13.つまらない回想シーンなんて

 個人的には、ブロブディナン氏の憂鬱は杞憂だと思う。


 彼のいうこと自体は理解できなくもない。


 ようするに、チョウの羽ばたきひとつで未来は変わらないとしても、それがふたつ、みっつ、よっつ、いつつ、むっつ、ななあつ、やっつ……いまなんどきだい?、ヘイ、ここのッつ!、てな感じで増えていき、とおでとうとう未来が変わる、みたいなことを怖れてる。おれが余計なことをしすぎれば、既定の未来だって無傷ではすまんぞ、と警告してやがる。


 そしてここでいう余計なことってのは、たとえば、きのうまでのおれが救いそこねたやつらを救おうとすることだ。それはただちにきのうまでのおれの行動に反する行動をおれに取らせるわけだから、風が吹いたら桶屋が儲かる的カオス理論の熱烈な信奉者である宰相閣下が懸念を懐くのはもっともなこったろう。


「おれは、目の前で誰かが泣いていれば、頭で考える前に、手が伸びちまうやつのことを勇者っていうんだと思ってる」


「ナキリよ、」


「待ちなって。逆に考えれば、それが勇者の限界だ。目の前で泣いてくれなきゃ勇者は手を差しのべられない。そして、ほとんどすべての泣いてる連中は、ケッ、おれの目の前以外のどっかで泣いてやがんだ。いわれなくてもわかってるよ、そんくれえ」


「老婆心だよ。許したまえ」


「おれは勇者の本分をきっちり遂げるつもりだ。心配すんなとはいわねえよ、それがあんたの仕事だもん」


「そうか。ならばこれ以上はいうまい」


 ブロブディナン氏は慇懃に肯くと、ほんとうにそれ以上何もいわなかった。


 ちょっち意外。


 この国の宰相ならこんななまぬるいやりかたじゃなくて、もっと確実に、おれの手足を縛る方法もあっただろうに。これでもいちおう、おれはフミエスタ王国民だし、おれの妹や母さん(それとおれの父親)だってそうなんだから。


 疑問が湧いたら、頭で考える前に、口からポロリしちまうたちのおれがズバリ訊ねると、


「莫迦者。すぐ近くにお父上がいるところで聞くことか」


 叱られた!


「勘ちがいしておるようだが、儂はフミエスタ王国という一国の宰相にすぎん。きみの旅が国の内にとどまるものなら、その力はおよびもしよう。だが、勇者の権能は国境を越える。儂はみずからの権力のおよぶところをわきまえているつもりだ」


 勇者の権能は国境を越える!


 すなわち、国境なき勇者、だ。


 このパワーワードが得られただけでも、宰相閣下とのおしゃべりは無駄じゃなかったとことほぎたい。





 以上の経緯を踏まえ、オワカネのやかましい声を右の耳から左の耳にスルーしながら、ブロブディナン氏の憂鬱が現実のものとなってしまったんじゃないか、とおれは現在進行形でヒヤヒヤしてるっつーわけだ。


「うをゐ、聞こえてっかあ、こちとらの声をよう。これで足りねえってんなら、もっとアゲるぜえ?」


 何を? バイブスか。


「ダイジョーブデース。聞コエテマスヨ?」


「カタコトじゃねーかっ! おまっ、ぜんっぜんわかってねえだるを」


「わあってるわあってるってば。だから耳許で叫ぶな」


 こぼれた飲料や料理の汁が乾いてベタベタするテーブルの上に腕をつき、オワカネはおれの表情の真横まで乗りだしてくる。確かに酒場の喧騒は例によって相当のもんだが、そこまでがんくびを近づけないと会話もできないっってほどの騒音レベルじゃない。そもそもオワカネの声はその内でもひときわ耳につく音量ヴォリユームだ。それを耳の近くでやられてごらんよ、年寄りとのつまらない回想シーンなんてたちまちフッ飛んじまう。


「をゐをゐ。ずいぶんとナマいうようになったじゃねえか、てめえ。ぅフーッ」


「はゃんッ。息吹きかけんな!」


「ククク。可愛い声だしやがってッはむ」


「咬むなあ、耳たぶ咬むなよう。くすん」


「れろれろずずずぴちゃぴちゃ」


 何このASMR。どんなシチュエーションCDだよ!


