第10話 後悔は繰り返す波のごとく

 二人で布団を頭から被ったまま、まめは俺の胸に顔を埋めていた。

 大人になんてなりたくない。まめの心の叫びに俺は何とも言えない虚しさを覚えていた。いつまでも子どもだと感じていたが、子どものままでいたかったとは。まめはまめなりに自覚していたということだろうか。


 俺はまめの肩を摑んで引き離した。


「まめ。子どものままでいられるわけないよ」

「え……? だってサダヒコ――」

「もう高校生なんだ。わかるだろ」


 闇の中、まめが言葉を失っている。傷つけただろうか。表情は見えないがきっとこちらの胸が締め付けられるような顔をしているんだろう。だが見えなくても関係なかった。


 胸が痛い。


 不意にばっと布団が剝がされる。急な明かりに目を細めるとそこには額に青筋が見えそうなほど怒っているミコがいた。


「サダヒコさま? 何をやってるんです?」

「あ、あはは。いや、その。まめが来ててさ?」

「玄関から声聞こえてましたからいることはわかってましたよ。でも女の子をベットに誘うのはそういうつもりですよね? 私が鍋から離れられないのをいいことに? サツキさんまでいるのに?」

「だ、だから違、うごぉ!?」


 俺が口を開けた瞬間にミコの手から何か投げ込まれた。喋っている途中だったのでその何かを噛んでしまう。瞬間、口の中に爆発したかのような痛みが走る。遅れて尋常じゃない辛さが襲ってきた。


「がぁああああ!? 痛、辛! ちょ、ゲホ。なにこれ!?」

「気つけ用の丸薬です。正気になりましたか?」

「気つけ薬の使い方間違ってんだろうが!?」

「ご飯なので早く来てくださいね。ほら、まめさんも」

「え……ああ、うん! 今行くね」


 妙に静かなまめを横目に見る。だがかける言葉が見つからない。俺たちは食卓へ向かうと妹のサツキが先に座って待っていた。テーブルにはビーフシチューやそれにつける用のパンやパスタなどご馳走が並んでいる。

 思わず唾を呑み込む。


「これは、すごいな」

「兄ちゃん! 早く座って! マジ腹ペコ……あれ? まめちゃん!? やっほ!」

「うん、サツキちゃん。久しぶり」

「ん? マ? まめちゃん大人になった?」

「……そう、かな。えへへ」


 全員が席につき、いただきますと手を合わせる。手を離すと瞬時に俺とサツキはスプーンとフォークを掴み目の前のご馳走に食いついた。その勢いたるや食い漁ってるといってもいい。


「んご、んむ! おいひーね兄ひゃん!」

「んぐ……食いながら喋るなサツキ。行儀悪いぞ」

「ふふ。そんな急がなくても大丈夫ですよ。……まめさん?」

「……え? あ、うん! おいしい! さすがみい子ちゃん!」

「あの、まだ食べてないから声かけたんですけど……」

「そ、そうだよね! おかしいよね! んん……おいしい!」


 食ったことないくらいうまい飯を前にして、俺の手はときおり止まっていた。横目でどうしてもまめを見てしまう。

 まめはずっと、どこか大人しいままだった。



 * * * * * *



 翌日の早朝、まめは運動部の練習があるからとぺこりと一礼して出て行った。

 ミコも女子三人だと自重するのだろうか、平穏な夜を過ごせた気がする。一晩寝れば調子が戻ると思ったが今朝のまめは元気そうに振舞っているだけだった。俺のせいでまめに元気がない。そう考えると気分が重かった。


 登校中ミコもいるのについため息を漏らしてしまう。


「どうしましたかサダヒコさま?」

「……大人になんかなりたくないなーって」

「何馬鹿なこと言ってるんですか。大人になってください」


 試しにまめと同じことを言ってみたが、やはり俺と同じニュアンスの答えが返ってくる。やっぱりそうだよな。俺は間違ってなかった、はず。


「げ」


 学校につくと校門からあの紐が伸びていた。帯のような宙に浮かぶ紐。校舎に入る生徒たちの体に触れても通り抜けている。前にうっかりコレを引っ張ったらミコの着ていたエプロンの紐が破れたのだ。


 もしこれを引っ張ったら学校で誰か裸に……って駄目だろそれ!?


