第12話 刺し身

 小次郎にとってストラーストーンによる転移が初めてのことなら、転移先である大富豪の隠れ家もまた彼には初めての経験だらけである。

 完全密閉された室内を灯す電灯。

 フローリングの床板に塗られたワックスの感触。

 壁紙から微かに漂う接着剤の匂い。

 病気の人間が横たわる電動式のベッドに最新の医療機器。

 そして死期が近い人間が放つ死臭を塗りつぶすような消毒液の匂い。

 現代日本と比べて科学技術の発達が殆どないに等しいアイジーの人間からすれば、まさしくアヤカシの家としか思えないだろう。

 これは異国の技術が発達しているだけという、小次郎の中での自己解釈の枠を超えているようだ。

 あまりの光景に彼は深く考えることを止めて、フェイトについていくことに決めた。

 ベッドの横にフェイトと小次朗が並ぶと、首を動かした大富豪の目が光る。


「彼がブラフマンが見出した料理人か?」

「ええ。小次郎という名前です」

「もう少し良く顔が見たい。近くに来てくれないか」

「待ってくれ。その前におぬしが何者か教えてくれても良かろう」


 いくらフェイトを信用して彼女に従うことに決めたとはいえ、雇い主として自分を呼んだ男がこの状況なのはどういうことか。

 名前すらわからない男に対して料理を作ることしかできない自分に何を求めているのかと、疑問を向けるのはさもありなん。


「わしは及川竹造という、人里離れた山奥に引きこもったしがない老人よ。まあ……この屋敷を見ての通り、金だけはあるがな」

「たしかにこの建物の中は見たこともないモノばかりで、アヤカシが住む館と言われたほうが納得でござるな」

「キミは面白いことを言うな。たしかにわしはある意味でアヤカシよ。病に倒れる前はそう呼ばれたこともあった」


 及川が自嘲するアヤカシは政治家に干渉するフィクサーとしての意味。

 しかしまつりごとには関わったことのない小次郎からすれば、本当に彼がアヤカシの仲間だと錯覚するのには充分な言葉であろう。


「なるほど……つまり、その病を癒やす料理をご所望か。拙者は元より神罰を受けた身……出来なければ取って喰おうとも、それを咎める人間はおらんからな」


 小次郎の解釈が飛躍しているのはフェイトにも明白である。

 しかし、及川はそれを面白いと思ったようで、体にさわるのを厭わずに笑ってから頼みを告げた。


「カカカカ。何もそこまで無茶な要求はせん。なぁに……わし頼みはとある料理を作って欲しいだけの話よ。それが出来るのはキミだけだとブラフマンには聞いている」

「とあるとな? その言い振りだと、料理の献立は既に決まっているようだが」


 小次郎の推察に及川は同意の意味で頷く。


「左様。作ってもらいたい料理はヒグマの刺し身よ。キミのいた世界にはヒグマは居ないから簡単に説明すると、キミが調理をして神罰を受けることになったカムイ……アレの仲間だと思ってもらっていい」


 カムイの仲間と聞いて小次郎は生唾を飲み込んだ。

 いかに類似の生物とはいえ、カムイを食べたいというこの老人は神をも恐れぬ大アヤカシなのだろうかと。

 そして自分は探究心からカムイを殺し、調理して食べた神殺し。

 アヤカシに助力を求められるのは自明の理かもしれないと彼は思う。


「頼みはわかった。だが刺し身ということは、そのヒグマなる生き物を生で食べるのか? 獣肉を生で食べるのは腹を壊す。その体では死んでも知らぬでござるぞ」

「それくらい承知の上よ。しかしキミはそれを解決する技を身につけているハズだ」

「!!!」


 カマかもしれない及川の言葉に小次郎は秘密を見抜かれた様子でドキリと驚く。

 それというのも、彼が探求のためにカムイを調理した際に用いたレシピには、肉を生で食べるための秘技も記載されていたからだ。

 実際彼はカムイの肉でその技を試している。

 伝承の中には「カムイの肉は生食が最も美味だが、その美味を感じ取った者は死ぬ」という話もあったのだが、生食してから今日まで彼の腹具合に異常はない。

 ヒグマがカムイと同種の生き物であるならば、同じ技を使えば腹に優しい生食が出来るだろう。


「そこまで知っておられるとは。やはりおぬしらはアヤカシに相違ない」

「フカカカ。本物のアヤカシは、わしやそこにいる彼女ではなくブラフマンよ。わしらはしょせんブラフマンに振り回されているただの人間じゃ。それで……キミはわしの仕事を引き受けてくれるか?」

(半ば連れ出される形とはいえ拙者は神罰の途中で逃げ出した男でござる。どうせ拙者には引き受ける以外に道はない。それにもし奇跡が起きれば、この老人に仕えている彼女と──)


 及川の誘いを小次郎はちらりとフェイトの顔を見てから答えた。


「引き受けましょう。ヒグマなる獣に拙者の技が通用するかは賭けになりまするが」

「カカカ。ありがとう。それに確証がないことはきっぱりと賭けだと正直に言う男は頼りになる。ヒグマは外の森を探せば居るはずだ。調味料や道具は屋敷の中のものは好きに使っていいし、足りないモノは言ってくれれば取り寄せる。だから最高の料理を頼むぞ」

「心得た」

「小次郎さんも承諾したようなので、私はここで──」


 小次朗が依頼を引き受けたところでフェイトの仕事はここまで。

 なので結果を見届けずに家に帰ろうかと思ったわけだが、そうとは知らない小次郎は善意から彼女を引き止めた。


「引き受けるついでに、フェイトどのにも拙者の手料理を御馳走したい。そのぶんの食材も一緒に用意してもよろしいか?」

「フッ」


 フェイトにも自分の料理を食べさせたい小次郎には秘めた思いがある。

 その真意を見抜いた及川はお節介で彼を後押しした。


「もちろん。フェイトと言ったか……キミも折角だし、彼の調理をサポートしてあげなさい。そうすれば小次郎くんも本番の料理だけではなく、味見でいくらでも彼女に料理を食べてもらえるからな」

「それは助かる。では早速だが、手伝ってはいただけぬか? フェイトどの」

「え……あ……はい」


 帰ろうとしたところでのこの流れ。

 ここで断ったら及川や小次郎の機嫌を損ねるだけなら良い方で、ブラフマンからも横槍が入りそうな気配をフェイトは感じ取る。

 渋々ながら、小次郎の手伝いという残業時間に突入するフェイト。

 またしばらく家には帰れないかと、彼女は誰かに連絡を入れた。

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