第11話 貧乏くじは引きに行け

 俺の先を歩くまめは校門を抜け先の横断歩道へと進んでいく。背からどす黒い帯のような紐が伸び、宙を漂っていた。俺にだけ見える運命の紐。


 紐を引っ張ればこの後に起こる出来事を変えられる。


 反射的に手を伸ばした俺の脳裏に「紐は引っ張らないでください」とミコの言葉が過った。俺が代わりに被害を受けるかもしれない、と。黄色の紐でもガラスが太い静脈を切っていたなら最悪死んでいたかもしれない事故だった。

 紐の色は黒。目の前には信号機。今度こそ待ち受けているのは死かもしれない。


 ――それがどうした。


「まめちゃん!!」


 叫んだ俺は紐を引っ張った。やはり紐は消失したが、黒いもやを残している。初めて見る現象だが気にしている暇はない。

 鞄を投げ捨てまめに向かって全力疾走する。信号は赤。まめはすでに横断歩道に踏み出していた。名前を呼ばれ立ち止まったまめは「へ?」と呆けた顔で振り返る。そこへ猛スピードのトラックが迫っていた。


 まめの腕を掴み、思いっきり引っ張る。このまま抱きしめて歩道側へと体を投げれば助けられる。そう確信したとき、俺は己の体に纏わりつく靄≪もや≫に気がついた。靄は無数の人の手を象り、俺の体を車道へと引き込もうとしている。靄の奥、いくつもの顔が俺を覗いていた。

 後方へ飛ぼうとした足が動かない。このままじゃ二人とも……。


「くそっ!」


 俺は体を半回転させてまめを歩道側へと放り投げる。反動で体が車道側へと投げ出された。いや、靄の手に引きずり込まれたというべきか。まめの背にも靄が見えたがこちらに引き込まれる様子はない。ほっと胸を撫で下す。

 まめが顔面蒼白になって目を見開いている。


 トラックのフロントガラスにハンドルに顔を伏せて寝ている運転手が見えた。俺は舌打ちをする。気づいて避けてくれるという淡い期待は潰えてしまった。


 走馬灯が走る。じいちゃんが生きていたとき。家族が揃っていたとき。サツキが生まれたとき。どの場面にもまめがいた。よく遊んだんだ。二人で……いや、もう一人いたな。引っ越しちゃった子が。元気にしてるかな。ああ、これから死ぬのにどうしてこんなに清々しい気分なんだろう。後悔はない。


 まめに向けて俺は笑った。そのまま目を瞑る。


「いやああああああああ!」


 まめの絶叫とともに衝撃音があたりに響いた。



 * * * * * *



「い、いた……いってぇええええええ!?」


 俺は右腕にはしる猛烈な痛みに悶える。コレがトラックに轢かれるということか。だが同時に疑問も湧き上がった。どうして右腕だけなのか、と。トラックに轢かれたらこれだけで済むわけがない。それにこの痛みはまるで大きなケモノに噛みつかれたかのようで……。


「んまー……神さまになったのに人間の味だなーサダヒコ―」

栖孤すこ!? ちょ、なんでお前俺の腕食ってんの!?」


 巨体の化け狐、栖孤が俺の右腕に噛みついていた。牙が突き刺さって血が流れている。辺りを見渡せば視線が妙に高い。どうやら民家の屋根上のようだ。

 轢かれたと思ったら食われてたって、なんだコレどういう状況だ!?


「うるせーなー、じゅる。助けてやった恩人にー」

「おい血を啜るんじゃねぇ!? ……え、恩人?」


 ちゅーちゅーと血を吸ったのち名残惜しそうに口を離した栖孤は口元をぺろりと舐める。そしてしっぽで下を指した。


「あ……トラックが」


 そこにはひしゃげたトラック。俺のいた先のガードレールをなぎ倒して横転している。車体の凹み方はまるで大きな尾で叩き潰したかのようだった。辺りに人だかりができている。


