9.ご冗談でしょう、ブロブディナンさん!
荒ぶるヒメシパとヒメシパに味方するオーディエンスの一部によって騒然となった会場は、王さま直々の裁定によって暴動に到ることなくことなきを得たわけだけど、それによって明らかとなるのは、この一連のイニシエーションが彼の――すなわちこの国の古い伝統の――手の内にあるということなのだ。
結局のところ、苦虫を噛みつぶしたような表情になるのはヒメシパひとりじゃない。
おれもだ。
圧倒的な力と美技とモチベーション、それから経験の差を見せつけて(相手をぶっ壊しちまうんじゃないか、という恐怖心を必死こいて抑えこみ)、王国最強を地べたに這いつくばらせたところで、その後のなりゆきは何も変わらなかった。
どうです、みなさん。おれひとりいりゃあ、ほかのやつらは必要ありやせんぜ。
とうそぶくおれを王さまとその取りまきはアッパレと褒めたたえる。われらが王がそのようにおっしゃるのだから、と聴衆も異を唱えない。
城内は万雷の拍手で満たされる。
なるほど、終わりよければすべてよし、ってやつだね。
だけど、というより、だからこそわき道はここで渋滞を引き起こすことなくなめらかに本筋と合流する、あとは式しだいに書いてあるとおりにことが進み、
「どういうことですか?」
「どういうこと、とは?」
ブロブディナン氏が、やや伸びすぎた片方の眉毛をつるべのように引っぱりあげながら聞きかえした。
「あれじゃ足りないってんなら、やっぱり壁の一枚や二枚、素手で破壊しよう。うん、そうしよう。賠償金は出世払いで」
「ハコブネ君」
と宰相閣下。この「ハコブネ君」はおれじゃない、なぜか同席しているおれの父親のことだ。
「なあ、ナキリ」
父さんは黙ってて!
目だけで相手を黙らせる技術は、すでに心得ている。
「きみを生んでくれたひとに対してそういう目を向けてはいかん」
痛ましいものを見るかのような表情をして、ブロブディナン氏がつぶやく。
「おれを生んでくれたのはこのひとじゃなく母親です」
「そういう屁理屈をいっているのではない。こどもかね、きみは。おっと、すまん、きみはまだこどもだったか」
「ご高配、痛みいりますね、宰相閣下殿!」
実際のところ、こども以外の何ものでもねえ。
「まだわからないのか、ナキリ?」
しぶとく口を挿んでくるわが父。このひとに勇者のプレッシャーを撥ねかえす度胸があったとは。なまっちまったか?
「何がさ」
「彼らは保険だ」
「保険?」
「わたしは信じないよ、おまえが勇者だなんて話は。だが、仮に信じたとしよう。そのばあいでも、わたしならほかの四人を家に帰したりしないね。当初の計画どおり、魔王討伐の旅に出発してもらう」
「どうして? 無駄になるってわかってるのに」
「保険とはもとよりそういうものだ」
よく、わからないな。
「たとえば、その無駄になるものが、あいつらの生命の灯だったら?」
挑発のつもりでいうけど、おれの父親はビクともしない。
「おい。ここでいう保険が、誰のためのものか、ほんとうはおまえにだってわかっているんだろう?」
「誰よ」
間髪いれずにおれ。もっと頭を使いなさい、頭を。わかってるっ、ケド。
「全人類だ」
「あ?」
「正確にはあの四人以外のすべてだな。一億か、二億か、それよりもっと多いのか、わたしは知らないが、たった四人の無関係なこどもの人生をめちゃくちゃにすることで、彼ら以外のすべての安心が得られるとしたら、それは安い買いものといっていいんじゃないか?」
目の前のクソオヤジを目で殺す。
「と、わが宰相閣下はおっしゃっておられまあす」
おれのプレッシャーはぜんぜんなまってなんかいない。ブロブディナン氏は頭を振る。おれの父親がここぞというときに、いかに役に立たないかを身に沁みてわかりやがれ。
「儂の仕事は、万が一をつねに考えねばならん。当然、きみがくたばったときのことも」
「魔王を殺すまで死なねえっつってんだろを」
同じプレッシャーを宰相閣下殿にもぶつけた。
「よろしい。ナキリ、きさまは死なん。きさまの話を信じると儂はいった。最後には必ず魔王を斃すのであろう、それは事実として受けいれよう。だが、きさまはその旅の途中、いっぺんたりともくじけなかったというのか? 怪我や病に臥したことは? もっとああしていれば、と後悔したことはないのかね?」
「そりゃ何度もあったけど、それが何?」
「われわれが勇者として送りだす人物がひとりしかいなければ、民衆はそのひとりの動向に一喜一憂するしかない、たとえ結末を知らされていたとしても、たいして変わりゃあせん」