 伸ばしそうになった手を片手で静止する。


「サダヒコさま?」

「へ!? あ……いや、何でもない」


 ミコには紐が見えないらしい。説明するとまたいらぬ誤解を招きそうだ。

 紐を無視して俺たちは校内に入る。

 ……そういえばあの紐、白じゃなくて黄色だった。


 ――ひゅっ……ガシャン!


 風切り音の後、何かが割れた音がした。見上げると何かの破片が落ちてきている。それが窓ガラスだと気づくのにそう時間はかからなかった。その落下地点には音に足を止めてしまった女生徒がいる。


「あぶ――」


 忠告は間に合わない。彼女にガラスの破片が降り注いだ。

 校舎の入り口は大騒ぎになる。ガラスで切ったのか女子生徒の足から血が流れていた。地面に赤色が点々としている。

 目の前の騒動を前に俺は立ち尽くす。


「あ……ああ……」

「サダヒコさま?」


 あの紐を引っ張っていたなら今の出来事を変えられたかもしれない。いや、俺なら変えられた。なのに俺はあの紐を無視したんだ。


 俺があの娘を傷つけた。


「ごめんなさい……」


 自分の制服の胸を握り締めた手がギシギシと音を立てていた。



 * * * * * *



 授業を聞いても俺はずっと上の空だった。

 ミコに事情を説明したところ、おそらく神さまの力だろうということだった。ミコは聞いたこともないそうだ。神さまである俺にしか見えないなら必然的に神さまの力に違いない、と。

 ガラスで怪我をした女の子を俺なら助けられたと言うとミコは神妙な面持ちをしていた。


「紐を引いたからといって先ほどの女の子を助けられたかは正直微妙です。サダヒコさまの力が貧乏神なことを考えるとサダヒコさまが身代わりになっていたかもしれません。これからは紐は引っ張らないでください」


 言われたことを思い返しては項垂れる。

「大丈夫か―」と隣の席の栖孤すこが声をかけてくるほどだ。化け狐だと知っていたので、お稲荷さんの入ったミコ特製弁当をくれてやった。

 午後の授業になっても腹は空かない。

 空に浮かぶ雲があの紐に見えた。


「サダヒコ!」

「あれ、どうした委員長。授業中だろ」

「どうしたじゃないよ。授業終わって帰りでしょ。いつまで教科書広げてるの」


 顔を上げると教室には委員長と俺以外誰もいない。俺は白紙のノートを閉じて乱雑にバックにしまった。


「サダヒコ、大丈夫?」

「ん……」

「何か力になれることある?」

「ああ……」

「サダヒコ」

「あ……ああ!?」


 不意に委員長に抱きしめられた。力いっぱいするものだから胸が押し付けられている。固いブラの先にある柔らかさが分かるほどだ。触れた場所からじんわりと熱が伝わってくる。

 委員長は頬を紅潮させて耳まで真っ赤になっていた。


「い、いきなりどうした!?」

「げ、元気になった?」

「ああなったよおかげさまで! なりすぎるから離してくれ!」


 ぱっと手を離すと委員長はパタパタと顔を手で仰いだ。

 俺も暑くなって制服のボタンを一つ開ける。


「今度は何かあったら相談してよサダヒコ」

「あ、ああ」

「言いにくいことだったら今みたいに抱きしめてもいいよ?」

「しないよ!?」

「ふふ。じゃあ、また明日ね」


 よほど恥ずかしかったのか委員長はそそくさと教室の出口へと向かった。出るときに転びそうになっている。

 慣れないことするからだ。


 はっと顔に触れる。俺は気づけば笑っていた。あれだけ思い込んでいたのに委員長の手にかかれば一発でこんなに立ち直れるとは……。


「感謝してもし足りないな」


 俺も帰ろう、ミコが校門で待っているはずだ。

 校舎から出て校門へと向かう途中、前方にまめの姿があった。昨日からまだ立ち直れていないのか、俯き加減で歩いている。

 声を掛けるのをためらってしまって、俺はまめの少し後ろを歩く。

 まめは校門前にある横断歩道へと進んでた。


「……え」


 目の前にはまめの小さな背がある。

 そこから黒い紐が伸びているのが見えた。







  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る