「本当に助けてくれたのか。ありがとう栖孤……でもなんで腕噛んだの?」

「夕は……人死にが出そーだったから屋上から覗いてたらよー。サダヒコが庇っててなー。昼飯の礼に助けてやろうと思ったら加減ミスった」

「おい夕飯って言おうとしたか今」


 なんだろう。助かったのに釈然としない。噛まれた箇所がズキズキ痛いし……。

 人の姿に戻った栖孤が物足りなそうな顔でお腹をさすっていた。


「あれ? 血止まってる」

「唾つけたからなー。そりゃ止まるだろー」

「民間療法すぎるだろ……エキノコックスとか大丈夫かコレ」

「失礼な奴だな!? 寄生虫なんてついてねーよ!」


 トラックの事故付近が騒がしい。まめは無事だろうか。集まった人の中にはミコや委員長の姿まであった。


「気になるか―? 安心しろよー誰も死んでないから」

「そうか、よかった。でもなんかトラックの下とか覗き込んでるけど」

「あー……あれ探してんのサダヒコだなー。轢かれたように見えたんだろー。血痕も残ってるし」

「おいそれ早く言えよ!? 降ろしてくれ生存報告してくるから!」


 栖孤に降ろしてもらい事故現場へと向かう。

 まめの姿が見当たらないことだけが気にかかっていた。



 * * * * * *



「何やってるの! 馬鹿、ほんと馬鹿!」

「どれだけ心配したと思ってるんですか!」

「すいませんでした……」


 俺はミコと委員長にぼこぼこにされていた。幽霊が出たと思われて委員長にビンタされ、ミコに限っては生きていると分かった上で往復ビンタだった。腕の怪我より腫れた顔の方が重症にみえる。

 肝心の轢かれた疑惑に関してはミコがうまいこと口八丁で誤魔化してくれた。跳ね飛ばされて校舎の中に飛ばされて枝先が腕に刺さって手当してからきただのなんだの……よくすぐ思いつくものだ。


「はぁ。紐を引っ張っちゃったのは仕方ありません。サダヒコさまがそういう人だってわかってますから」

「じゃあこんな殴るなよ」

「こら。開き直らないの」


 委員長がコツンと頭を叩いてくる。走馬灯まで見たせいか、またこうしてもらえるのがなんだかうれしい。顔がにやける。


「サダヒコさま叩かれて嬉しそうにしないでください……話はまだ終わってないですよ。紐を引っ張ったら黒い靄が出てきたんですよね? しかも掴まれたと」

「ああ。黒い紐だとそうなるみたいでな」

「それ紐の特性じゃないと思います」


 俺は首を傾げる。ミコに紐は見えないはずだ。なんでそんな断言ができるんだ。


「その靄、妖怪です」

「え? 妖怪って砂かけ婆とか子泣き爺とか、ああ。あと栖孤とか」

「栖孤さんにその並びで言ったら怒られますよ……? コホン。妖怪と言っても形を持たない低級ですよ。一時的になら摑んだりできるので、そうなんじゃないかと。心が弱ってると取り憑かれちゃうんです」


 ミコの説明に俺は歯切りした。心が弱っていた原因は俺だ。俺がまめに突き放すようなことを言ったから。


「ただちょっと妙なんです。低級に神さまを押さえつける力なんてあるはずないのに……」

「……一体じゃなかった」

「「え?」」


 ミコと委員長の声が重なった。自分の顔が青ざめていくのがわかる。


 あの靄は俺を引っ張った後、どこへ行った?


 まめの背にはまだ靄が残っている。俺は委員長の肩を摑む。


「委員長! まめがどこにいるかわかるか!?」

「え、まめちゃん? さっきまめちゃんを庇ったって話聞いてからメールも電話もしたんだけど通じなくて」


 嫌な予感が確信に変わる。このままじゃせっかく掴んだ手が手の届かないところへ行ってしまう。


「くっそ、どうする。どうすれば……栖孤! まだ近くにいるか!? 栖孤!」


 周囲に向かって俺は叫ぶ。ぶわっと風が起こったかと思うと背後から声がした。振り返れば栖孤があくびをしている。


「なんだよー……もう借りはないだろー」

「貸しでいい! 何でもする、協力してくれ!」

「サダヒコ、何を!? もう終わったんじゃ」

「終わってない!」


 委員長の言葉を遮り、ミコの肩を摑んだ。ミコは俺と同じように顔から血の気が引いている。


「低級は一体じゃ、なかったんですか?」

「教えてくれミコ。複数……いや、十数体の低級の妖怪に取り憑かれたら、どうなる?」

「そんなに多くの低級に取りつかれたら、その人は……確実に自殺します」


 背中に冷たい汗が伝う。

 夕刻に鳴くカラスの声が俺を嘲笑っていた。

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