15.「おまえ、誰だ?」
「しらばっくれねえでおくれよ。あれだけわかりやすく
「ばっ、莫ッ迦ゆーなっ! てめえ、アレ殺す気だったろを。他人をシカかイノシシだとでも思ってんじゃねーか?」
オワカネは血相を変えてくってかかる。こっちの表情まで唾が飛ぶ。きたなッ。そんなにたやすくゲロッちゃっていいのかよ。勇者の与えた恐怖がそれだけ真に迫ってたってことかにゃ。だったらこの調子でどんどん攻めてこー。
「そいつはずいぶんおおきくでたね。アニキはせいぜいウサギどまりさ」
「う、ウサッ」
「さあ、話してもらおうじゃないの。いっとっけど、おれはオワカネのことなら六七パーセントくらいはわかってる。嘘ついたって六七パーセントの確率でお見とおしだ!」
「いかにも自信たっぷりにいってっけど、なんでもじゃないんだな」
「謙虚でしょ?」
「意味のない謙虚さだるを。嚇し文句として成立してねえじゃねえかッ」
「う、ウサッ」
「舐めてんのか、くをら」
ぺちん、と指さきで鼻の頭を弾かれる。
オワカネはおれの鼻を弾いた手を頭の上へ持っていき、若干くせの目立つ髪をくしゃくしゃに掻き毟る。ついでに表情の中心にもくしゃっとしたやつをこしらえて、椅子の上に浮かせていた臀部をどさり、と乱暴に下ろした。
「まいったナ。ここでおまえにしっぽをつかまれるとは想像もしてなかったわ」
「えっへん。おれだって成長しているのですだよ?」
「成長? ンなわけあるか」
ふんぞりかえるおれをオワカネはさめた目で見ている。おれ、というよりおれのバックグラウンド全体をとらえようとするかのごとき凝視、
「おまえ、
誰だ?」
慎重に慎重を期して、オワカネはうすい脣を開いた。おまえ、と、誰だ、のあいだにレタスの葉っぱなら五、六枚は挿めるほどのたっぷりとした間隔を空けて。
「をいをい。さっきまで温めてた旧交はなんだったのよ、いまさらひとちがいでしたはないよ?」
「わあってるよう、兄弟。昔なじみのダチ公の表情をおれが見まちがえるはずがねえ。あれはまごうかたなし、おれの最もとうとい黄金時代だったんだ。そこにいた誰ひとりとしてかたときも忘れたこたあねえよ。だからてめえがナキリだってことは百も承知だ、こちとらその上で聞いてんでい」
「自分が何いってんのかわかってないんじゃない、いっぺん病院行ってきたら?」
「いってることと表情があってねえぞ、この野郎」
ほとんど深淵を覗きこんでいるときの表情で、オワカネは吐き棄てた。
おれはげらげら笑ってる。今朝、妹の声を聞いて以来のほんものの
いやはや、こんなに早くきのうまでと同じように腹の底から笑えるときがくるなんて思ってもみなかった。やっぱり持つべきものはともだち、ってゆーか人生は
いまこの瞬間に限っていえば、あのまま魔王とともに散りはてていればよかったなんて、誰にも、いかなる――現在・過去・未来の――おれにもいわせるつもりはない。
「失礼。さきに説明を要求してもいいかな」
「なんのさきだよ?」
「おれの秘密を打ち明ける前に、って意味だよ」
「あるんだな、答えが」
警戒をひとときも解くことなく、オワカネはおれを睨めつける。一見、いまにも跳びかからんばかりの敵視だけど、その実、脱兎のごとく逃げだす準備を進めている。視線をまっすぐこちらへ向けつつ、周辺視野で退路を懸命に探ってる、おれにはそのことが手に取るようにわかる。しかしまことに残念ですが、勇者からは逃げられない! はわわ、これじゃ完全にこっちが悪役だわ。
「あるよ」
条件反射のように彼を見くびってしまったせめてもの罪滅ぼしに、ニコッと笑いかける。が、オワカネには逆効果だったみたい。
「他人のこと完全に下に見くさりやがって。いつからだ、いったいいつからそんな目でダチを見られるようになった。きのうじゃねえよなあ、おとついでもねえ、」
「今朝からだけど?」
