8.やいッ、降参しろい
夜空に輝くいちばん星を指さす――と同時にそれは一位獲得の予告、すなわち勝利宣言を意味するわけだけど――かのごとく、いったん頭上高くまで突きあげてから、おれめがけて猛スピードで右腕を振りおろすヒメシパ。他人の表情を指さすだけなのに、なんたるオーバーアクション。
それよか、やいて。
他人をやい!、呼ばわりする女にはじめて出会ったぞ。きょうだけで仲間の知らない面をたくさん見られて、兄ちゃん、それだけでもふりだしに戻ってきた甲斐があるってもんです。
「お、おう」
だが、つぎのせりふがなかなかでてこない。おれをビシィッと指さした姿勢のまま、フリーズしちまった。ボキャブラリーが貧困、だからじゃなく、おれの名前を憶えていなかったらしい。だったらべつにおまえとかおんどれのまま続けりゃあいいのに。どーでもいーところで律儀なんだね、お嬢。
「ドコーノ。おれの名前はドコーノ・ウマノホ・ネーだ」
えっと、名前なんていったっけ?、と
「じゃあ、ドコーノ。あんたがあっちのふたりをどんな卑劣な手で罠にかけ、きたない勝利をつかんだ、の、かあ?」
なぜ疑問形なんだ、自分のいってることに自信がないのかにゃ。
「おいッ。ちがうでしょ! ドコーノじゃなかったよね確か」
遅いよ。
「じゃあウシノフン。おれの名前はウシノフン・サルカーニで」
「で、て。明らかにこれでいいや、のででしょそれッ、いま決めてんじゃん!」
「うん」
「素直に認めるんじゃない! すこしは悪びれなさいッ。たくぅ」
ヒメシパはおれを指さすのをやめ、その指をこめかみにやる。もっと怒り心頭に発するかと思いきや、意外に冷静だった。
「わあった」
こめかみに押しつけた指をぐりぐりさせながらちょっとのあいだ閉じていた目を見開く。こいつが灰色の脳細胞をフル活用できる
「ここがどこで、いまがどんなふうになってるのかってことを、あんたが何もわかっていないということがよ」
この王都に着いてからまだ二四時間も経っていないような「星屑の里」御一行さまのひとりにいわれることじゃない――おんどれこそ城下に放りだされたら二分で迷子、きっと財布も掏られてる――気がするけど、今朝妹にやさしく揺り起こされたおれ(一部脚色しております)が失見当識に陥っていたのは事実なので、黙って聞こう。
「あたしたちがどうしてここに呼びだされたのか、そしてそれがどんな意味を持つのか、ほんとうはあたしなんかより、この国で育ったあんたのほうがよっぽど知ってるはずじゃないッ。これが冗談でも、ただ古いってだけの価値しか中身の詰まっていない儀式でもないってことは、わかるでしょう? すでに魔王は復活して、外を歩けば魔物がうじゃうじゃ、噂じゃマーダタークのひとたちは皆殺しにされたっていう。知ってる?、マーダターク、ひとつの大地よ?、ひとつの町や国じゃなくて、大地にあったすべての町や国が滅んだなんて話、ふつうだったらとても信じられない。でも、ほんとうかもしれない、そう思えてしまうところまであたしたちはきてるんだ。あたしの生まれた里やこの国の辺りはまだ魔物が徒党を組んで侵攻を始めてはいないけど、このままだといずれそうなる。すでにそうなってるところだってある。里からここにくるまでのあいだにあたしが目にしてきたもののことを、時間が許すならあんたに聞かせてやりたい」
ヒメシパはゆっくりと息を吸い、そして吐き、軽くまぶたを伏せた。それは思いだしたくないことを思いだしてしまった自分自身のこころを落ち着かせるための動作にちがいないんだけれど、聞き手に彼女が通過してきた荒廃した街角や、無人となった関所の惨状を想像させるのに適切な時間となる。
「あんたがほんとうに毎日ウマやウシの世話をしているような、どっかの小作人の息子だったら、それでもいいんだ。自分の生まれ育ったところの外で起きたことに知らんぷりをしていたって誰にも責められるいわれはないもの。だけど、あたしたちは選ばれた、この国の古い伝統に。その呼びだしを拒むことは、この国を侮辱する行為だし、この国だけじゃなく、勇者の伝説を信じるすべてのひとを貶めることになるって思わない? あんたがふざけたくなる気持ちもわからなくはないんだ。あたしだってどうしたらいいかわかんないところがあるし、ほんとうはふざけんなって気持ちもある。でも、たぶん、これは待ってたって変わらない。先送りにしたらしただけ、事態が悪くなるだけだ。あたしたちの知らないどこかで、あたしたちの知らない誰かすごいひとが起ちあがって、いつの間にか魔王が倒されている、なんてことはもうないんだって断言されている、これはそういうことでしょッ?、だってあたしたちのうちの誰かがそのすごいひとなんだもん」
「イエス。きみのいっていることはまったくもって正しい」
「だったらマジメにやって」
ヒメシパの真剣なまなざしがおれの
だけど、それとこれとは話がべつだ。
おれがまじめか不まじめかは問題の本質じゃない。
ふざけながらこの惑星を救えんなら、むしろそっちのほうがいいと思う。八割とか、半分以下の力でちょちょいっと魔王を倒せればいうことなし!
