第二章 あなたの人生のねたばれ(初)

11.幼なじみ

 城の裏門からコソコソと退出したことに、たいした意味はない。


 おれだって燦々ときらめくおてんとさまの下、四分の二拍子とか四分の四拍子のマーチのリズムが鳴り響く中、舞い散る紙吹雪や、羽ばたくハトの羽音、そしてみんなの温かい声援を背中に受けて出発したかったという気持ちがないわけじゃない。


 いや、現実にそんな提案をされたら、全力でことわるわけだけど。


 皮肉のつもりかね、とブロブディナン氏には鼻で笑われたけど、何、最愛の妹にそうされるわけじゃなし――もしも妹に鼻でフンッ、されたら立ちなおれない――フンッ、勇者のライフはゼロ(ダメージ)なんだからねっ!


 鮮やかな夕焼けの手前に黒々と浮かびあがるお城のシルエットが、なんだか悪の巣窟めいて見えるのも偏におれのねじまがった根性のせいなんだろう。手許にスマホがあればパシャッとやってちょっとしたほのめかしキヤプシヨンとともにSNSにアップするところだけど、そんなことをすればたちまち炎上案件だろう。ををを、なくてよかったネ。


 さあ、気持ちを切りかえて、つぎの町までおれはどんな歌をうたうの?


 ところが深淵を覗くとき、深淵もまたこちらを覗いているのです(とくに意味はない)とばかりに、お城の堀に棄ててったつもりのコソコソが、おれの後ろを黙ってついてきているのにまもなく気づく。


 こちらが足を速めれば、向こうも足を速め、ゆっくりにすれば、ゆっくりと、つねに一定の距離を保ちながら、ほぼ正確に追随している。試しにひとどおりのまばらなストリートで伝説的なポップスターのようにクルッと一回転してみると、あちらさんもクルッと、はさすがにしねえか。おかげでおれは途の真ン中で完全に浮いた存在になるけど、一説によれば、これはいまに始まった話でもないようです。


 ようするに尾行されている。


 ババを引かされた城の間者スパイが、おれを監視する目的で張りついているのだろうか?


 だとすると、それなりの手練だ。


 その存在を察知されたとはいえ、ちゃんとおれの脚の速さに対応し、フェイクをいれても動じない。ふむふむ、これはプロの犯行ですな。この日が記念すべき冒険の初日だった三年近く前のおれなら、間違いなく見やぶれなかった。


 ひょっとして最初のときもそうだったのかも。


 あるいは本日のおれのふるまいを承けて急遽、ブロブディナン氏だかほかの側近連中だかが適任者をあてがうことにしたのか。


 どっちにしても挨拶くらいはしておくべきだ。


 そう思って、やってきた途をさかのぼる、徐々にピッチをあげながら。ウォークからスキップ、スキップからジョグ、ジョグからランへ。いくつかフェイクを織り交ぜた時点で、向こうもこっちに気どられたことは察しているはず。かくて追う者と追われる者の立場は逆転する。ほいサ、狩猟の時間だよ。


 いったんはてのひらサイズまで縮んでいたアフラ城のシルエットが、見あげるほどにおおきくなったところで、おれは追跡者のしっぽをつかむことに成功する。


 いやあ、いい運動になりました。


 太陽はすっかり城壁の向こうへ沈み、背景バツクのお城よりも深々としたシルエットとなって、文字どおり誰そ彼の闇に融けこんでいる背中バツクをひっくりかえし、そいつの正面おもてをこちらへ向かせる。


 さて、きみの名は、





 オワカネ・ヤングツキは、ヒメシパと同様、きのうまで同じ釜の飯をくってきた仲間のひとりだ。いや、それ以上にふさわしいことばがある。


 幼なじみ。


 アフラの城下町のさびれた一画で暮らしていたおれたちにとって、オワカネは頼りになる兄貴分だった。


 おれたちは、城下にいくつか存在するこどもたちのグループの中でも財力もなければ、腕っぷしに期待することもできない、本来なら底辺に位置する集まりだったけど、この兄貴のおかげで、そう簡単には手のだせないヤバいやつらとして周囲から認知されていた。


 曾祖父だかその父親の代には堂々たるフミエスタの貴族だったらしく、没落して爵位を売り払ってからはつましい町人暮らしとはいえ、彼の借家にはまだ往時の痕跡が残っていて、ちょっと一般家庭ではお目にかかれない珍しい物品が、横丁の雑貨屋でひと山いくらといったがらくたの中に埋もれていたものだ。

 その中には壁一面を埋めつくす美しい装幀の書物も含まれていて、この兄貴はなんとその大半を読破していると豪語した。すると、どういうことが起きるかというと、彼には周囲のこどもにはおよびもつかない知識と想像力があることになり、実際にその贈りものギフトを駆使して、おれたちにちょっかいをだしてくるエスタブリッシュなお子さまがたを蹴散らした。