「今朝、だとを。ふざけるんじゃねえよ、てめえのしてるその目つきは一朝一夕でやろうと思ってできるもんじゃねえぞ、とくにてめえみたいなぼんにはな。そいつはおれもよく知ってる差別と迫害の目だぞ。ナキ、いってえ
「だからそれを話すのは、カネヤンが話してからだっていってんの!」
「よしんばそいつをこっそり学んでいやがったとして、どうやってそれを隠しおおせてた? そもそもどーして隠さなきゃなんねえ? あああっ、わからん! すくなくともこの三日のあいだ、一瞬たりともその徴候すら顕しやがらなかったのはなぜだ?」
ほとんどパニック寸前の体で、オワカネは両手で溢れんばかりの毛量の髪を掻き毟る。をいをい、いくらフッサフサだからってそんなに力の限りやってると将来禿げるぜ。ヤ、それよりも三日? 三日のあいだってなんだ。
「ひょっとして最初から気づいてたのか?」
「ひょっとして最初から尾けていたのか?」
シンクロニシティーで通じあう一卵性双生児のように、オワカネとおれは同時に口を開く。
互いの表情を正面に見すえ、まったく通じあえていないことを、これまたときを同じくして、(再)認識。
「オーケイ。つまり、オワカネは二日前からおれを張ってたわけだ、ウィネトカじゃなく、ここアフラで。いったいどうして?」
いや、聞かなくても理由はわかってる。勢いで聞いちまったけど、オワカネが話さないってことも。
これで謎は氷解した。
解答は、このイベントの初っ端にほとんどおれがいいあてていたも同然だ。
――ひょっとして最初のときもそうだったのかも。
文脈に沿って多少の読みかえは必要とはいえ、これでだいたいあっている。
誰が悪いのかといえば、すべて閣下のしわざといってやりたいところだけど、ブロブディナン氏に悪意があったわけじゃない。彼の憂鬱にとらわれたおれの取り越し苦労、って評価が妥当じゃないかな。想定外の何か、すなわち宰相閣下のおっしゃる歴史の分岐点とやらの侵犯は出来していない。すくなくとも今夜のところは。
未来はまだ勇者の手の内に握られている。
きのうまでの――この表現もあと数時間ののちに使えなくなる――おれの旅において、おれはてっきりオワカネは
おそらく原因は、いつまで経ってもウィネトカからさきへ進むことができないでいた勇者のふがいなさにある。
そんな
もしも勇者としておれがすくすく成長していれば、ウィネトカでの再会は果たされず、その機会はつぎの町か、そのまたつぎの町までキャリーオーバーされることになったはずだ。
何しろ、この頼れる兄貴はおれが魔王を倒す旅を始めた当初から、じゃないッ、旅にでる二日も以前から、あえて好意的なことばを選べば、はじめてのおつかいよろしく、ヨチヨチ歩きの勇者(候補)の動向を、ちょっと離れた場所からつねに見まもってくれてたってわけだから。
そう、最初のときもそうだった。
ただ、敵の追尾に気づくおれのスキルがあまりにも低く、トーシロ同然、というより素人そのものだったので察知することができなかった、というだけの話。結局、彼が自分からおれの前に姿を見せるそのときまで、おれは彼の存在に気づきもしなかったし、彼の目的と正体が判明したあとも、この程度の瑣事についてはあらためて言及されることがなかった。
だから今夜、歴史を――というのが大袈裟に聞こえるなら、おれの記憶の中の過去を、あるいは既定の未来を――改変してしまったのは、もっぱら当方のうっかりミス。
おちゃめな勇者さん!
ブロブディナン氏のいいつけを遵守するつもりなら、つきまとい事案に気づいても知らんぷりを決めこむのが模範解答である。
さて、これでおれの気がかりは
さあ、ここからが新しい未来の始まりだ(半日ぶり二回め)。
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