第5話 有魔市市長――蜂王蟻命(はちおうぎめい)

 この国で最も多くの異人が暮らす街、有魔市有魔町。ほんの少し前までは異人関連事件の発生件数全国一位という不名誉な記録を十年連続とっていた世紀末街(せいきまつがい)がその座を譲ったのが今から二年前。


 蜂王蟻命が有魔市の市長に就任して一年後の出来事だった。


「あんたほどのビッグネームがこんな街の隅にある探偵事務所に何のようだい」


「人が探偵事務所を訪れる理由なんて決まっているでしょう」


 探偵をすがり事務所を訪れる依頼人はたいてい気持ちが安定していない。話をするだけでも難しいことがよくある。時にはヒステリーを起こし、暴れる者もいる。それだけ探偵を頼る依頼人は精神的に追い詰められているのだ。


 だが、しかし……


「超・一流の探偵に完遂してほしい依頼があるんですよ」


 今目の前にいる蟻命(ぎめい)からは焦りも不安も後ろめたい気持ちは全く感じない。むしろ全身から納まりきれないほどの自信があふれ出ている。


「…………」


 守偵(さねさだ)は訝しい目で蟻命(ぎめい)を見る。とても依頼人とは思えないこの男を。


(何を考えてるんだこいつ。目的はなんだ)


 そこへお茶とお菓子を持った二人の女が事務所の多くから現れた。


「あ、お兄ちゃんどこ行ってたの。お兄ちゃんが帰ってくるのを市長さんずっと待ってたんだよ」


 一人はお茶の乗ったお盆を持つ赤色の髪を二つに結んだ小柄な少女。


「如珠」


 ラプラス探偵社唯一の従業員(バイト)。助手兼探護守偵の妹である探護如珠(たんごいたま)。普段は大学生だが休みの日は事務所の手伝いを(主に家事掃除)している。


「何度も言ってるだろう。事務所では俺の事は署長と呼べと、お前は俺の助手、なん、だ、から」


 如珠(いたま)の後ろ、お客様用の高級お茶請けを持った銀髪の女を見て守偵(さねさだ)は言葉を失った。パンツスーツに黒縁眼鏡、透き通るような銀髪をお団子に纏めた絵に描いたような美人。


 守偵(さねさだ)はこの女を知っていた。以前からではない。ついさっき、ほんの一時間ほど前。殺人という血なまぐさい事件が起きた現場のすぐ隣で守偵(さねさだ)はその女と出会っていたのだ。


 女は持っていた菓子を机に置くと蟻命(ぎめい)の後ろに姿勢正しく控えた。


「市長、スケジュールが押しています。つまらないお戯れは次回にして早く要件をおっしゃってください」


「悪い、悪い」


 刀のように鋭く、氷のように冷たい凛とした声。ついさきほど守偵(さねさだ)が聞いた声と全く同じ。


(この女、さっき有魔ホテルにいた――)


「ああ、アイズとはもう面識があるんだったけ」


「アイズ……」


 事件に飛び入り参加した守偵(さねさだ)はこの時初めて、この元容疑者だった銀髪女の名前を知った。


「君を僕に推薦したのはアイズなんだ。超・一流の探偵としてね」


 蟻命(ぎめい)にそう言われ、ソファの後ろに立っていたアイズが一歩前に出た。


「さきほどはどうも。私は蜂王蟻命市長の秘書をしています。秘事(ひめごと)アイズです」


「お兄ちゃんアイズさんと知り合いだったの」


「あ、ああまあ。さっきたまたま」


 普段兄の事を痛い陰気なボッチニートと思っている妹は目を丸くした。生まれて初めて兄を訪ねてきた人を見たのだ。


「お兄さんにはあやうく冤罪で連行されるところをつけてもらったんです」


「へえ、そうだったんですか」


 アイズは感謝を如珠(いたま)は感心を込めた視線を守偵(さねさだ)に送った。


「ま、まあ、俺はただ探偵として当たり前のことをしただけで。真実はいつも一つしかないわけで」


 普段妹や父から呆れた視線を送られることが多い守偵(さねさだ)は思わず送られる好意的な視線に口元が緩んでいた。


「それは僕からもお礼を言わないとね。アイズは僕の大切な右腕なんだ。もし警察に連れていかれて長時間拘束なんてされたら仕事が回らなくなってたよ」


「いやいや、だから俺は当然のことをしただけで」


「探護さんのおかげで無駄な時間を使わずに済みました。無駄な隠ぺい工作も」


「隠ぺい工作」


 アイズの発した言葉に室内が不穏な空気で包まれた。


「アイズさん、怖い」


「おいおい誤解を招くようなことは言わないでくれアイズ。せめて口添え、ぐらいにしといて」


 守偵(さねさだ)と如珠(いたま)の顔が引きつる。


(こいつら一体、俺たちに何を依頼するつもりなんだ)


