第17話 変わってしまうもの

「りっちゃん、なんだよな?」


 細い路地裏、月明かりに照らされたのはかつての幼馴染の顔だった。俺に向けていた日本刀を下ろし、りっちゃんはまばたきをする。仮面が外れても無表情、仮面のようだった顔が次第に崩れていく。


「わ……! サダヒコ。久しぶり。元気?」


 りっちゃんは笑みを浮かべた。ただ純粋に再会を喜んでいる。

 俺は気味が悪かった。ちらりとスマホを見るが、もう先代との通話は繋がっていない。


 律の先ほど振りかぶった凶器を握ったまま、相手と話ができる神経を疑う。コレがあのりっちゃんなのか。内気でいつもびくびくしていて、でも優しかったあの女の子なのか。その異様な雰囲気の変わりようは化け狐の栖孤すことよく似ている。

 俺の怯えに気付いたのか、りっちゃんは手に持っていた日本刀を鞘に納めた。


「ごめん。僕もヒュっとした。危うく人殺しになるとこ」

「……ご、ごめんで済むかよ。なんで襲ってきた?」

「えっと、その。聞いても笑わない?」


 誰がこの状況で笑うってんだ。笑えない状況なんだよ。

 そんな軽口すら叩けない。成長した顔に面影はある。だが目の前にいるのがりっちゃんだと信じたくなかった。


「僕、霊感があるの」


 りっちゃんが腕を強く握った。ぶかぶかの袖の下にある細い腕が分かる。伏せた目には闇が見えた。


「サダヒコ、ものすごく大きいのに取り憑かれてる。体が靄に包まれてる。近くで見ないとわからなくて……人型なんてよくいるから、間違えた。ごめんなさい」


 ぺこりと頭を下げるりっちゃんに俺は一歩後退る。りっちゃんに見えているのはおそらく俺の貧乏神の気配だ。何より先ほどスマホにかかってきた電話の声。先代の貧乏神が言った。わたしを殺したケダモノと。

 ミコ曰く、電話は霊界と繋がりやすい。死んだ霊界からの声だ。


 先代を殺したのはりっちゃんだ。なら貧乏神になった俺をりっちゃんはどうする。

 首を伝う汗を手で拭う。あのまま切られていたなら、きっと死んでいる。生暖かい感触が血のように思えた。


「……やっぱり信じてもらえない?」

「いや、信じるよ。俺にも見えるから」

「嘘!?」


 俺は乾いた唇を舌で濡らす。ここからは舌戦だ。

 ここで何をわけのわからないことを言ってるんだと怒ったふりをして帰るのが一番賢い手段だった。だがそしたら話ができるチャンスはもうないかもしれない。

 話しぶりから察するに、りっちゃんは俺の貧乏神の力を悪霊か何かと勘違いしている。できるだけ喋らせて情報を集めるんだ。放っておけば俺の命もそうだが、栖孤たちにまで被害が及びかねない。


「小さいときは見えてなかった。サダヒコ、いつから?」

「お、大きくなってからだ。りっちゃんは小さい頃からか?」

「うん……いろいろ、あった。だから言わなかった。ごめん」

「そう、なんだ。別に謝ることじゃないよ」


 りっちゃんは一瞬、口ごもる。そのいろいろあったの部分が知りたいのだが踏み込むのは難しそうだ。ちらりと腰に下げている日本刀を見る。柄の装飾は少ないが高そうな刀だ。刀身を見たのは一瞬だったが鏡のように反射する刀身は綺麗だった。たいそう切れ味がいいのだろう。振り下ろされた一瞬を思い返すだけで背筋がゾッとする。


「気になる?」

「ああ……それどうしたの」

「もらった」

「も、もらった?」

「うん。なんでも切れるって。ほんとに切れた」


 俺は顔を引きつらせるしかない。つまり俺の首も簡単に落とせたというわけだ。

 もらったからといって実際にやってみようとは普通ならないだろうに。人の形をしているのも切ったとも言っていた。りっちゃんはやはりまともじゃない。


「そんな物騒なもの誰からもらったんだよ……」

「神さま」

「……は?」

「神さま、だよ。わからない? サダヒコにも憑いてる」


 どっと冷汗が沸きだす。俺の認識が甘かった。りっちゃんは悪霊と間違えて刀を振ったんじゃない。


 俺は後方へと飛びのく。逃げ出そうにも足で負けている相手だ。人通りのあるところでは襲ってこなかった。なら人通りのある場所までしのげるか。逃亡の算段を立てていると、りっちゃんは不思議そうに首を傾げた。


