。

 意味不明だ。車窓の景色も、周りの透明人間も、昨夜の夢の景色と同じだ。一度止めた映画を、今夜になってから再生し直したみたいに。

「すごい……薄くなったと思ったら一瞬で戻ってきたね」

 ユキタはユキタで何やら呟いている。

「何で昨日の夢と同じなの?」

 ちょっと腹が立ってきた。不用意に呟いて私を混乱させるな。

 そんな私に対し、ユキタは「……昨日?」と首を傾げる。

「もしかして、綾ちゃんの中では一日経ってるの?」

「経ってる……よ。うん。夢の中じゃなくて、現実ではね。ユキタからはどう見えた?」

「一瞬だけふっと透けて、また普通になった」

 こっちでは時間が進んでいないらしい。

 ユキタも不思議そうだが訳がわからないのはこっちだ。何よこれ。時系列と時間感覚が狂ってしまいそうだ。

 ……私、本当に夢を見ているんだ。

 今更ながらに実感が湧いてくる。二日続けて眠ることができるなんていつぶりだろう。どれだけ寝ようとしても睡眠薬無しじゃ眠れなかったのだから、やっぱり今の状況はおかしいのかもしれない。眠れなくて眠れなくて、何度泣いたことか。一人ぼっち、暗い自分の部屋で。

「なるほど。綾ちゃんには現実の時間を加算しないことにしたんだな。現実に一旦戻れること自体珍しいけど……普通なら同じだけこっちでも時間が過ぎるのに」

 ユキタが何やらぶつぶつ言っている。

「……綾」

「へ?」

 意味がわからないのと、面倒なのとで、私は少し膨れながら言う。

「綾でいいよ。さっきからずっとちゃん付けしてるけど。面倒だし」

「え……急にどうしたの」

「何も。ここは普通の夢じゃないんでしょ、話聞いた感じだと。それならいつもと同じように呼んでくれたほうが楽だもの」

「でも……綾、って本名でしょ?」

「そうだけど。……ん?」

 何だかユキタは困っていそうだ。右耳だけぴくぴくと小刻みに震えている。

「それよりさ、ここは何なの?ただの夢じゃないのは解ったから、説明してほしいんだけど――」

 言ってる側から、何かが私の目に留まる。

 車窓の風景だ。タイミング良く、駅が近づいてきたのか電車の速度も緩くなってくる。

 お店みたいなお洒落な建物が並ぶ中、唐突にポツンと現れる畑に佇む、一人の少年――いや、案山子かかしだ。

 だけど、あの案山子には見覚えがある。

 あの華奢な身体は。少し俯いた、ふわふわした黒い髪は――っ。


 翔くんだ。


 ドンッと頭に衝撃が走った。さあっと血の気が引いて、途端に体中が震えてくる。

 なんで?どうして、ここに、翔くんが――?

「え、……な……っ?」

「綾?」

 いっぺんに空気が薄くなった。

 どうして……どうして案山子なんかに!

「あ、綾っ、どこに行くの⁉」

 電車が止まって、扉が開き始めた瞬間、私は駆け出していた。

 開ききらない扉に身体を捩じ込み、リュックも背負わず抱えたままで走る。

「綾!」

 後ろからユキタが追ってくる気配がした。でも振り返る余裕なんてものはない。だって……だって翔くんが。助けないと……っ!