 念のためことわっておくと、彼は無敵だったわけじゃない。


 一対一の勝負ではしばしば敗走していた。

 憶えてやがれ、みたいなせりふを口にしているところを一度ならず目撃したことがあるし、実をいえば――こんなことをのちの勇者がいってもいいんでしょうか?――彼の隣りでそっくり同じことをおれものたまった。


 その宣言どおり、報復は必ず忘れないタイプで、どちらかといえばその面倒くささを避けるために、よそのグループはおれたちを敬遠していたふしがある。


 なんにしろ、オワカネは当時のおれたちにとって、最もみぢかなヒーローだったことに変わりはない。


 彼の家の書棚に比べれば貧相といっていいラインナップだったけど、わが家にもたくさんの簡易製本された小冊子や読みものマガジンがあり、おれは母さんからあれ読めこれ読めとうるさくいわれてたから、読書家という点で彼とは共通点があった。というより母さんが薦めるやつを読む代わりに、彼の案内ガイドで、彼の家にある本を読んでいた。もちろん、それらは悪書パルプというわけじゃなかったから、母さんは何もいわなかったよ。


 そういった理由もあって、同じグループの中でも彼とおれはひときわ親しい間柄だった(古今東西、趣味が読書なんてガキはめったにいない)。年齢がふたつ離れてるから、当時の感覚で親友だったという記憶はない。こどもの二年といえばけっこうな懸隔だ。ヒーローに対して遠慮している部分があったことも否めない。


 そういう意味では、おれの記憶の三年近くにおよぶ旅のほとんどをともに歩んだことで、培われたところも大だろう。


 でも、やっぱり、意識の上では、魔王を倒す旅の仲間というより幼なじみ、といったほうがしっくりくる。


 ところで、おれたちの友情は、これから始まる旅の直前まで、なんの障害もなく継続してたわけじゃない。

 ある日、とつぜん、兄貴はおれたちの前から姿を消した。


 夜逃げだった。


 彼の曾祖父だかその父親の、孫だか曾孫にあたる彼の父親は、中性脂肪や悪玉コレステロールまみれのその血をドロッドロに色濃く受け継いじまってたってわけだ。ろくでもない儲け話にダイヴし、元貴族の末裔としてわずかに手許に残っていた稀少な美術品やらなんやらを担保に金を借りたはいいものの、案の定、計画は頓挫して、利子によって膨れあがるいっぽうの借金にとうとうくびがまわらなくなった、というよし。


 おれたちにはひと言の挨拶もなし、だった。

 オワカネ自身もその夜になるまで何も報されていなかったそうだから、しかたのない話とはいえ、ヒーローの消失がおれたちの心臓ハートに多大なダメージを与えたのは確かだ。妹はヤングツキ家に起きたことがよく飲みこめなくて、最初のうちは不思議そうな表情かおを浮かべるだけだったけど、何週間かしてやっと彼らとはもう会えないのだという現実を理解し、そこからほとんど三日三晩ぶっとおしで、ろくに食事もとらずに、泣きに泣いた(彼女のばあい、兄貴というより――兄はここにいまし――姉のように慕っていたオワカネの妹と会えなくなることをより多く嘆いていた)。


 だから、おれにとってはきのう以来の見厭きた表情ともいえるけど、向こうにとってはそうじゃない。


 赭々と灯るランプがその真下のテーブルだけを照らしだす、ねっとりした宵闇にまぎれた酒場の中で、おれと差し向かいとなってドリンク(※ノンアルコールです)を飲んでいるこの幼なじみにとって、再会はながい別離を経たすえのことになる、


「さてもさても、ひさしぶりじゃねえかッ。元気にしてたかあ、兄弟?」


 美味そうに咽喉を鳴らし、杯を傾ける(※ノンアルコールです)オワカネはがははと豪快に笑いながら、この偶然を祝している。


「四年ぶり、ヤ、もっとになんのかァ? マ、どおーだっていいさナァ、ンなこたあ」


 おれとしては三年ぶり二回め、って気分がしないでもないけど、それよりちょっと困惑している。再会はこの上なく嬉しい。一度は死んだと納得しかけた身の上だ。にもかかわらず、こうしてふたたび竹馬の友と、旨い料理と美味いドリンク(※ノンアルコールです)を味わいながら、親しく語らうことができるという僥倖を存分に噛みしめたいって気持ちは嘘じゃない。だからパリピも裸足でサタデー・ナイト・フィーバーしかねぬこの男のテンションについていけねえってことはない。ないんだけど、おれとしては三年ぶり二回めの舞台はここでよかったんだっけ、という疑問がどうしても湧いてきてしまう。


 おれの記憶では、オワカネと再会し、そしてそのまま勇者の最初のパーティーメンバーとして合流するのは、つぎの町に拠点を移してからのはずなんだ。


 早くも想定外の何かが起こりはじめていやがんのきゃ?


 あのカンにさわる宰相閣下のしたり顔が、脳裡に浮かんでくる。

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