「どうしたの?」

「お、俺を殺すんだろ」

「殺す? サダヒコを? どうして?」

「どうしてって、神さまだってわかってたんだろ。その上で殺そうとした」

「ああ……大丈夫。安心して、サダヒコ」


 両手を広げ、りっちゃんは迎え入れるようにして微笑んだ。


「僕が絶対助けてあげるから。取り憑いてるソレを取ってあげるから。妖怪も、悪霊も、神さまも僕が全部、消してあげるから」



 * * * * * *



 息を切らして俺は走った。追って来る足音はないのに、追われている気がする。鼓膜に足音がこびりついていた。

 逃げ込むように家へと飛び込み鍵を閉めようとするが手が震えて一回で閉められない。ガチャリと鍵が締まると戸を背にして座り込んだ。足ががくがくと痙攣している。


 嘘だ。嘘だ嘘だ。

 りっちゃんは人殺しだった。いや、神殺しというべきだろうか。人の形をするものでもためらいなく凶器を振りかぶる精神性は人のものではない。まさしくケダモノ。

 俺に取り憑いていると思っているから襲わなかった。もし俺自身が神だとバレたなら、今度は殺される。失敗した。失敗した失敗した。さっきの俺の態度は疑われているんじゃないだろうか。相手のことを探るなんて考えるんじゃなかった。


「サダヒコさま! 直帰してくださいって言ったじゃな――うえぇえ!?」


 ミコがリビングから出てきた瞬間、俺は勝手に体が動いていた。靴も脱がず家に上がり、ミコを抱きしめていた。

 温かい。生きてる、俺生きてるんだ。


「ど、どどどうしたんですか!? いつもあんなに連れない態度のサダヒコさまに一体何が!?」

「う……ひっぐ……」

「さ、サダヒコさま?」


 気づけば涙が出てきていた。蓋をしていた感情が溢れる。止めようとしても抑えられない。


「ご、ごめ……す、少しだけ、こ、このまま……」


 俺が言い切る前にミコが手を回し、背中をポンポンと叩いた。


「大丈夫です、大丈夫ですよ」

「あ……う……」


 言葉を紡ぐことができない。この瞬間、俺は小さな赤子だった。



 * * * * * *



「……落ち着きましたか?」

「あ、ああ。もう平気」


 俺は気恥ずかしくて顔を逸らしてしまう。まさか高校生にもなってこんなガチ泣きすることになるとは。

 だが涙とは大したものであれだけ怖かった感情も一緒に流してくれていた。


「何があったんですか?」

「そ、れは……」


 言ってもいいのだろうか。

 りっちゃんが先代の貧乏神を殺したと言ったら、ミコは一体どうするのだろう。どう動くのか想像もできない。もし先代の復讐だと殺し合いにでもなったら。いや、ミコが人を殺そうとするなんて、そんなことをするわけがない。


 ――でもりっちゃんはそうなったじゃないか。


「……ごめん。言えない」

「どうしてですか」

「俺がなんとかするから」

「サダヒコさま、一人で抱え込まないでください」

「違うんだ。そうじゃない」

「じゃあ何だって言うんですか」

「いや、それは」


 ミコのためを思って、なんて言えない。言葉が見つからなかった。


「あーもう! こんなに取り乱してるのに事情を聞かないわけにはいかないじゃないですか! どうして秘密にするんです」

「ミコだって話してないことあるだろ!」


 ぴしりと空気に亀裂が走った。自分の口を塞ぐがもう遅い。


「そう……ですか。バレてましたか」

「み、ミコ。俺は」

「いいんです。その通りですから。私は隠し事をしてます。だからもう聞きませんよ。でも、本当に一人では抱え込まないでくださいね。委員長さんでも、まめさんでも……栖孤さんでも。誰かを頼って下さい。私の秘密は、まだ話せないんです。だから私が話せるようになったそのときは、ちゃんと全部話してくださいね」


 ミコはそう言って笑った。いつもと違う下手くそな作り笑い。気丈に振る舞うその姿に、俺は何も言えなかった。




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