第2話 始まりの瞬間

「運動部、やなんだよね。」


スマホの画面から目を離さずに、小野健太郎は僕の問いに答えた。

僕より10センチは高い長身で、部活を辞めて伸び始めた坊主はスポーツ刈りのようになっている。


「中学の時は、バスケやってたのに?」

「だから嫌なんだよ。体育会系のノリがもうしんどい」

「うち上下関係厳しいらしいもんなー」

「てか、俺より下手な先輩にヘコヘコすんのいや」

「お前、それせめて教室帰ってから言えよ」


目的地である教室は目と鼻の先にあるが、念のため。

満開の桜の中、この高校に入学して一ヶ月。ようやくこの校舎の間取りにも慣れた頃。

体育館で行われた部活紹介のための学年集会を終えて、僕と健太郎は教室に向かっていた。

教室の一番後ろ、掃除用具の入ったロッカーのすぐ前の席に着席する。

健太郎の机は対照的に教卓の真正面に位置するが、いつも授業間の休み時間は僕の近くに座り雑談に興じていた。

引き出しの中の教科書と、資料集と、ノートを取り出し、いつものリュックに入

れながら


「やっぱ部活って、入んないといけないんだよね?」


健太郎は、帰り支度をする気配も無く、


「まあ、さすがに、強制ではないとはおもうけど」

「あー、でも、校則で何かしら入んないといけないってなってたもんなー」

「大畑さんに聞いてみたら? 案外、入んなくても大丈夫かもよ」

「あー…まだ、準備室いるかな?」

「呼んだ?」

「!」


誰もいないはずの背後から声がして、驚き振り返る。

平均身長以下の僕よりもさらに、10センチは低い年配の婦人が僕らを見上げていた。


「先生、いつからいたんすか?」

「完全に気配消してましたよね、殺し屋すか?」

「ん? なんだって?」

「いや、なんでもないす」

「あ、そうだ聞きたい事あるんですけど」

「何? 暗殺の方法とか?」

「いや、聞こえてんじゃねえか」

「それとは、別で」

「帰宅部はだめよ」

「話早いな」

「全部聞こえてたじゃん」

「全部じゃないよ」


答えながら、御婦人、大畑聡子先生は忘れ物でもしたのか、教卓の引き出しに向かっていく。


「ああ、あった、あった」


5時限目の授業で使った、古い英語の小説を手にして


「部活、いいのなかった?」


その、直球な問いに、僕らは思わず口を紡ぐ。

返事がないのを肯定と捉えたのか


「ま、別に私はやりたくないこと無理してやる必要もないと思うけど」

「え、でも」

「まあ、校則で決められちゃてるからねえ」

「……」

「校則を破らず、なおかつ部活には入らず、ってなると」

言いつつ、先生は僕らに一枚のチラシを手渡した。

『生徒会執行部 1年生募集中!!』

「学校に貢献するってとこかな」

先生は含みのある微笑みを浮かべていた。



最近建て直された新校舎の1階、職員室と放送室に挟まれたその部屋のドアは鉄製で物理的にも心理的にも開けるのに勇気がいるドアだった。ドアの上には、『生徒会室』と書かれた小さなプラカードが夕日を反射して輝いていた。

健太郎が生徒手帳を見返しながら呟く。


「確かに校則的には、部活でも生徒会でもオッケーだけど」

「こっちのがハードル高いよな」

「絶対志望動機とか聞かれると思うんだけど」

「部活やりたくないからですとはいえないよな」

「まだ、どっか文化部入って幽霊部員してたほうがマシだと思うんだけど」

「消去法で入るのはよくないよな」

「……」

「……」

「やめとく?」

「やめとくか」


ガチャと、立ち去ろうとした背後でドアが開く音がした。

「あれ? 1年生?」

よく通る、涼やかな声に振り返る。

そこに立っていたのは3年生の証であるボルドーのリボンをした女子生徒だった。快活さの象徴であるショートカットと、凛とした自己主張の強そうな瞳に魅入ってしまい、思わず立ち止まる。