「だからあ、それが何? それでいいだろ。みんなの熱い声援を
「きさまがのぼり調子のときはそれでかまわん。だが、下り坂のときは? そのたびに民衆も不安にかられろというのかね?」
「そんくらいの
「さよう、儂なら進んで払うよ、支援者であるからのお。しかし、民衆の多くはそうではない。きさまが魔物の群れをしりぞけ、町をひとつ、いや、橋ひとつでかまわん、解放したとき、彼らはわがことのように歓ぶにちがいない。ところがひとたびきさまが彼らの意に反することを行えば、たとえそれがきさまの本懐を遂げるために欠くべからざる蹉跌であったとしても、一部の民衆は平気できさまに石つぶてを投げつけてこよう」
「石ころぐらいガマンしまさあ、勇者ですから」
「石の届くところにきさまがいるうちはそれでよい。だが、残念ながらこれはきさまひとりががまんすればすむ話ではないのだ」
「わからないな。おれが誰かを巻き添えにしている、の?」
「きさまの仕事はなんだ? 然り、魔王を斃すことだ。それ以上でもそれ以下でもない。そして昨日、きさまはその仕事を果たしたのであろう。ならば何ひとつ気にかけることはない。そういえば忘れていたが、魔王を打ち倒してくれて、ありがとう。未来の儂に代わって礼をいわせておくれ。大儀であった」
「えっ、あっ、うん。ど、どうも」
急に脱線しないでくれ。勇者はアドリブに弱いんだ。
「ならば、儂の仕事はなんだ? いってみたまえ!」
なんで急に怒鳴んの? ビックリしたあ。情緒不安定なの。でも――気づいたときには――完全に相手のペースにのまれていた。
「儂の仕事は、たとえば民衆が石つぶてを投げるのをやめさせることだ」
「はあ。ありがとを?」
「ちがう、きさまのためではない。儂が怖れておるのは、勇者に向かって石つぶてが投げつけられることではないよ。彼らは決して何もないところに石を投げはせん。石の届くところにきさまの姿がなかったとき、民衆は何に、誰に向かってそれを投げるのか?」
「誰よ」
だからもっと頭を使え、と。
「ここだよ、ここ」
宰相閣下はなめした革を重ねた靴のかかとで烈しく床を撲つ。
「ここって、お城? 石ころぐらいでこの城の壁にひびがはいるとも思えないけど」
「きさまは民衆の不安というものをその目でとらえたことがないだろう?」
「不安なんてそもそも目に見えないでしょ」
「個人の漠然とした不安にかたちはなくとも、集団の漠然とした不安というものは、棄ておけば、いずれ明確なかたちをなすものなのだ。その窮極のひとつが暴動であることは確かではないか?」
「ちょ、ちょっと待て。それってつまり、あんたはこーゆーことをいってるのか、おれが風邪で寝こんだら暴動が起きる、と? 何その、風が吹いたら桶屋が儲かる的カオス理論、牽強付会にもほどがあるッ、てかパラノイアだよそれ!」
「暴動は起きぬだろう。だが、こういうことはあるやもしれない。勇者が傷つき倒れたとの報を受け、多くの民衆は希望を失い、労働の手をとめる、するとそれまでのようにものが作られなくなり、物品の価格が上昇する、どこかの貧しい家庭は夕餉の食材が買えずひもじい思いをするかもしれぬ、街角には仕事を放擲したごろつきどもの姿が増えるかもしれぬ。あとになってその報せが誤りであったと知れてももう遅い。社会の停滞や混乱はすでに生じてしまっているのだからな」
「それだってかなり強引だ」
「かもしれん。だが、それが儂の仕事なのだ。ほとんどありそうもないことまで想定し、それについてあらかじめ打てる手があるなら打っておく。当然、支払いとその見かえりの算定は慎重に行うが」
「その結果があいつらの犠牲ってわけ? たかが民衆の目をおれの下り坂(人生の三つの坂!)からそらすために? それで帳尻があうって?」
どんなどんぶり勘定だよ!
「ナキリ。儂が仕えるのはきさまにではない」
「そりゃそうだろ。なんだい、やぶからぼうに」
「儂はこの国の安定のためにありとあらゆることをしてきた、それこそきさまのいうたかがよりくだらぬ理由のために、多くの生命や生活を踏みにじってきたといってよいだろう、すべてはわが君のために。これがどうして狂気でないといえるかね?」
「開きなおりやがった、この悪党めッ」
「じゃあどうするよ、勇者ハコブネ。ここで儂を成敗するか?」
ご冗談でしょう、ブロブディナンさん!
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