12.ブロブディナン氏の憂鬱

 城を立つ前に、釘を刺された。


「いうまでもないことだが、儂はきみに命令できる立場にはない。だから年老いた友からのささやかな忠告として受けとってほしいのだがのお」


 まったく政治屋の長老格ともなると、べしゃりがまどろっこしいったら!


 てか、いつからボクらはフレンズになったのかな。


「きみが魔王と刺しちがえた未来からここに戻ってきたという話は、あまり吹聴するものではないよ」


「どうしてです。五人のこどもの頭脳おつむの正常さが疑われると王家の名に傷がついちゃう?」


「それもある。が、そんなことはさしたる問題ではない」


 問題アリアリな渋面でよくゆーよ。あ、あれはもとからだ。


「きみの話を聞いて、これが賭けごとなら儂はきみに賭ける、といったことは憶えているかね」


「ええ、いってましたね」


「現実にきみを使って賭けごとに勝つことは難しくなさそうだ。何しろ、きみはすこしさきの未来をその目で見てきたわけであるからな」


「さすがに、どっかのカジノで配られたカードの絵柄までは憶えてないなあ」


「そんなしみったれたことは勇者にさせられんよ。世の中には酔狂な人物というのがおるものだ。得てしてそういう人物は財をなしておったりする、」


「逆じゃねえの。ありあまる金があって、それ以上に暇もあるから、ろくでもないことを始めちまうんだ。あんたみたいにライフワークがあればよかったのにね」


「いずれにせよ、そういう連中は人生に厭き、刺激を求めておる。きみがいくつか未来のできごとを的中させれば、歓んで大金を払うようになるだろう」


「なるほど。おれは予言者になれるし、ひょっとしたら教祖として君臨できちゃったりするわけか!」


「期間限定ではあるがの」


「短ぇ夢ですなあ」


「ともかく、きみの話に耳を傾ける者の中には、きみを利用しようとする者が大勢含まれていると考えておいたほうがよい。儂はつまらん厄介ごとにきみの手が煩わされることを望まんし、きみだって人類の悪しき面をあえて見たいとは思わんだろう?」


「さんざん見せられてきましたからね」


 あてこすりに聞こえっかな。でも、ブロブディナン氏だけに向けていったつもりはなかった。


「それともうひとつ。予言というものは、それ自体が未来を変える力を持っているとは思わんか?」


 彼にしては珍しく、って平常運転のブロブディナン氏のことをくわしく知ってるわけじゃないけど、迷信オカルトじみた話をする。


「どゆこと?」


「明日おまえは死ぬ、といわれて、前日までに決めていた予定をいささかも変更せぬ者がどれほどいると思うね。ましてこうすればおまえは死なずにすむぞ、とそそのかされたら?」


「何、魔王さまともあろうモんがぁ、どこのウマの骨ともわからん勇者(候補)のザレゴトを真に受けて傾向と対策ぅ、みたいなことをしちゃうかも、ってえ?」


 実際に対峙した者としていわせてもらうなら、魔王とは断じてそのような存在じゃない。あれは何か、もっとべつの、


 もっともブロブディナン氏がここでいいたいのはバケモノの変節についてじゃなかった。


「王は動かぬであろう。しかし、周囲はどうかのお」


 忖度!


「それとな、われら人類の、否、生きとし生けるものの動きというのは、必ずしもそやつの一存のみによって決定されておるわけではない。ひょっとしたらありとあらゆるものの影響を受けているのやもしれぬて」


 バタフライ効果!


「儂が怖れるのはむしろこちらよ。儂はきみの話を信じた。だから魔王は必ずや斃されるのであろう。しかし、それはきみが以前と同じ行動をする限りにおいてだ。儂は運命論者ではない。きみがこのあと自宅へ戻り、寝台の中にもぐって、そこから一歩もでなかったとしても、およそ三年後には魔王のやつめが勝手にくたばる、と思えるほどに脳天気にはなれんぞ」


「さすがに、それには同意しますよ」


「儂としてはせめてきみには以前と同じ献身をこいねがいたい。とはいっても、きみはもうではない。同じことを忠実に再現せよ、といってもそれは無理な相談だ。それくらいは儂にもわかっとる。げんにきょうこの日を変えようと試みたわけだからなあ。問題は、」


 ブロブディナン氏の表情に戸惑いのけはいがはいりこむ。

 彼自身、自分のいってることに自信が持てないんだ。

 だから、おれは、


「はい」


 と神妙に肯く。弟子が師匠にやるみたいに。

 戸惑いを、疲労の色に変えながら、ブロブディナン氏はいった。


「歴史の分岐点、と呼べるものがあるとして、それはどこかということだ。どうかそれを、きみが踏みこえることなきよう期待するばかりだ」


 、ね。


 先生にしてはがんばったほうじゃないすか?

