第2話 私の妹


 ノア殿下に熱が出て記憶が混乱しているから教えてほしいと聞けば、私は王族の婚約者のための教育を受けながら、働きたいと言い出したらしい。


 そして、王都のど真ん中の百貨店にある今この王国で大人気のブランド、グレースというコスメブランドの美容部員の面接に応募したそうだ。

 週五日の実働八時間。

 休日は家庭教師に王族の婚約者としての教育を受けるらしい。


 私はOL時代、メイクが大好きだった。

 職場では濃いメイクをしてはいけないから薄くしていたけれど、友人とランチをするとき、一人で出かけるときはバチバチの濃いメイクをしていたのだ。


 好きなブランドの新作コスメは毎回チェックして、自分に似合いそうだったら即買うっていうくらい、メイクをすることもコスメを見ることも大好きだった。


 だから、大好きなコスメを間近に見ることができる美容部員で働けるのは嬉しい。グッジョブ、転生する前のクロエ!

 にしても、休日も家庭教師からの教育だなんて、休める暇はあるのだろうか。


「それじゃあ、俺は執務室でダニエルと会ってくる」

「え、ええ。行ってらっしゃい」


 ダニエルって誰? とは聞こうにも聞けず、ノア殿下は私の部屋から去って行ってしまった。

 メイド服を着た侍女も「外で待機しておりますので、何かありましたら呼び鈴でお呼びください」と言って、いなくなってしまう。


『……ロエ。クロエ』


 おかしいな。

 誰もいないはずなのに声が聞こえるぞ。

 男性なのか、女性なのかわからない中性的な声が脳に響いてくる。


『クロエ・フォーマッジ!』

「ひぇっ!? はい、なんでしょう!」


 脳内に直接話しかけてくる中性的な声をした何かが、大声で呼んできた。


『私はこのベルリア大陸の創造神、ガイアだ。君に話したいことがあって話しかけている』


 ベルリア大陸というのは、恐らくこのベルクルーズ王国がある大陸のことなのだろう。


 これからこの国で第二王子の婚約者として生き延びていくためにも、国史や情勢を知っていかなければならない。

 家庭教師からの教育も、しっかり受けなければ。


 それにしても創造神が話しかけてくるだなんて……いよいよ異世界っぽくなってきたわ。


「えーと、何の用?」

『君の世界の神から、君が理不尽な目に遭って死んだと聞いた。通り魔に遭ったそうだな』

「よく覚えていないけど……多分、そうだと思います」

『不運な死に方をさせてしまったお詫びがしたいと言っていた。君はこの世界のクロエ・フォーマッジに転生してしまって、君の世界の神は世界線が違うからお詫びの力を託すことができない。代わりにこのベルリア大陸の創造神である私から、君にスキルを授けている』

「授けているって……もう、私の身体に宿ってるんですか?」

『そうだ。『魅了』というスキルを授けている』

「『魅了』? どういうスキルなん――」

「お姉ちゃーん!」


 私を姉だと言う誰かが、バタバタと走ってドアをノックもせずにバンッと開けてきた。

 小声で「神様? ガイア様」と呼んだが神様からの応答はない。消えてしまったのだろうか。


「お姉ちゃん、三日も寝込んだままだったんだよ? びっくりしたよぉ、このまま死んじゃうんじゃないかって」

「……っ」


 突然、激しい怒りが心の中を満たした。

 そこからビデオのようにこの「お姉ちゃん」と呼ぶ女性の記憶が脳内に流れてくる。


 この女性はミア・フォーマッジという名前で、クロエの血の繋がった妹。

 離宮に住んでいるわけではないのに、第二王子の婚約者の妹だからという理由をつけてやってくる。


 今までミアに欲しいコスメや洋服、ジュエリーをクロエは全て奪われていた。

 だからミアから逃げ出したいがために第二王子の婚約者になるくじ引きに参加したのだ。

 見事当たりくじを引いて婚約者になれたけれど、それでもまだミアが追いかけてくるから、クロエはミアとの時間を少しでも少なくするために美容部員の面接に応募した。


 さらに、ミアはクロエの婚約者のノア殿下まで自分のものにしようとしていて……。

 これは、私がクロエに転生する前のクロエ自身の記憶だろう。

 今すぐこの場から離れたいという意思が心を覆いつくしてくる。


「あたしも将来美容部員になろうかなー。お姉さまでも受かるなら、あたしでも受かるんじゃない?」

「……」


 私が転生する前のクロエも、こうして馬鹿にされてきたのだろう。

 ミアが制服を着ていることから、恐らく学生だ。


「そうね。働いたことがないミアには、まず面接に受かることからが目標なんじゃない?」

「……っ! お姉さまの馬鹿! ノア殿下に報告してくる!」


 なんだその先生に言いつけてやろう的な態度は。

 ミアはくるりとワンピースを翻して私の部屋から出て行ってしまった。


 この世界での就職面接もきっと厳しいはず。

 面接にすぐに受かったこのクロエはすごく優秀だったんじゃないかな。


 世間の厳しさをミアはわかっていないから、こうして嫌味を言ってくるのだろう。

 クロエはきっと、面接で極度に緊張し、気を張り詰めすぎて面接が終わった後に高熱を出してしまったんだと思う。


 離宮を走ってはいけないことは普通ならわかるはずなのに、ミアの思いきり走る足音が私の部屋まで響いていた。

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