10.のんきに無双アクションする勇者

 おれが苦虫を噛みつぶしたような表情をしていると、宰相閣下はいった。


「儂は儂の仕事をする。きさまはきさまの仕事をしろ!」


 これで話はおしまい、といわんばかりの剣幕だ。


 わざわざこの会見の時間を割いてくれたことにかんがみて、ブロブディナン氏は敵じゃない。だからといって味方でもないことは、ここまでの会話で思い知らされた。これがおとなのセカイってやつだ。いや、ちゃんと口頭で解説までしてくれたってことは、彼がおれをデキの悪い生徒のように、あるいはどうしようもない倅のようにとらえていると考えるべきなんだろう。同じおとな相手だったらこんな大盤ぶるまいはしてくれない。


 ひと言でいえば、見ている夢がちがうんだ。


 勇者は惑星のために起ちあがるけれど、一国の宰相はそうじゃない。

 彼にとって魔王打倒や恒久平和は手段であって、目的じゃない。


 何よりも優先すべきはこの国の安定、そして王さまの身の安全だ。


 おれは五人のこどもの献身と犠牲によって維持される平和な惑星とやらに住みたいとは思わんけど、彼は何人犠牲にしようがこの国と主君を護ると決めてやがる。


 まったく、たいした悪党だぜ、ブロブディナン先生。


 彼がただの悪党でないことは明らかだ。なみの悪党は自分から悪党だと名乗ったりしないし、そこを衝かれればわれを忘れて怒りだすものと相場が決まっている。


 ようするに、この先生は分水嶺を越えちまってる。


 ほんもの、ってわけだ。


 きのうまでのおれは魔物なら気が狂っちまうほど相手にしてきたけど、プロの悪党を相手にしたことは一度ッきり、だ。そりゃなりゆきでそういう連中を懲らしめたことならあるにはあるとはいえ、ほんとうに巻きこまれた結果(行くさきざきで事件に巻きこまれるのは勇者の特徴のひとつといってよい)そうなっただけで、はっきりとした目的意識の下にこうしたお歴々と敵対した経験なんてねえんだ。


 さて、ここはおれの分水嶺なのか?


 ヒメシパが気づかせてくれたとおり、いまのおれには選択の余地がある。

 いままで頬っかむりしてきたことにくびを突っこむ自由があるわけだ。


 無双というわけにゃあいかねえだろを。


 何しろ、こっちの分野の経験がまるでない。げんにここでも押されっぱなし。コツコツ一から積みあげていかなきゃなんないのは火を見るよりなんとやら、だ。


 先生のラストのせりふを額面どおりに受けとるなら、おれは魔王の城に乗りこんでってそこの家主を殺してくるだけでいい。政治のことにかかわるんじゃない、って警告されてるわけだし、確かに答えあわせをされるまで解答がさっぱりわけわかめなおれの頭じゃ向いてる仕事とも思えない、


「邪魔するぞ」


 沈思黙考するおれの前に、とどめの一撃。

 あんた、カメオ出演じゃなかったのかよ!


 王のお成りである。


「わが君、なぜこのような場所に、」


 ブロブディナン先生宰相閣下殿があわててやがる、ほええ、めっずらしー。


「まだ城を立っておらんと小耳に挿んでな、黙っておれよ」


 シィーッ、と口許に指を近づけ、片目をつむるこの国のナンバーワン。ほとんどジイサンといっていい年齢にもかかわらず、なかなかチャーミングなウインクをするものだ。


 王さまはおれと目をあわせる前に、おれの父親を一瞥する。目を伏せるわが父。王さまは軽く肯き、それからおれに向かって笑顔を見せる、まるで年寄りがしばらく会っていなかった孫と会うときのような極上のやつを。


「ひさかたぶりになるが、」


「さっきまでいっしょの部屋にいましたよ」


「そういうことではない。やはり余のことは憶えておらぬか、まだこんなものだったからなあ」


 とおっしゃりながら、ユアマジェスティはてのひらを下に向け、それを胸の横から腰の下の位置まで下ろしてく。イヤイヤイヤ、いくらちびでもそこまでちいさくはなかったわよ、まだ一〇年経ってないんだから!


