第16話 イェミオーリの加護

「それでは、いきますよ。よろしいですね?」


 司書──知識の女神エスの神官が、柔和な笑顔をつくった。


「お願いします。」


 手に入れた啓示石の力を使うべく、ウェノラと共に図書館を訪れた俺は、小さな儀式の間で司書の前に立っていた。司書は右手で啓示石をにぎり、左手を俺の胸に置いている。

 ウェノラと数人の司書が立ち会い、この啓示の儀式を見守っている。


「あなたはこの決定、石の属する神への誓いを覆すことはできません。よろしいですね?」


 空想郷には来たばかりだが、俺の生きる道はこれで決まってしまう。そう思うとためらいが無いでもなかったが、遅かれ早かれ何かを選ばなければならないのだ。

 俺はどこかでの人生を終え、ここにやって来たという。そうであるにしろ、ないにしろ、今できる選択肢をつかんでいくしかない。人生とは常にそうだ…。

 黒灰色の滑らかな石壁に囲まれたこの荘厳な部屋の中にいると、そんな一種のもっともらしい諦観が湧いてくる。


「はい、大丈夫です。やってください。」


「よろしい。では始めます。私の祈りを復唱してください。我が神よ、あなたの御名を存ぜぬ無礼をお許しください。」

「我が神よ、あなたの御名を存ぜぬ無礼をお許しください。」


「それでもなお私はあなたに誓います。」

「それでもなお私はあなたに誓います。」


「あなたの御力の宿るこの石を私のものとし」

「あなたの御力の宿るこの石を私のものとし」


「永遠の忠誠を守ります。」

「永遠の忠誠を守ります。」


 俺の胸に置かれた司書の手が熱くなった。啓示石の放つ光が強まる。


「我が神よ、私に新たな力と役割をお与えください!」

「我が神よ、私に新たな力と役割をお与えください!」


 司書が右手をかかげると啓示石が太陽のように強く輝き、次いで破裂音とともに光は粉々に砕けた。砕けた光が司書の体を通して、俺の胸に注がれる!

 すさまじい振動と圧力が体内を駆け巡り、息が止まるほどになった。それがおさまると、心臓がドクドクと脈打ち、全身の血が溶岩になったように、熱くなった。視界が歪み、頭がくらくらして、俺は床に膝をついた。苦しい!


 司書は這いつくばる俺の様子をにこにこしながら眺めていた。


 体の中で暴れ狂う炎が静まり、俺がよろよろと立ち上がるのを見計らって、司書が声をかけた。

「いかがですか。力を感じますか?」

「うーん…。」

「神が応えてくださるなら、啓示があるはずです。何か、思い浮かぶものとか…。」


 俺は目をつぶって、頭の中で彼方を見ようとした。何か、思い浮かぶもの…。何か…。


 すると…どこかから…ひらめきが…!


「あッ。」

「何か感じましたか。」


「今ここではじまる…冒険…。違うな…。今ここよりはじまる長き…旅…。」

 俺の頭の中で、はじけ飛ぶ、色とりどりの風が、言葉となって自然と出てくる。


【今ここよりはじまる長き旅。果ての果てより来たるよそ・・人は、神の胸に抱かれて新しき力を得る…】


「ほう…?」

 司書は不思議そうな顔をしているが、俺は構わず、浮かび上がる言葉を口に出す。


【…神の胸に抱かれて新しき力を得る。我は木。小さき翼の鳥よ、取るに足らぬ鳥よ、我がもとへ集え。ともに…ともに…えーと、活力を得てともに天へと昇らん】


 俺の言葉は、ここで途切れた。

 俺は司書を見た。司書も俺を見た。沈黙が、儀式の間を支配する。


「そうですか…。わかりました。皆さん、この者の得た力がわかりました。」

 司書は笑いとも戸惑いともつかない顔をして言った。ウェノラと、立ち会う他の司書たちが近くに寄る。

「ユーダイ殿。あなたは今、イェミオーリ神のご加護を得ておいでです。詩歌の神、波の音と雲の流れの中におられ、朝は鳥となって歌い、夜は虫となって学の音を奏でられる方。はるか昔、エスのお言葉をその麗しい声で歌い上げ、外の神々に助力を求めこの地の危機を救った守護者…。そう、今日よりイェミオーリがあなたの神です。」


「イェミオーリ…。歌…?」

 難しい説明をされたため、俺はちょっと混乱してしまった。で、結局なんだ?

「で、俺のクラスというのは?」


「吟遊詩人です。」

「吟遊詩人!?」

「はい。楽器を奏で、歴史や出来事や日常の喜怒哀楽を詩にして、歌う者です。」

「歌を…。ええーと、じゃあダンジョンではどのような…。歌で魔物を倒す…とか?歌声でドカーン、みたいな?」


 司書はしばらく考え込んだ。

「さすがに歌声ドカーンは無いとして…わたしにも詳しくはわからないのが正直なところです。イェミオーリ自身のお言葉は伝わっておらず、男神か女神かもわからぬ方。いつも鳥や虫となって地を放浪しておられると言われています。神話でも、イェミオーリが戦いで活躍なさった記録などはないのです。実はわたしも、イェミオーリ神の啓示石というのものは初めて見ました。なにしろ神官も巫女も神殿も持たない神なのです。この石は、誰かが詩の力を伝授しようとして作ったのでしょうが…。」


「ええー。じゃあダンジョンでは役立たず…?」

「そうまでは申しませんが。古来より、戦において歌で味方を鼓舞するということはあります。言葉と音楽の力で、仲間の手助けはできましょう。」

「攻撃力、無しかぁ…。」


 俺は正直、相当がっかりした。もともと石を使うのは賭けだとわかっていたものの、強い力を手にして怪物を打ち倒し、あの犬人マルマリどもを見返してやろう…などと期待していたのが、すっかり打ち砕かれた気分になった。そうそう甘い話はなかったのだ。

 だがこうなった以上、イェミオーリ神とやらのしもべ・・・としてやっていくしかない。


「よ、良かったですね~。吟遊詩人、珍しいじゃないですか…。レアですよ、レア。歌で励ましてもらいたいなぁ…。」

 ウェノラはそう言ったが、彼女も内心ハズレだと思っているのは伺えた。


 俺もウェノラも黙ってしまい、場が微妙な雰囲気になったのを察して、神官が助け舟を出した。

「わたしも深く研究したわけではありませんから、吟遊詩人の力とイェミオーリの祝福について多くは存じません。ぜひこれからこの図書館をご利用になって、文献をお調べになってください。詩を集めた書物もありますから、何か覚えて行かれるのも良いかと。」


 まぁ、そうだな。配られた手札で、今できる最善の手を打つしかないのだ。俺は自分に言い聞かせた。

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