「ああ、ごめん、えっと、生徒会室に用あるんだよね?」

「あ、はい」

「…はい」

「どうぞ、今、和希しかいないと思うけど」

「しつれいします」

「しつれいします」


生徒会室は、真昼間にも関わらず薄暗かった。カーテンは全部閉められ、部屋の中心部には大きなテーブルが使われることなく遠慮がちに配置されていた。そのさらに奥、ちょうど死角になっているところからパソコンか、テレビであろう液晶の光が漏れていた。


「和希ー、お客さん」

女子生徒の声に返事はない。

「多分、ヘッドホンしてるかも」

「あの」

「ん?」

「あなた、も、生徒会の方でしょうか」

「おっ、生徒会志望?」

「いや、えっと、その」

「ごめん、私、生徒会の人じゃないんだよね」

「え、でも」

「和希に頼まれてさ。この間の撮影データ持ってきただけ」

「撮影?」


「あああ!!」


突如会話を突き破った大声に驚く。

生徒会室の奥から響いた大声の主は、ヘッドホンを首にかけて、その長身で駆けて来た。

「光里! 龍来れないって!」

長身と、目が合う。

健太郎と同じか、少し高い。骨太な体格は、運動部であることを思わせる。

少しパーマのかかった清潔感のある短髪、微妙にオーバーサイズの制服の着こなし、洗練されたそれらの要素が新入生の僕らからはまるで、テレビに向こう側の人間のように見えた。

「あれ、誰?」

「え、と」

「なんか、生徒会志望みたい」

「マジ? いるんだ、そんな人」

緊張で声が出せない僕に構わず、平然と

「小野健太郎です。よろしくお願いします。」

挨拶した健太郎を見て慌てて自分も挨拶する「土田迅です!」

「よろしく、俺、岡部和希。一応、生徒会長。全校集会とかで見たことあるよね?」

「あ、はい!」

「和希、龍どうしたって?」

「ああ! それ! なんか、来週から地区予選始まるから、部活戻らないといけなくなったってLINEで」

「うそ! え、マジ、どうすんの?」

「あの…」

「ああ、ごめん、えっと、ちょっと、そこ座って待ってて」

「あ、はい」

「とりあえず、代役立てるしかないよね!」

「だよな、誰か出来そうな人いる?」

「あー、運動部は厳しいかも、ほら、今どこも予選の時期だから」

「吹部とかは?」

「もっと無理。」

「だよなー、山下とか声はかけてたけど」

「いっそ、文化部は?」

「いやー、筋トレとかしてるやつじゃないと厳しいだろ」


なんの会話をしているのかわからないまま手持ち無沙汰にあたりを見回す。

ふと、岡部がさっきまで座っていたであろう席に近づく。1台のMac Book Proが電源付けっ放しになっている。

以前YouTuberの動画で見たことある、映像編集ソフトの作業画面が映っていた。どうやら編集作業中のようだ。

だがおそらく撮影素材であろうその映像は、生徒会室に似つかわしくない高層ビルの爆発映像だった。

こういうところで編集してるのって普通文化祭のオープニングとかじゃないのか。


「君、身長いくつ?」


岡部のその声で一気に思考から切り離される。

「はい?」

「えっと、180にこの間なったばっかです。」


あ、健太郎に聞いたのか。


「部活は?」

「まだ、決めて、ないです」

「ってか、生徒会志望なんじゃ」

「いや、志望っていうか」

健太郎は、僕に助け舟の視線を求めてきた。

「志望、ってわけじゃないんですけど、その、うちって何かしら部活入んないといけないじゃないですか?」

「うん、ま、文武両道掲げてるしね」

「でも、その、特にやりたい部活とかなくて、そんで、先生に相談したら、生徒会でもいいんじゃないかって言われて……」


健太郎と、互いに視線を合わせながら辿々しく説明する僕の話を聞いてくれる先輩二人の真剣な表情に、バツが悪くなり段々声が小さくなっていく。岡部は、しばらく目を瞑り、思案した後手を叩いて言った。


「おっけ、わかった。とりあえず仮入部的な感じで、生徒会、やってみようよ」


「え!?」

「え?」

「はあ…」


やれやれといった具合に、でもどこか楽しそうにため息をつく小泉光里。

爛々と目を輝かせ、こちらを見てくる岡部和希。


薄暗い部屋の一角で、吹奏楽部の練習の音だけが微かに漏れ聞こえていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る