「いや、まぁ、なんとな、く?」


「ナキリ」


 ブロブディナン氏が目でおれを殺そうとしている!


「ブロブディナン。余はいまここには存在しないことになっておる。いささかの無礼には目をつぶれ」


 いささかの、ね。じゃあ思いっくその無礼をかませばやっぱ打ち首獄門?


 きのうまでのおれなら何度か王家の人物と面会していてもおかしくないけど、それらをべつの勘定にするとしても、おれは自国のトップにお目にかかったことがある。


 母さんの文通相手なのだ。


 ウチの母は結婚してからはずっと政治的には中立だけど、それ以前はバリバリの闘士だった。いまだって町のひとの相談によく乗っているし、いくつかの組織とは連絡を保ってるくらいだ。


 人生のごく短い一ピリオドにおいて、彼女がこの国のトップの政敵、というのはいいすぎとしても論争相手のひとりであったことは間違いない。


 そんな敵どうしがどうして文通を始めるに到ったのかは、もはや勇者の物語とはなんの関係もなくなるのでしないけど、ともかくわが君はわが母の親しい友人のひとりで、一度なぞお忍びでわが家を訪うたことすらある、わが君がさっきからおっしゃっているのはそのときのことです。


 どこにでもくちさがない連中というのははびこるもので、その立て板、というよりウォータースライダーによれば、母さんはわが君の愛人だとか、元愛人だとかで、その文通の中身は愛とか欲望のささめきでみちみちてるらしいんだが、実際リアルにその手紙の大半に目をとおさせてもらった者として包み隠さず証言いたしますと、そこにしたためられているのはあたりさわりのない近況報告を除けば、政治、政治、政治のことばかり。だいたい、恋人からもらった手紙をわが子に読ませて、おまえ、この件についてどう思う?、なんて意見を求める母親がどこにいるんだ。もちろん、政治だけじゃなく、男女の機微というやつにもおれは経験が足りないから、はるか昔のことはわからない。


 だとしても、だ。


 ふたりの手紙を互いの許まで運んでいる郵便配達人はおれの父親なのだ。


 それってどうなの?


 べつの男からの手紙を自分の妻に届けるっていうのは、母さんとその男のあいだに、頭文字が「こ」や「あ」で始まる何かしらの特別な感情のあるなしにかかわらず、微妙な気分になったりしないのかな。これでほんとにかつて愛人関係にあったとしたら、この国の王は、ホモサピエンスの皮をかぶった鬼にちがいない。


 わが家とわが君の関係はこういったしだいなので、旅立つおれの前に王さまが姿を現すことにはいちおうの納得がいく。


 だが、このタイミングで、となると何やらきなくさいニオイを感じなくもない。王なんてのは最もありふれたデウス・エクス・マキナなんだし。この国でいちばんたっといとされている人物が、みずからの登場シーンとして絶好のポイントを探るために、扉の外で、おれたちの密談にこっそりと聞き耳をたてて待機している前屈みの姿勢を想像すると笑っちゃう。それが王のやる仕事か!


 いや、実はそうなのだ。こっちもワールドワイドに戦ってきたから、ぜんぜん知らんわけじゃない。


 政治とはそうした虚飾フィクシヨンの積みかさねでできている。


 彼らはみんな舞台の上の役者である。


 なかでも王は、年中無休の売れっ子。とてもぽっとでの新人が太刀打ちできる相手じゃない。

 どんなに華やかそうに見えたって、舞台の下には、かき棄てられて積もりに積もった血の色よりも赭い赤っ恥が堆く地層マーブルをなしている! このハリボテの上で、威風堂々と微笑む胆力をおれに期待するな。


 撤退だ。


 おれはまだ、のんきに無双アクションする(だけの)勇者でいたい。

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