第8話 揺らぐ信頼

「おーもーいーサダヒコ両方持てよー」

「重い方持ってるだろ……あと普通にこれ以上は無理」

「情けないなー男の子だろー」


 俺は神無月栖孤かんなづき すこと実験に使う道具を運んでいた。栖孤の方が持っている明らかに量は少ないのに文句ばかり言っている。帰宅部のひ弱さを舐めないで欲しい。

 しかしまいったな……ミコから栖孤とは二人きりになるなって言われていたのに。今はまだ人通りのある廊下だからいいが、休み時間の理科室なんてどうあがいても二人きりだ。


「サダヒコなんか緊張してないかー?」

「き、気のせいじゃないか? ほら、重いから腕ぷるぷるしてるだけだ」

「お、ほんとだなー。えい」

「おあ!? おい、やめろ!」


 栖孤がわき腹を肘でつついてくる。不意のくすぐったさに大きく仰け反ると、栖孤はいひひと笑った。俺が恨めしそうな視線を送っても気にする様子もない。

 うーん。いたずら好きっぽいけど、別に危険というほどだろうか。


「栖孤、もう体調は大丈夫そうか?」

「あー……そーだな。大丈夫になったぞー」

「そう、か? ならよかった」


 なんか間があったが無理してるのだろうか。クラスにはちらほら人がいたんだから変わってもらうように声を掛けるべきだったか……まぁ、そんな声かける度胸は俺にはないが。

 さてあと少しで理科室だが大丈夫だろうか。いや、ミコが気にし過ぎなんだろう。


 両手が塞がっているので足で扉を開ける。ひんやりとした空気に少し身震いをして中に入った。明かりはついていないが問題なく見える程度の暗さだ。中央の机まで進んで手に持っていた籠を置いた。


「ここに置いておけばいいか。こういうのは非力な奴じゃなくて運動部に頼んで欲しいもんだよなー。コレ席ごとに分けて置いたほうがいいかな」

「……」

「栖孤?」


 振り返った俺は言葉を失った。

 そこにいたのは大きな一匹の狐。教室の天井につきそうなほど大きな体で俺のことを睥睨へいげいしている。口から熱い息を吐き、その口元から鋭い歯を覗かせていた。


「……サダヒコ。お前何者だ?」

「うぁ――」

「叫ぶな!」

「か、は……」


 大きな前脚で押さえつけられる。圧迫されたことで、声を出そうと吸い込んだ息を全部吐き出してしまった。息が……呼吸ができない。顔の横に大きな爪を突き出し、顔を近づけてすんすんと匂いを嗅いだ。


「神の気配。どうしてただの人間に……いや、これは知ってる匂いだなー。あの引き籠りの匂い、そういえば名前も同じだなー」

「……ぶはぁ! はぁー、はぁー!」


 栖孤は少しだけ拘束が緩め、俺は大きく息を吸い込む。これまで様々な災難に巻き込まれてきた。だがどれも些細なものだ。怪我をすることはあっても、命に関わるものはほとんどない。

 今、初めて俺は命の危機を感じていた。


「おい。サダヒコは……いや、先代はどうした?」

「はぁ……はぁ……お前栖孤なのか? どうしてこんな」

「質問してるのはこっちだろー。もう一回窒息したいのかー?」

「わ、わかった! 先代って前の神さまだろ? 貧乏神が嫌になってやめたよ!」

「嘘つくなよー」


 またぐっと力を込めようとしている栖孤に俺は慌てて首を振った。抜け出そうとしても全く動けない。


「嘘じゃない! 本当だ!」

「ありえないんだよー。神さまっていうのは簡単にやめられるものじゃない。特にお前の先代に限ってはやめるなんてことは絶対にない」

「じゃあわかんねぇよ! 俺はいきなり神さまにされて困ってんだ!」

「本当に何も知らない? そんなことあるわけ……ああいや、ありえるのかー。お前の姓は雨字あめじだもんなー」


 俺を押し付けていた前脚が緩んだ。一体どうしてと疑問が浮かんだが、逃げ出すなら今しかない。俺が抜け出そうとしたとき、栖孤はぽつりと呟いた。


「そうか……あいつ、死んだのか」


 俺はピタリと止まった。死んだ? 前の神さまが?