 ことばのチョイスにはその人物のキャラクターがにじむのだから、ブロブディナン氏にこれ以上のボキャブラリーは期待すまい(厨二的な意味で)。


 ひと言でいえば、余計なことはしてくれるなよ、といっている。


 もし魔王の死が運命だか天体の軌道だかによってあらかじめ定められてんなら、おれが動かなくても魔王はこの惑星の半分も手にいれることなく突然死するだろう、たとえば急性心筋梗塞かなんかで(あるいはSIDSかな)。この命題の真偽を確かめるのは驚くほど簡単で、ブロブディナン氏も示唆したように、何もしないでただ待ってりゃいい。


 だが、それはありそうもない。


 というより、あってほしくない、とブロブディナン氏は思っている。それってつまりどうがんばっても未来は変えられない、ってことだからだ。


 それがほんとうなら、宰相の仕事は徒労でしかない。


 だからひとまず未来は変えられる、と仮定する。


 その上で、何によって変わるのか?


 その答えがチョウの羽ばたきひとつで、だったら、これも宰相のでる幕じゃない。


 今朝、おれが自宅をでるときの第一歩めが、右足であるか、左足であるか、によって未来が一八〇度変わってしまうようなら、そんなん、人類の脳の処理速度で制御しきれるわけがない。だって一歩めで変わるなら、二歩めの選択によっても左右されるはずだし、当然、三歩めだって、四歩めだって、そのさきもずっと考慮にいれねばならぬ。何より今朝自宅をでた人物は、おれひとりじゃない、という事実をどう考えればいいのか?


 だからこの答えもしりぞけよう。


 未来は変えられるけど、ちょっとやそっとじゃ変わらない、と仮定する。


 ところで、おれはきのう、魔王をやっつけた(正確には相打ちだけど)。


 つまり、おれはどっかのカジノで配られた複数のカードの絵柄までは憶えてないけど、ある特定のカジノで配られたたった一枚のカードの絵柄だけは憶えているといっているに等しい。


 ならば、(その一点のみに限って)きみに賭けようじゃないか、とこの先生はおっしゃる、自分もおれを利用しようとする有象無象のひとりだ、と。


 よって、これが既定の未来となる。


 この未来をもう一度実現させることが、彼のミッションだ。


 でも、どうやって?

 いちばんてっとりばやく、安全かつ確実、しかも安あがりな(すくなくとも何か新しいことを始める必要がない)のは、以前と同じ行動をする/させることだ。といっても右足/左足レベルの一致は求めない。これはすでに検討ずみ。


 では、どこまでの再現度を求めるべきか?


 それは、ちょっとやそっとじゃ変わらない未来が、変わってしまう閾である。


 この閾超えるべからず、ってのがこのありがたあい話の要旨だ。


 とはいえ、この閾の具体的なありかが判明してるわけじゃない。先生にだってわからないことはありますとも。だから彼の声はとつぜん、ここで哀切を帯びたものへと一変する。


「なあ、ナキリや。誰を救い、誰を切り棄てるかを決めるのは為政者の務めだ。儂は何も、敵と味方を厳しく区別せよ、といっておるわけではない。いっぽうには手ごころをくわえ、残りのいっぽうにはいっさいの情け容赦も認めるべきではない、という考えが当然だからいうのではないよ。これは単純に、われわれの権力の不完全性を表わしているにすぎん。穢れなき事実として、われわれは全員を救うことはできぬ。できんのだ。それをなし遂げた救世主がかつて存在したためしはない。あるのはみじめな不始末の歴史であり、救える者すら救えなかったという悔恨、そして下劣な糊塗の積みかさねだ。なればこそ、力を握る者は、おのれの限界をわきまえねばならぬ。それより多くを救うことは、純粋に悪なのだ。そこにわれわれの、否、おまえの見てきた未来はないと、残念だが、儂は断言せねばならん」


「目の前で泣いてる誰かに手を差しのべたからって、おれが魔王を倒したっていう既知の未来に変更は生じないと思うけど?」


「これは異なことを。儂には勇者の手が二本しか見つからん。はどこへ消えたのだ?」


 こしゃくな! このジジイにユーモアのセンスがあったとは。

 一本取られた代償として、この場では退いてやることにした。

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