第3話 謎の玖院氏

 現場は新宿区の東口を出てから暫く歩いたマンションだった。八階、一フロア丸々所有していたことで鑑識の数は多かったが、所在なさげにしている刑事も多い。と、だぼっとした場に似合わないファッションでいたリリィがぶんぶん手を振り回す。釣られてその視線の方向を見た自分とアーサーは、そこに見覚えのあるインテリチックな眼鏡を掛けたスーツ姿の男性を見付けた。自分も何度か見かけたことがある、諏佐刑事だ。はあっと息を吐いた彼のもとに走って行く相方を追い掛けて、アーサーは早歩きになる。ロンドンっ子と言うのは走らず早歩きと言うイメージがあったので、その点リリィの行動は少し不自然に思えた。たった二年じゃそう染まらないものか。

「諏佐ちん! 二年ぶり、やっほー!」

「とうとう帰って来たのかお前……」

 頭を押さえてはあっと息を吐く諏佐刑事の様子に、どよめくのは捜査員たちだ。警視を『諏佐ちん』扱いする美少年。何者だろうと思っても仕方がない。


「んで現場は何処なの? フロア一帯の捜査はしてるみたいだけど、血が散らばってたとかじゃないんでしょ?」

「ひぇっ」

 恐ろしいことを言い出す少年である。慌てて廊下の当たりを見回してしまったが、特に変わった点はない。ほっとすると、アーサーにくつつっと笑われた。気障だが様になっているので怒れない。なんとなく。彼もスーツ姿だが捜査員たちとはどこか違って見えた。着こなしの問題だろうか。

「こっちだ」

 三人そろってカルガモのように諏佐刑事に付いて行くと、フローリングの部屋の真ん中辺りにはぽつんとこげ茶色の染みがあり、Aと書かれた札が立っていた。そしてよくある白いテープでの死体の形。横向きになっているらしいそれ。刑事事件に関わるのは初めてではないがそこに死体がないことにホッとすると、あーッ! っとリリィが声変わりしきっていない大声を出す。

「死体撤去済みじゃん! 俺が何のために飛び級駆使してロンドンの大学行ってたと思ってんのさ!」

「知るか! 表の車で科捜研に行ってこい、まだいじらせてはいない!」

「服一枚でも乱れてたら諏佐ちんのこともう一生信じてあげないけど!?」

「お前らからの信用なんぞ端から要らんわ!」

 ぶー、っと口唇を尖らせてぱたぱたとエレベーターまで戻って行くその背を追い掛けた方が良いのかどうかと立ち尽くしていると、苦笑いでアーサーにポンと肩を叩かれる。

「リリィは死体いじくりまわすだろうから、こっちにいた方が精神的には良いと思うよ。ミッキー君」

「は、はあ。ところでリリィ……は、何故ロンドンの大学に通っていたんです?」

「ネイティブ英語の発音の勉強と、医師免許の取得のためだね。こっちでは飛び級制度がないけれど、向こうは結果さえ出してればッていう合理主義だから。まあ日本では通じないかもしれないけれど、一応あれでも司法解剖に立ち会うために勉強してきたんだよ」

 またくつつっと笑うアーサーに、自分はぽかんとしてしまう。あんななりでドクター? 信じられないが、はい、と携帯端末の画面を見せられると、そこには潰れた英語で何か書いてあり、リリィの写真が貼られていた。免許か何かなのだろう。I GOT IT! とタイトルには書いてある。可愛い所もあるのか。動機は不純だが。

「ところで諏佐刑事、ご遺族の方は?」

「そっちの部屋にいる。ピリピリしてるから怒らせるなよ」

「そんなダイナマイトみたいな人間いませんよ。犯人ぐらいしか」


 諏佐刑事に差されたゲストルームにいたのは、適齢期の少し口紅が濃い女性と自分より少し年上の三十代前半と言った様子の男性、二人しかしなかった。縁者はこの二人だけなのか、思わずきょろっと辺りを見回してしまうと、そんな自分を置いてアーサーはさっさと上着を脱ぎ、サスペンダーとカマーベルトを見せる。なるほどあれですっきりした様子に見せていたのか、納得すると同時に自分のよれっとしたスーツが少し恥ずかしくなる。せめて背筋を伸ばしてアーサーと一緒に一人掛けのソファーに腰を下ろすと、びっくりするほど柔らかかった。と同時に、この部屋はほとんど使われてこなかったのだろうな、と思わせられる。浪花の大富豪。株で身代を起こし、宝くじでさらに資産を倍増させた、運と勘のハイエンドのような人物だったと思う。あくまで世間の噂では。

「さて、ご遺族の方々。僕の名前はアーサー・ロック、探偵です。お二人のお名前とご職業を伺ってもよろしいですか? ちなみにそちらの方は弁護士なので、この場での嘘は大変にご自分の立場を損ねるものとしてお聞きください。まずはマドモワゼル、あなたからどうぞ」

 掘りの深い顔立ちだとふざけた名前も案外普通に聞こえるな、などと思いながら自分はごくんっと息を呑み、携帯端末を四人の中央に置かれているガラスのテーブルの上に置いた。勿論通話状態で。ちなみにソファーの並びは時計回りに、アーサー、男性、自分、女性である。


 どこか不機嫌そうな女性はぽってりした口唇を気だるそうに開く。

玖院季子くいん・ときこ。ルポライターやってて、普段はあちこちの国を回ってるわ。今回日本にいたのは偶然。おじさまは父の兄」

「麗しいお名前です。多国語に長けているのですね。才媛と伺えます」

「ま、まぁね」

 ちょっとつっていた目が緩められる。意外に優秀な女たらしだった。あんな熱烈なキスをする相棒がいる割に。

玖院時彦くいん・ときひこ。小さな町工場の一応重役をしている。普段は埼玉の実家に居るけれど、今回は伯父に用があって来た。まあ、第一発見者だね。ちなみに父が伯父の弟だ」

「お二人の他に親族は?」

「いないわ。さっさと死んじゃった」

「うちの父母もだ。自動車事故に巻き込まれて」

「残ったのは子供だった私たち二人だけ。だからおじさまにはとてもお世話になったわ。大学院まで出してもらえた」

「僕も起業資金を貸してもらえた。これから軌道に乗りそうだったって言うのに、どうして……」

 はあっと髪をくしゃりと上げる仕種は、アーサーほど気障ではない。いかにも苦悩しているという様子だった。

「では時彦さん。現場を初めて見た時、氏はどんな様子でしたか?」

「左面を床に付けて、倒れていたね。それから左胸――多分心臓に、細いナイフが刺さっていた。頭は向こうに向けて、脚がドア側を向いていたね」

「なるほど。ありがとうございます。それでは食事にしましょうか。お二人も朝から何も食べていないでしょうし」

 きゅるっと鳴ったのは、時彦氏の腹で、ごほん、と照れ隠しに鳴らされた喉が現状には似つかわしくなくて可笑しかった。

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