第11話 スカウト

 人気のない場所まで駆け抜けたフェイトは息を切らせながら小次郎をおろした。

 走っている間、恥も外聞もなかったフェイトの着物は着崩れていたようで、小次朗という抑えを失ったことではだけてしまう。

 月明かりがキラリと差し込んだことで艶めかしく輝く汗に濡れたフェイトの胸元。

 アイジーの貞操基準としては刺激が強い。


「お、おぬしは……拙者をどうするつもりだ」


 小次郎は狼狽えながらたずねた。

 彼からすれば、カムイに襲われていた見知らぬ女性を助けたつもりが、実のところその相手は助けなど不要なアヤカシだったとしか思えない。

 恥ずかしげもなく整った美しい体を見せつけていて、しかも髪の毛は老人の白髪ともまた違う銀色。

 先程の健脚や抱き抱えられたときに感じた膂力を見るに、これはカムイよりも獰猛な相手ではなかろうか。

 フェイトのことをアイジーに伝わる気に入った男を力づくで手籠にすると言われるアヤカシ──五尺五寸釘だと小次朗が誤解するのも無理はない。

 神罰による死をも受け入れていた彼でもアヤカシは怖いようだ。


「初対面でいきなり抱えて走り出したりして申し訳ありません。私は──」


 まずは失礼を謝ってから、ブラフマーエージェントとしての説明を始めようかと思ったフェイトだが、途中で言葉に詰まってしまう。

 今回の仕事でフェイトも初めてアイジーに来たわけだが、この世界ではブラフマンの名前を出しても通じないからだ。

 自分と同じく地球から別の異世界に転職する場合にはリアル異世界転移と言えばある程度話が通じる。

 魔法の類や神の奇跡が日常的な世界ならば最悪ブラフマンの知名度がなくてもれっきとした神である証拠を見せれば信じてくれる。

 だがアイジーはどちらにも該当しない。

 信仰心は強いが本物の神が隣り合わせにいるわけではないので、見知らぬ神など信じてくれないわけだ。

 なんと言えば良かろうと顎に指をつけて悩む彼女に小次朗が逆にたずねた。


「何を隠している。まさか本当に五尺五寸釘なのか?」

「え? 違いますよ」


 いきなり知らない名前で呼ばれたことで、フェイトは素の反応でそれを否定した。


「ならば、何故拙者をこんなところに連れ出した。手籠めにするつもりではないのか?」

「手籠めって……まさか私を痴女か何かだと勘違いしているんですか? たしかに私は貴方の力を借りたくて、貴方をここに連れてきましたよ。だけどそんなつもりじゃ──」

「だったらその格好はなんだ。肌を晒して、拙者のような咎人を構わずに誘惑するなど……それこそおぬしがアヤカシである証拠だ」

「え?」


 小次郎の指摘を受けるまでフェイトは着崩れを失念していた。

 何を言っているのだろうと胸元に目線を向けると、彼女のまろびでた乳房が月明かりに照らされている。

 これでは紛うことなく痴女ではないか。


「ちょっと見ないで!」


 驚いて声をあげたフェイトがしゃがみこんで頼んだところで小次郎は視線を変えなかった。

 もちろんフェイトのことをアヤカシだと思っていたから警戒しているのもある。

 しかしそれ以上に、彼は目の前にいる女という生き物に釘付けになっていた。

 彼は現在フェイトと同じ25歳。

 物心がついた頃には料理修行に明け暮れて、ハタチを前にして独り立ちして己の技量を磨くことに没頭していた。

 つまりこれまでの人生で女性というものを彼は知らなかった。

 なのでフェイトの恥ずかしがる姿に胸が揺り動かされる理由が彼には理解できない。

 どうして最高の食材を見つけたときのような興奮を彼女に対して抱いているのかと。

 結局彼はフェイトが着崩れた着物を直すまで、じっと彼女を見続けてしまった。


「見ないでと言ったじゃない」

「す、すまん」

「まあ……無理やり連れてきた無礼が私にもありますので、私がアヤカシではないとわかってくれたのならばそれでいいです」

「本当に違うのか?」

「もちろんです」

「そうか……残念だ」


 彼が何を残念がっているのかを、五尺五寸釘とはどのようなアヤカシか知らないフェイトは小首を傾げるだけである。

 だが、アヤカシ出はないと受け入れたときに下がった声のトーンから、最初ほど自分のことを警戒している様子がないことにフェイトは気がつく。

 このまま事情を説明して、彼をブラフマンが指定する職場に連れて行ってしまおう。

 それにはアヤカシという設定はむしろ好都合か。


「でも妖術みたいなことなら私にも一つできますよ」

「おぬし、一体何をかんで……っとぅえっ!」


 妖術と呼称したフェイトが使ったのはストラーストーンによる転移ゲート。

 ブラフマーエージェント御用達な道具の力とはいえ、転職の神ブラフマンが生み出した界渡りの秘石である。

 下手な手品よりも真っ当な妖術だと言ってもいい。

 初めて見る転移ゲートの怪しい光に腰を抜かした小次郎に手を差し向けるフェイトに彼はときめく。

 この時点で彼はフェイトに惚れていたのだろう。


「申し遅れました。私はとある人物の専属料理人を探しにこの国に来たフェイトと申します。貴方が山人国でも腕利きの料理人、神喰いの小次郎さんでよろしいでしょうか?」

「拙者はいかにも小次郎と申すが、神喰いとはまた皮肉な二つ名だ。妖術が使えることと、その口ぶりや容姿から、おぬしは他国の人間のようだが……そんな遠くにまで拙者がカムイを調理して食したことが広まっておるのでござるか?」


 彼の疑問に一度彼を起こした後でフェイトは答えた。


「いいえ、私の雇い主の耳が良いだけです。転職の神……と言ってもわからないと思いますが、私はブラフマンの指示で貴方をここから連れ出しにきました。このままでもカムイの餌として処刑されるのを待つ身だったわけですし、少し私の誘いに乗ってみてはもらえませんか?」

(フェイトか。聞き慣れぬ名だが、異国のべっぴんさんとしてはしっくりくる名前ぜござる)


 黙って頷いた小次郎の様子に、同意なのか偶然首が動いただけなのかわからないフェイトは少し戸惑う。

 だが実際には小次郎は彼女に見とれて惚けただけ。

 もう一度聞き返して「もちろん」と言う答えを聞いたところで同意とみなし、彼を今回の転職先へと連れて行った。

 場所は日本。

 北海道の自然公園の何処かにある、人工衛星にも映らない秘密の隠れ家。

 その場所で小次郎の到着を待つ病に冒された男の命は、この瞬間にさえも消えようとしていた。

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