それができないから、しかたなく本気をだしたのであって、きのうのおれがきょうのおれよりまじめだったのは、そしておよそ三年前のこの日のおれがきのうのおれよりもっとまじめだったのは、そうするよりほかに選択肢がなかったからで、そうしたいから、とかそうするべきだから、まじめだったわけじゃない。
「わかりました」
「ほんとうにぃ?」
あからさまに疑っているようなジト目でおれを睨めつけるヒメシパ。だが、それは前ふりで、気づけば相手の胸もとに直接飛びこんでくるストレートな笑顔に変わってる。
「よかったあ。わかってくれてッ!」
この緩急。
おれが恋の甲子園(詳細不明)出場常連校のスカウトだったら、ぜひとも放っとかない逸材だ。
こいつのおかげでひとつ、はっきりしたことがある。
ここには選択肢がある、ってこった。
ヒメシパにはない。
ナカンにもない。
ノイレンもそうだし、おそらくタイガー・タイガにもないだろう。
ついでにいえば、王さまや宰相閣下だって同じだ。
でも、
おれには、ある。
いいかえよう、選択肢とは自由のことだ。
さすがに放置しておくことはできないから魔王を倒さなくちゃ、という点は譲れないとしても、そこに到るまでのロードマップにはかなりの自由がある。
いや、それは自由度というべきで、自由そのものじゃない、という向きもあるだろうけど、おれたち人類が通常手にすることのできる自由ってこの範囲がせいぜいじゃないかなあ、惑星をまるごと創りだせる神さまじゃあるまいし。
極端な話、おれはフミエスタ王国の要請を蹴っとばし、その支援をいっさい受けずに、インディペンデントな勇者として魔王を倒すことだってできないわけじゃないのだ。
その発想はなかった。
そうするメリットもないわけだけど。
ただ、そうすることもできる、と気づけたことで、おれの気持ちはなんだかハレバレとしてる。きのうまでのおれはかなり壮絶な、ギリギリの気分で戦ってたわけだけど、きょうからはもっと肩の力をぬいてもいいのかも。
いやいやいやッ、おまえはもおすでにじゅうぶんすぎるほど好き勝手にやってくれちゃってるよお、ってことに、おれの父親にいわせればなってるのかもしんないけど、すくなくとも自覚はしてなかったのだから、パッパ、許して?
ヒメシパには感謝を。
「早く試合を始めよう」
「うんッ。手加減なしで!」
いいぜ。
――無機物相手なら遠慮はいらない、およそ手加減なしでぶっ壊すだけだ。
ジャッジの合図とほとんど同時に、まばたきひとつも終わらないくらいのあいだにヒメシパとの距離を詰めると、模造剣の剣身を白刃取りの要領で左右のてのひらで
「なッ、に、やってんのあんた」
アッケに取られてるヒメシパは、仕事が片づくまでほとんど声を発することができなかった。
「これが実戦なら得物をなくしたおまえの負けだ。やいッ、降参しろい」
「反則でしょそれえッ!」
「反則なの?」
ジャッジを見る。
ジャッジは困ってる。もとよりもどきだから、ちゃんとしたルールがあるわけじゃない。
「反則に決まってるッ、ねえっ、ねえってば」
とヒメシパはくってかかるけど、ジャッジはヒメシパじゃなくおれが床にポイっした模造剣の残骸を見てた。そのひとつを拾いあげ、まっぷたつになった断面をためつすがめつし、材質を確かめるためにこつこつとノックし、しまいには自分でも折ってみようと試みる。が、できない。常人の腕力では不可能だ。
ジャッジははてな、とさらに頭を悩ませる。
そんなジャッジの肩をぽん、と敲き、おれは首肯する。
ジャッジは肩をすくめ、やれやれ、と、
おれの勝ちを告げる。
「ってどぉーしてそーなんッの!」
ヒメシパの
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