 おれはオワカネのくび根っこをつかんで引っぺがし、自分の席に行儀よく座りなおさせる。やべえ、これ以上やると追加課金の有料パートになっちまう、危ないところだった。


「お堅えナァ。吝嗇々々すんな、減るもんじゃなし」


「減りますう、勇者のライフが減るんですうー。このシュワシュワするポーションだって無料じゃないんだからねッ」


「おっと、そいつはちげえねえ。コイツは確かにお安かねえ。じゃ、ま、おれたちの不老不死の妙薬にひとつ乾杯といっとくか」


 がつん、と。木の杯をぶっつけあう。すでに十回以上はやってんだけど。


「なんにしろ、よーやっと、こちとらの話を、耳の穴かっぽじって聞く気になりやがったな、このセンセイは。やっぱしいまでもガシガシ本ばっか読んでんのかい、ムズカシイことばっか考えて、だから気もそぞろになるんじゃないかねえ。すえはお大臣にでもなるつもりかよ。ヨッ、読書家の星!」


「読書家なんてあんたにいわれたかねえよ、同じ穴のギークのくせに」


「や。そうでもねえ。いまじゃきっとおまえのほうが上だよ、何もかも」


 いのしかちょう、じゃなかったいみしんちょうなせりふ。これは失言か? 彼の事情をあらかた知っているおれでも、というかだからこそ逆にわからない。


「ドウイウ意味?」


「そのまんまの意味だヨ。てかよお、またカタコトになってんじゃねーかっ。おまえの頭はニワトリか? ちょっとはこのしがねえ昔なじみに情熱を持てや」


 おれの棒が見やぶられた!


 これではっきりしたことだが、何もかもが上ということはない。すくなくともおれの棒より、おまえの棒のほうが上だ(意味深)。


「じゃ、聞いてもいい?」


「をう。どんどん聞け、じゃんじゃん質問しろ。だが、最初にいっておくことがある」


「うん。金の無心と宗教の勧誘ならしないから安心して」


「ならばよし! ってそをじゃねーよッ」


「え、ちがった?」


「ちがわねえけど。これはお約束みてえなもんだるを」


「あー、ネタをつぶしたことを怒ってんのか。ざまあ」


 口から豪快にドリンク(※ノンアルコールです)を噴きだすオワカネ。ごらん、おれたちの頭上にキレーな虹が架かってるぜ。


「ナ、ナッちゃん? おまえってそーゆーコトいうやつだったっけ」


 哀しいことだけど、ドーナツの穴としてのおれはいまのおまえより耄碌する年齢になってしまったんだ、そりゃキャラ変もしますて。


「あ、ごめん。ついタテマエが」


「本音だるを。いまの完全に本音だるを。どこの惑星にうっかり建前をいっちまうやつがいやがんで」


「ごめん。いいまつがいまつた」


「そこは否定していいところ!」


 数年のブランクなんてなんのその。おれたちは面突きあわせた瞬間から絶好調フルスロツトルだ。かなうことなら、きょうというこのながい一日の終わりを同じなごみの下で締めくくりたい。


 そのためにもブロブディナン氏の憂鬱を、ここで晴らしておく必要がある。


「ねえ」


「ンだよ?」


「どうしてここにオワカネがいるの?」


「どーしてっててめえ。ずいぶんないいぐさじゃねえか? おんどれの生まれ育ったトコロによ、オイラがおわしちゃいけねえ法でもあんのかよ、このすっとこどっこいがあ!」


 オワカネはがんがん、と杯の底でテーブルを何度も敲く。


「いや、そういう意味じゃなくて、」


「クククの九。わあってる、わあってるよお。しばらくのあいだ、おれっちが留守してたのはまぎれもない事実だもんなあ、みなまでいわんでもわあってら。すまなかったよ、心配かけちまった、」


「いや、それもちがう。カネヤンがこの五年近くのあいだ何してたかはどうでもいい」


「をゐい。ダカラもうすこしおれサマに興味を持てと、」


「持ってるよ、ぎとぎとに持ってる」


「ことばの選択間違ってね?、なんか脂浮いてそうでヤだよ、その興味の持ちかた」


「あんた仕事の都合で、いまはウィネトカにいるはずじゃなかったの?」


 ウィネトカというのは、おれたちが町の名前だ。王都アフラから北進する街道の最初の宿場にあたる。魔王を倒す旅にでたおれが最初に躓いた場所でもある。

 ちなみに、王都からウィネトカまではおとなの足で半日くらいの距離なので、実質的に出発したその日に挫折の味を舐めました、てへぺろっ。

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