第4話 八月朔日姉妹の姦計

『話は聞いてたわ。取り敢えずあの二人を事件に関係させたのは褒めてあげる、ミッキー君』

「所長までそれやめてください……」


 どっと疲れて籠っているのはラーメン屋のトイレだ。アーサーが昼食はラーメンにしようと言い出すと、存外季子も時彦も問題なくすんなりと受け入れてくれた。季子はネギチャーシュー、時彦はチャーシュー、アーサーはチャーシューとネギ飯、自分はノーマルな定番を一丁。季子は久しぶりのラーメンらしくもりもりと食べていて、二人が一応の容疑者であることを忘れそうだった。容疑者。親類同士の相続殺人などよくあることだから、この二人をそう位置づけるのは間違っていないだろう。だから警察も留め置いていたんだろうし。

 科捜研に向かったリリィからの連絡はまだない。そう言えば死体がある状態での現場の写真もまだ見せて貰ってはいないのだった。まだ何もしていないと言うのにもう一段落して考えている八月朔日所長の言う事が解らない、真っ黒な長い髪の魔女のような所長を思い出すと、少し陰鬱ですらあった。次は何をさせられるのだろう、自分は。


『とりあえず後は二人が何とかしてくれると思うから、ミッキー君は帰って来てくれても良いんだけど、二人の実力を証明するために、あなたはこの事件に付いてて頂戴。多分怪しんでいるだろう二人の実力も解ると思うから。協力者を認めるのは大切な事よ』

「え、えええー……」

『正直帰りたいでしょうけど、まあすぐに片付けてくれると思うから、そう遠慮しないでずけずけしていなさい。いいわね?』

「はあ……」

 今度こそ通信状態を切り、自分ははあっと溜息を吐く。一日で片付くならそれで良いが、本当に二人はそんな実力者なのだろうか。流れるように家系ラーメンを食っている現状、口は立つのだろう。ほぼ一瞬で二人の警戒を解いているのはすごいのかもしれないが。そしてラーメンを自腹で買わせていることも。これは経費になるのだろうか。自分も力いっぱい食ったが。あの太麺が美味い。


 食事を終えてまたマンションに戻ると、鑑識も一通り去っていて、刑事たちが残っているだけだった。季子と時彦はまた客間へ、刑事の一人が二人に付く。そうして見付けるのはどでかい金庫である。否、その前に、とアーサーは現場の写真を諏佐刑事に何枚か見せてもらっていた。自分も覗き込むが、そこには黒いニットのベストとスラックス姿で倒れ込んでいる男性の姿がある。おそらくは心臓を一突きにしているだろう、小さく細いナイフが刺さっているのが見えた。両手でナイフを掴み、引き抜こうとしたのだろうか。

 血の染みはその少し前側に落ちている。刺されて倒れ、ほぼ即死と思われる。ふぅん、とアーサーは目を細めて写真を眺めたが、すぐに興味を失ったように金庫へと向かった。何が分かったのか何も分からなかったのか、訊きたいがどこか訊けない空気を纏っているのが分かる。さっきまで同じカウンターでネギ飯を食っていたとは思えない。鋭い観察眼、とでも言うのか。

「リリィが帰ってからじゃないと解らないことがあるから、今の所俺からの意見はなしかな」

「またあんな子供を使って……ん、そう言えば声変わりはしていたな。中途半端にだが。もう二十歳か? 確かあれが二年前なら」

「そうだね、もうお酒も飲めるよ。今日は京都で見付けた隠れ家風のバーに連れて行く予定だったんだけれど、乗り物疲れしてるから八月朔日弁護士たちの家にお泊りしようかな」

「え、たち?」

 そう言えば家族構成を知らない上司の名前が突然飛び出してきて、自分は戸惑う。独身だし恋人もいないと思っていたが、誰と一緒に暮らしていると言うのだろう。否、以前家族写真を長期休暇明けに見せてもらったことがあったか。一家族と言うよりは一族と言った多さだった覚えが微かにある。

 あれ、とアーサーは自分を見る。知らなかったっけ、と言われ、こくこくクルミ割り人形のように頷くと、くすくす笑われた。

「もとは八人家族だからね、空き部屋多いんだよ彼女んち。ご両親は今リタイアして農業してるし、弟君たちは学生で寮に入ってる。お姉さんは都内のアパート住み、そして――」

「同居中の妹がこのあたしよ」

 いつの間にかドアに寄りかかってこちらを見ているのは、八月朔日所長だった。


 否否否、ノーノーノー、きょとんととしてしまったが、よく見れば彼女は所長ではない。おかっぱ頭にヘアバンド、化粧はしていないし、何より白衣をだらっと着こなしている。うちの所長はもっときっちりした格好が好きだ。夏でもスカーフ巻いてるぐらいの。がりがりとヘアバンドの下を掻くようにして、その陰からぴょこんっと出て来るのはリリィだ。そうか、所長より背が低いのかと今頃気付く。そして彼もまた白衣を着ていた。前髪はおでこを出すようにピンで留められている。

「諏訪ちん、俺は君を見損なった。凶器抜いちゃってたじゃん、ブッブーだよあれは。まあ裸にするにはそうしないといけないんだろうけれど、あの場合は抜いちゃいけなかった」

「何のことだ」

「死因は刃物による右心房破裂による即死。さて、諏佐君、写真をこの子にも見せてあげて」

「ま、ちょ、待ってください!」

 思わず割って入ってしまうと、所長と同じ顔をした目にどろんと見詰められる。寝不足なのか目の下にクマがあった。所長ならコンシーラーで隠すところだから、やっぱり違う。別人だ。

「あ、あなたは誰なんです? 何でそんなに所長に似てるんですか?」

 背後でくすくすとアーサーと諏佐刑事が笑っているのが分かる。リリィも歯を出して笑っていた。白衣のポケットに引っ掛けていた眼鏡を掛けた彼女は、同じところに入っていた名刺を出す。

「科捜研の職員で、八月朔日夜桜ほずみ・よざくら。葉桜は双子の姉よ」

「え、え――……」

 ご機嫌に聞いてないぞそんな事は。呆然としている自分の脇を擦り抜けて、リリィは凶器の確認を行っているようだった。ふぅん、と頷いて、アーサーの耳元にこしょこしょと何か話している。夜桜女史は電子タバコを取り出して深く吸い込み、ふぅー……っと長く吐いた。少し煙ったい懐かしい感じの匂いが自分の方にも届く。

「三木君ね。写真で顔は知ってるわ。まさかこんな金にならない事件に姉さんが手を出しているとは思わなかったけれど、なるほど、君と警察と探偵たちに接点を作るためだって言うのは解った。あなた新人でしょ?」

「は、はい。三木数一と申します」

 慌てて名刺ケースから一枚取り出して、交換する。所長の狙いは夜桜女史と自分の接点を作る事もあったのかもしれない、などと思いながら。

「最初がえげつない死体でなくて良かったわね。心臓の破裂箇所以外は綺麗なものだったわ。防御創もなし。内臓がもろんとしている訳でもなければめった刺しで血まみれな訳でもない。綺麗なご遺体だったわ。ごちそうさま」

「は、はあ」

「じゃ、あたしは戻るから。死体見慣れない程度に仕事は選んでやりなさいよ、ミッキー君」

 だからそれは、やめて欲しかった。

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