「それってどういうーー」

「サダヒコさまから離れなさい化け狐」


 声のした方向へ顔を向けると、敵意を剥き出しにしたミコが立っていた。その手には杖のようなものをもっており、先端に神棚にあるような紙、紙垂しでがつけられている。


「へー……結界破れるのかー。てっきりただ見えるだけのやつかと」

「聞こえなかったの。サダヒコさまから手を離しなさい!」

「やめろミコ! 俺のことはいい! 逃げろ!」


 前脚の下でもがきながら俺は叫ぶ。いきなり襲い掛かってきた相手が敵意を向けられたら攻撃しないわけがない。

 俺はどうやってこの場を切り抜けるかを必死に思考を巡らせたが、栖孤は舌打ちするとあっさり前脚をどけた。顔を離すときミコに聞こえない声で耳元で囁く。


「誰かにバラしたらーあいつ殺すよー」


 背筋に冷たいものが走った。何の躊躇もなく、威圧するわけでもない声。栖孤はなんてことのないように言った。襲われているときでさえ感じていた栖孤の人間味を微塵も感じない。妖怪と人は根本的なところで違うということを初めて理解した。


「はぁああああ!」

「ちょ、--」


 俺から離れた栖孤にミコが手に持った杖を振るった。まるで届いていない。空振りかと思ったが延長線上にある栖孤の体が大きく凹んだ。

 馬鹿と言おうとしていた俺はそのままあんぐりと口を開けていた。

 栖孤は舌打ちして尾を振るうがその尾がミコに触れることはない。突き出した杖の前に壁があるかのように尾の毛が倒れていた。だが勢いは殺しきれなかったようで、巫女はそのまま後ろの壁へと突き飛ばされる。

 尻もちをついたミコの脇を栖孤は風のように通り過ぎていく。あまりの勢いにガタガタと外窓が揺れていた。


「ミコ! だいじょ――」

「サダヒコさま! お怪我ありませんか!」

「お、おかげ様で。……ごめんな。二人きりになるなって言われてたのに俺……っておい何で脱がそうとしてんだ!?」


 ミコは俺のシャツのボタンをプチプチと外していた。気を逸らしているうちにすでに四つ目あたりまで外されている。ミコはシャツの両端をばっと広げ、俺の上裸をガン見していた。

 さすがにやりすぎだ。遠ざけようとするとそのまま胸に倒れ込んできた。


「よ、よかった。本当に、本当に怪我はないんですね」


 ミコは安堵して完全に体から力が抜けてた。

 あまりにも必死な様子に俺は自分の軽率さを恥じる。腕を回しミコを抱いて背中を叩く。ただ心配してくれただけにしては過剰な反応だった。

 栖孤の言葉が脳裏を過ぎる。――そうか、あいつ死んだのかと。ミコは俺が先代について聞いたとき、最初わからないといった。

 ……本当に知らなかったのだろうか。

 死んだことを知っていたんじゃないだろうか。そしてこの取り乱し具合、まさか先代の死はただの死じゃないのか? まさか、まさかとは思うが。


 先代は殺されたんじゃないのか?


 ――いや、いや。考え過ぎだ。事故の可能性だってあるじゃないか。

 でも、だったら隠す必要なんて……。

 俺が思考の海に飲み込まれいるとガタっと音がした。顔を上げるとそこには委員長がいる。一瞬ほっとしたが、俺は改めて今の自分の状態を思い返す。


「……あっ」


 薄暗い教室の中、シャツの前をはだけた状態で胸にはミコが寄りかかっている。俺の腕はミコに回されていて抱きしめているといっても過言ではない。その上ミコは取り乱していたので妙に息が上がっている。

 委員長の視線は冷たさを通り越して絶対零度だ。


「先生からサダヒコと栖孤さんに仕事頼んだって聞いたから、二人きりになっちゃうと思ってさ。まずいと思って駆けつけてみたら……わたし、お邪魔だった?」

「ま、待ってくれ委員長。話を――」

「そうです。今いいところなんですから」

「おい冗談にならないから! 本当にヤバいから!」

「サダヒコ! ミコさん! 二人ともそこに正座しなさい!」


 委員長の説教は、正直栖孤に脅されたときよりも怖かった。

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