 不穏な空気が漂う中、蟻命(ぎめい)はパンッと手を叩いて口を開いた。


「さて、単刀直入で申し訳ないけど。君に依頼したいのはある組織への潜入調査なんだ」


 文脈も話の流れも気まずい空気感もすべてガン無視して蟻命(ぎめい)は依頼の話を始めた。


「潜入調査」


「そう、最近活動が活発化してる過激派組織に潜入して調査してきてほしいんだ」


「過激派組織ってテロリストのことじゃ。さすがに危ないと思うんですけど」


 蟻命(ぎめい)の危険な依頼を助手ではなく家族として如珠はやんわりと断ろうとした。しかし、


「もちろん依頼料は弾ませてもらうよ。ざっとサラリーマンの給料五倍分くらい」


「ご、五倍」


 玉虫より玉虫色の妹はわずか五秒の間に意見だけでなく目の色までも変えてしまった。


「悪くない話だと思うんだけどね、どうかな」


 兄の呆れた視線も金にくらんだ妹の目には入らず、依頼人よりも力強い視線を守偵(さねさだ)に送る。


(お前は一体どの立場なんだよ)


 前と横から送られる視線に居心地が悪くなった守偵(さねさだ)は座る位置を少しずらした。


「さっきも言ったが、なんで俺なんだ。あんたほどの地位も財もあるやつならもっと他に頼れる奴がいっぱいいるだろう」


 蜂王蟻命といえば今やこの街の顔。市長という肩書以上にこの街に根を張り絶大な権力を保持している。そんじょそこらの客寄せパンダ的な張りぼて市長とはわけが違う。


「ちょ、お兄ちゃん」


 そこで如珠(いたま)が守偵(さねさだ)の裾を引っ張った。耳に口を寄せ小声で呟いた。


「ただでさえ今月は依頼少なくて厳しいのに、この依頼断っちゃったら今月の家賃どうやって払うの。これ以上家賃滞納したら追い出されちゃうよ」


「それは、そうなんだが」


 如珠(いたま)の言う通り事務所の懐事情は芳しくなくない。


(まあ、うちの懐が潤ってたことなんて一度もないんだけどな)


 すでに三か月分の家賃を滞納中。これ以上滞納すれば強制退去も考えなくてはならないと大家から釘も刺されている。


(正直、今はどんな依頼でもいいからほしい。というか金が欲しい……だがこの依頼、明らかにきな臭い。何か裏が――)


「僕が君に依頼しようと思ったのはただ君の探偵としての能力を高く評価したから、だけじゃないんだ。僕がある程度の信用を持って頼める人たちの中で君が今回の任務に一番の適正があるからだよ」


「適正……」


(依頼を引き受けるうえで何かしらの条件があるってことか、身長とか性別とか……カッコよさとか)


「顔の偏差値は一切関係ないよ」


「な、何で俺の心の声が」


「キモッ」


 妹のマジ引き声に軽く心に致命傷を負った。アイズがボソッと「私はそこまで悪くないと思いますが」とつぶやいた声が聞こえたが、それでも心の傷が癒えることはなかった。


「君が適任と言ったのは、潜入する過激派組織がすべて異人で構成された能力集団だからだよ」


「異人のテロリスト集団」


 異人が自身の能力を利用してテロや過激な暴動を起こすことは珍しい話ではない。異人は社会から迫害されている。それは社会が異人を攻撃していることに等しい。当然異人も反撃をする。


「あ、お兄ちゃんが異人事件を専門に扱う探偵だから」


 如珠(いたま)はパチンと手を合わせ、得心が言った顔をする。

 

 確かに異人の事件を専門に扱う探偵事務所はこの国に一つしかない。人知を超えた能力を持つ異人、そんな危険生物をわざわざ専門に扱うもの好きなどそうはいない。


 如珠(いたま)の言葉は正しい、だがそれだけとは思えなかった。有魔市の王、蜂王蟻命がそんなことのためだけにわざわざこんなところまで足を運ぶとはどうしても守偵(さねさだ)は思えなかった。


「それだけじゃないよ」


「え……」


 訳が分からないといった顔をする如珠(いたま)をおかずにするように蟻命(ぎめい)はお茶を一口、時間をかけてゆっくり流し込んだ。


「君……」


 全員の視線が集まる中、蟻命(ぎめい)の瞳はただ真っすぐ守偵(さねさだ)の瞳を映している。


「異人だろ」


 蟻命(ぎめい)の言葉にその場の二人は言葉を失い、室内は静まり返った。

 

 三秒後、静寂に包まれ室内で守偵(さねさだ)が最初に聞いたのはゴクッという唾液を飲み込む音だった。それが自分の喉からなったということに気づくのはその二秒、後のことだった。

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