 ホームから階段を駆け下りて駅の出口に向かう。透明人間たちを押しのけて進むも、なぜだかどこにも改札がない。まあいい、切符を持ってる覚えもないし。急がないと。息が切れてくる。

 そのまま駅舎を飛び出すと、目の前に伸びる道のすぐ右側に、あの畑があった。周りには幾つか田んぼも広がっている。私はそんなあぜ道を走り、畑の端にいる案山子に向かった。

「翔くん!」

 重たいリュックを投げ捨て、私は翔くんに縋りついた。間近で見るとさらによく判る。顔立ちも背の高さも、見慣れた翔くんのものだ。

「翔くん、しっかりしてよ‼翔くん!」

 腕を地面と水平の位置に固定され、指先を力なくぶらんと下げてしまっている翔くん。

 下から顔を覗き見ると、無表情にぽっかりと目を見開いた状態になっていた。目を開いているせいで余計に怖い。お人形みたいな、何も映していない瞳だ。

 服装は、最後に見た制服のままだった。しかし背中側の服の中に十字の木の杭が通されていて、それに沿った姿勢になっている。まるで――まるで、十字架に掛けられているような。ひゅ、と息が止まりそうになる。畑の土に突き刺さっている杭――これを抜けば良い?

「翔くん起きて。しっかりして。ねえ‼」

 目が開いてるのに、翔くんは全然反応してくれない。私はその身体を目一杯揺さぶった。

「翔くん‼いやだよ……何でこうなったの⁉」

 生きてる人間が案山子にされてる。はっきり言ってホラーだ。揺すっても翔くんは起きない。

 それに……目を開けたまま、翔くんは動かない。

 まさか――死んで、いるの?

 そう思うとどっと涙が溢れた。私のせいだ。私を庇ったばっかりに翔くんは!

「翔くん起きてよ‼――う、うぁあっ」

 最悪だ。最悪な夢だ。どんな恐ろしい世界なんだ。

 兎人間だろうが透明人間だろうがどうでもいい。

 早く翔くんを、生き返らせてよ――

「あああああ‼」

 視界がぐるぐる渦まく。子供みたいに泣きじゃくる私。どうしても止まらなくて、地面にへたり込んで泣き叫ぶ。

 うっすら見える透明人間どもは、そんな私に見向きもせず歩き去っていく。薄情野郎め。誰も彼も、こんな翔くんを見て助けようとも思わないのか!

 しかしそんな私の肩に、そっと温かい手がふれた。涙と息切れで呼吸困難になりつつもその手を見上げる。

 私を追っていた、ユキタだった。

 ユキタの手が予想外に温かくて、我慢できず更にぽろぽろと涙を零してしまう。

「ユキタ……っねえどうしよう、……うぅ、翔くんが、ぁあ、っく、ぅぁああっ」

「落ち着いて、綾。ほら息吸って」

 過呼吸気味だった私だが、ユキタに倣って深呼吸するうちに落ち着いてくる。涙は全然止まらないけれど、これくらいならお構いなしだ。

「た、助けなきゃ。この畑の持ち主に話をつけて、取り返して、現実に返してあげないと……っ」

「待って、綾」

 立ち上がってまた走り出そうとする私の腕を、ユキタがふっと掴む。

「……どうしたの?」

 ユキタはいやに冷静な感じがした。感情を読み取ろうにも、お面のせいでよく分からない。

 ふいにユキタが俯くと、その兎耳がぺたんと垂れ下がる。

「ごめん、綾」

 仕切り直すように私の名前を呼ぶ彼……なんだろう、様子が変だ。

「ユキタ……?」

「泣かせてごめん。そんなに心配してくれてたとは、思ってなくて……」

 彼は私の腕から手を離し、その兎の顎のあたりに右手を持っていく。左手は頭の後ろへ。何か紐を外すような、「ぷちん」という音が後頭部から聞こえた瞬間、頭の兎耳がふっと消え失せた。

 よく見ると、頭が人間のものに戻っていた。顔だけがまだ兎のままだけれど、その後ろからはふわっとした黒髪が見え、両のこめかみからは白い紐が垂れている。

 お面だ。

 目を瞠る私を横目に、彼は顎に手を掛けて兎の顔――いや、お面を外していく。

 現れた、優しい茶色の瞳に、私はそれ以外の全ての色が世界から消えた気がした。

「……翔くん?」


 その人、ユキタは、翔くんだった。

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