第3話 初仕事です!


◇◇◇


 それから一週間後。

 こないだ研修の案内の手紙が来たため、今日はグレースで初の研修を受ける日だ。


 この一週間でわかったのは、家庭教師が優しいこと。

 これから仕事もするのだからと言って、休日の教育は必ず休憩を何度も挟むと言ってくれた。


 それから、ミアが自分を監視するかのように様子を見てくること。

 そりゃ、前のクロエもミアから離れたくて仕事先を探そうとするだろう。


 最後に……ノア殿下と私は、冷え切った形だけの関係だということ。

 普通は王族の婚約者なら、働かずに王子を支えろって言われると思う。


 でも働いていいのはなぜかと侍女に問えば、「婚約者として恥をかかないこと」を条件に婚約したから、働いても働かなくても自由だと言う。

 要は私を放置しているのだろう。

 実際に、ノア殿下はこの一週間一度も私の部屋にやってこなかった。


「今日からグレースに入ることになりました、クロエ・フォーマッジです。よろしくお願致します」

「私は店長のフィービー・ヴェイア。よろしくね~」

「私は入社二年目のメルア・フォーキットです。よろしくお願いします~」


 百貨店の裏口からグレースへ到着し、朝から入っているシフトの店長とメルアさんに挨拶される。


「ノア殿下の婚約者だからって、特別扱いはしないからね?」

「はい、よろしくお願い致します」


 店長もメルアさんも、優しくタッチアップや接客マナーなどを丁寧に教えてくれた。

 日本で美容部員として働いたことはなかったけれど、日本よりはあまり厳しくなさそうだ。


 グレースの特徴としては、客層は主に10代後半~40代後半と幅広いと説明を受けた。

 もちろんそれより若い人も歳を取った人も来るらしい。


 グレースは貴族平民問わず使用できるくらいの、ハイブランドと比べると比較的リーズナブルな価格のブランドだ。


 この国は銅貨、銀貨、金貨が金銭らしく、グレースは銀貨一枚~四枚程度。日本円に換算すると千円~四千円で、そのためいろんな年代の人が購入するらしい。


 オススメを聞かれたら新作コスメを勧めるのが大事だと教わった。


 さらに、クレームを言ってくる人に対しても、怒鳴ってくるような迷惑なお客様に対しても、丁寧な言葉遣いで受け止め、絶対にブランドに傷をつけないこと。


 グレースを人々に広め、好きになって貰えるように積極的に呼びかけを行い、その人が好きと言ったコスメを全力で推すのが大事だそうだ。


 今月の新作は、もうすぐ秋になるためモーブブラウンの眉マスカラや、レッドブラウン系のアイシャドウなどが出ている。


「あのー……」

「いらっしゃいませ。お客様、何かお探しですか?」


 清掃をしている私にお客さんから声がかかり、モップの手を止める。

 隣にメルアさんがいるから安心して接客できる。

 お客さんは三十代前半くらいの女性で、清楚な格好をしていた。


「その、眉を上手く書きたいんですけど……オススメはありますか?」

「眉ですね、少々お待ちください」


 えーっと、アイブロウの場所は……と探すと、メルアさんが「ここです」と指さしてくれた。


「ご案内致します」

「クロエさん、左がペンシル、パウダー、スクリューブラシの三点がセットになっているもので、真ん中がペンシル、右がパウダーです」

「ありがとうございます……!」


 メルアさんが小声で早口で助言してくれる。

 私はその通りにお客さんに説明した。

 すると、お客さんはうーん、と唸って眉メイクのコスメを見渡す。


「どうにも上手く描けないんですよ。いつも失敗しちゃって。ペンで描いてみても、全然色が見えないんです」


 不思議に思ってお客さんの眉を見てみると……焦げ茶色のかなり濃い眉毛で、あまり整えていないことがわかった。

 眉を整えてもいいかメルアさんに許可を取ってから、お客さんに話しかける。


「お客様、眉毛を整えてみると毛量が少なくなって色が出るかもしれません。試しに整えてみてもよろしいでしょうか?」

「え、いいんですか?」

「ぜひ。眉を整えるだけでもガラッと印象が変わりますよ!」

「じゃあ、やってもらえますか? アドバイスや説明もしてほしいです」

「はい! 承知致しました!」


 お客さんをタッチアップの席に座らせる。

 メルアさんと店長が助言する中、私は眉ペンシルとパウダー、シェーバー、眉毛カットを二人から借りた。


「まず、眉毛の太さは目の縦幅の三分の二が良いと言われています。まずはブラシで毛並みを整えますね」

「は、はい、お願いします」


「次に、アイブロウペンシルで眉頭、眉山、眉尻の三点に印をつけます。眉頭は小鼻の延長線上、眉山は黒目の外側と目尻の間、眉尻は口角、小鼻、目尻の延長線上に印をつけます。アイブロウペンシルはこちらのナチュラルブラウンがお客様の肌の色や眉の色に合っているかと思いますが、こちらで印をつけてもよろしいですか? 他のお色も試しますか?」


「いえ、この色が可愛いからこれにします」

「ありがとうございます。では、印をつけますね」


 う、思ったより難しいぞ、他人にメイクするの。

 指が震えてしまう。

 深呼吸して、冷静に眉毛を描かなきゃ。


「そうしましたら、こちらのペンシルで点を繋げて輪郭を象ります。毛量を薄くするために眉毛カットでカットしていきますね。目を閉じていただけますか?」

「はい……」

「輪郭の外側にある眉毛をシェーバーで剃っていきますね。……こちらでいかがでしょう」

「……うわ! すごい綺麗になってる!」


 お客さんの眉毛は左右対称にきっちり揃えられていて、綺麗な平行眉になっていた。


 美容専門学校に通ってたから、ハサミの使い方だけは覚えていたのよね……。

 結局就職が難しくて、美容師にはならずにOLになってしまったけれど。

 それはともかく、お客さんが喜んでくれて良かった!


「クロエさん、眉マスカラも勧めちゃってください」

「あ……っ! わかりました!」


 メルアさんからの助言で、今週の新作も勧めなければならないことを思い出した。

 メルアさんが眉マスカラを持ってきてくれたため、お客さんの前に差し出す。


「こちらのモーブブラウンの眉マスカラが新作になっておりますが、いかがでしょうか。眉マスカラをつけるだけで、眉の印象がガラッと変わります。お客様の眉とも相性が良いかと思いますよ!」

「じゃあ、それも購入します! 眉ペンシルと眉マスカラの二つでお願いします!」

「ありがとうございます! ではお会計……」


 そこでピシリと固まった。

 レジの操作、まだ教えてもらってない! どうしよう!


 パニックになって固まってしまい、お客さんが疑問に思っている。

 これはまずい、お客様を困らせてしまっている。


「こちらでお会計致します! ……クロエさん、後は私がやっておきますので。お会計済ませた後にありがとうございます、とだけ言っていただければ」

「わかりました! ありがとうございます」


 メルアさんがお客さんを連れて、レジまで行ってくれた。

 こういう助け合いをしてくれるなんて、新人に優しい職場はすごく良い環境だろう。


 それからその日は店頭の清掃やブラシ・パフの掃除をし、タッチアップとカウンセリングの仕方の説明を受けた。

 店長的にはさっきのタッチアップでバッチリだそうだけれど、もう少しゆっくり選ばせてあげても良かったかもしれないと、アドバイスしてくれた。

 明日から商品の検品や陳列、レジの仕方を教えてくれるそうだ。

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