第10話 カムイ
料理の腕前に対しての評価が異様に高い世界「アイジー」。
この世界に住む人間が持つ技術やセンスは、日本の料理人を凌駕していた。
そんな世界には小次郎という神に近いと呼ばれていた一人の料理人がいる。
だが今の彼は調理道具を置いて檻の中で喪に服していた。
「選ばれし者もこうなっては卑しいヤツだ。いくら反省しているフリをしてもお前の罪は消えぬぞ」
屋外に置かれた檻の中の彼に対して、通りすがりの紳士が厳しい言葉を投げかける。
それというのも、この小次郎はカムイと呼ばれる生き物を殺してしまったからだ。
カムイは後ろ足で立ち上がると2メートルほどの身長があり、黒い毛に全身が覆われた猛獣である。
アイジーではこのカムイは神の使いと呼ばれており、たとえ子供が食い殺されようとも、殺してはいけないと言われていた。
だが小次郎はその禁を破ってしまう。
果てしなき料理人としての探究心の果に。
「二度とこの国に立ち入りさせません。だからこのまま処刑するくらいなら、彼を釈放してはもらえないでしょうか?」
「ならぬ」
そんな小次郎を降りに入れた人物。
この村の長に話をつけに行ったフェイトだが、まるで相手にしてもらえないでいた。
アイジーではブラフマンの存在は知られていないため、彼の名を出して強引に話を進めることもできない。
かと言って、真正面からお願いしても、この世界の常識としての罪人を釈放することなど無理な相談である。
こうなれば力づくでいくしかないか。
埒が明かないと判断したフェイトは夜襲をかけることにした。
暗くなると檻の周囲には誰もいない。
この世界はあまり科学が発展しておらず、神秘への信仰意識も高いが魔法のような人が操る神秘もない。
文明的には中世日本の農村くらいだろう。
この世界でのフェイトの姿もそれに合わせた着流しである。
大きめの胸がまろびそうだが、ここでは物珍しい銀髪なので昼間でも下心を向ける男はいなかった。
(甘い匂い……なにかの罠かな?)
檻に近づくと昼間には火が灯っていなかった松明から漂う匂いにフェイトは気がついた。
蜂蜜のような甘い匂いは何かを誘っているかのようで、松明の薄明かりの中で凝らした目にそれが写る。
(カムイ?)
この匂いが誘っていたのはアイジーにおける神聖な猛獣だった。
ガリガリと木製の檻を削る音がして、放っておけば檻を破ったカムイに小次郎が食べられてしまうだろう。
これがこの村において禁を破った者に課せられる刑罰。
昼間は衆人に咎人の姿を晒し、夜は密を松明で焚いておびき寄せたカムイに沙汰を委ねる神罰である。
もしカムイが檻を破り、なおかつ夜明けまで咎人を生かしたのであれば、カムイが許したと見て釈放するとうモノ。
重い罪には神罰が用いられたのだが、いままで神罰を受けて生き残った人間はいないそうだ。
フェイトは神罰の詳細を知らぬまま、強引に小次郎を連れて行こうとしていたので、暗がりに現れたカムイに驚く。
いままでフェイトは別の世界でカムイよりも危険なモンスターと戦った経験があるとはいえ、信仰の対象であるカムイを下手に殺せば自分も小次郎と同じ目にあう。
経験上、こういった迷信や信仰に基づく刑罰は甘く見ると自分に降りかかるのが目に見えているため、フェイトは物陰で指を甘く噛んだ。
「ガンっ!」
この日のカムイは気が立っていたのかもしれない。
ついにカムイによって檻は壊された。
小次郎は檻の中で座禅をしていてさっきから微動だにしておらず、おそらくこのまま食い殺されても仕方がないと思っているのだろう。
そうなれば今回の仕事は失敗になり、フェイトにはブラフマンのペナルティが待っている。
それは流石にフェイトも避けたい。
こうなれば神罰を覚悟して手を出すしかないかと駆け出したフェイトの姿に気がついたのか、それまで座禅を崩さずにいた小次郎の目が開いた。
「喝!」
両目を開いた小次郎が睨むとそれだけでカムイの心臓は止まってしまった。
料理の世界アイジーにおいて狩猟料理はメジャーなジャンルである。
気を飛ばして獲物を気絶させる狩猟料理には重宝する特殊な技。
普通の料理人がウサギやトリなどの小動物や、大きくてもシカやイノシシまでが対象なこの技を小次郎はカムイに対して成功させていた。
これによりカムイはしばらく身動きできない。
このままカムイを解体して料理してしまえば、彼が神罰にかけられた一件の再現である。
「調理したカムイの喪に服し、神の裁きに身を委ねるつもりだったというのに……つい手を出してしまったか」
彼としてはカムイの攻撃範囲に飛び込んだフェイトを助けようという善意から禁を破っていた。
他の世界ならば美談になる行動だが、このアイジーでは例え襲われていたのが我が子であろうとも、カムイに手を出すのは禁じられている。
度重なる重犯。
見つかれば神罰を待たずに打ち首になるであろう。
「ご、ごめんなさい!」
「な! お嬢さん、一体何を?」
助けようとして助けられたことがフェイトとしては少し気恥ずかしいが、一先ずこの場は離れた方がいい。
そう判断したフェイトは説明もなく小次郎を抱きかかえると、その場を全速力で離れた。
フェイトの健脚は村を離れて、近くの川沿いまで一息で駆け抜ける。
村人が檻の惨状に気がついたころには、目を覚ましたカムイが壊れた檻の横で餌の蜜を舐めていた。
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