7.蒼白い炎

 左腕からわずか数センチメートルのところを模造剣がびゅん。するように身体を右へずらす。そのまま二撃め、三撃めもひらりふわり、と躱しつづけてもいいんだけど、そんなことをしようものなら、どうあっても相手をおちょくってるようにしか見えなくなるからやめることにして、いまだに初撃の腕が振りきられていないので、おれのようなちびにとってははいりこむ余地のあるフトコロによっこらせっと膝を折りまげつつお邪魔すると、真上へ向けて、大理石があしのうらのかたちに凹むほどに強く床を踏みしめながら、まっすぐ掌を突きあげた。


 どうか上手くとまって。


 最後はほとんど神頼み。

 文字どおり祈るように見あげている視界の中で――タイガー・タイガのまだ年齢相応の部分を残しているおとがいや、でかい図体そのものじゃなく――耳にかかる程度まで伸ばされたちぢれ髪だけが、まるで自由落下をしてるみたいに宙に浮かびあがるのを確認、胸をなでおろした。


「なんのつもりだ」


 タイガー・タイガにしてみれば、のけ反って顎への直撃を避ける以前に、相手の攻撃の手がとまったのだから無理もない。いや、とめるだけでは不じゅうぶんだ、向こうは剣を振りおろしている最中だったんだから、その身体にはおおむね下向きのモーメントがかかっていた。仮におれの手のほうがさきに、その動線の途中でとまったまま動かなかったら(慣性によって)衝突は避けられない、おれは彼がこっちの攻撃に気づいて身体にかける力の向きを転換するタイミングを計りながら手の位置を微調整した、はっきりいって向こうの反応が遅かったので、ぶつからないように手の位置をちょっと下げさえしたのだ、掌底打ちをくりだすおれの全身にかかる上向きの力は殺さずに。殺しちゃったらなんとしてもこの一撃だけは避けねばならぬ、というタイガー・タイガの生存本能を活性化できなくなるので。


 いや、阿呆だろ。


 きっとタイガー・タイガもそう思ったにちがいない。だってこのばあい、あてちゃったほうがあらゆる意味で合理的だもん。寸どめする意味がわからねえ。


「いっても信じてもらえないと思うけど、あんたをこけにする意図はないんだ。ただ、ちょっと。きょうのおれは本調子じゃないから」


「どういう意味だ」


「ノーコメントで」


 おれは相手の顎の下の死角からぬけだし、ぷいっと身体ごと表情を背けた。


 いや、阿呆だろ。


 試合中に対戦相手に背を向けるなんて、阿呆かさもなくばツンデレのきわみだけど、タイガー・タイガといえばナイスガイ、ナイスガイといえばタイガー・タイガ、なのでこの隙を衝かれたりはしないのだ。それどころかぷりぷりしているおれの棒を意味深長に受けとめ、このイケメンはみずからの敗北をジャッジに申しでる。





 というわけで第二試合は大番狂わせとなって、終了。


「納得いかないッ、いくわけないでしょお!」


 そら、そおでしょうとも。


 おれも来賓の立場ならそう思う。

 かててくわえて、だ。


 第二試合に引き続き、第三試合もガチらしいバトルが行われなかったとあればなおのこと。この催し全体の意義に疑問符がつきかねない。ここから自邸に帰る道すがら、あれはほんとうに退屈だったなあ、行くんじゃなかった、と後悔することに歓びを見いだすやつはなかなかいない。ほとんどの参加者はきょうはすばらしかった、これは絶対に忘れられない一日になる、と充実感と感動で胸焼けするほど胸をいっぱいにしたくて、わざわざお城にきたわけだよ。なんてったってのちの勇者の旅立ちのセレモニーですからね、これを歴史的瞬間と呼ばずしてなんと呼べばよいのやら。


 それがこのてえたらく。


 おれが主催者なら穴があったらはいりたいどころの騒ぎじゃなく、墓穴を掘って埋葬されたいって思いかねん。

 むろん、このグダグダを生みだした張本人に厳重なる抗議をするってのもひとつの手ではある、あんなふうに。


 もっともいま声をあげているのは、主催者じゃない。


 主催者は玉座の上で平和そうな表情をしている。

 あれがナチュラルに演技なのかどうかおれには判別がつかないけど、さすがに一国の王ともなれば棒ってわけにはいかねえだろう。すでに演技とほんとうの気持ちを距てる壁がすっかり解体されちまってると考えたほうが無難かもしれない。いずれにせよ、自他ともに認められる勇者となって一年未満の(記憶しか持たない)おれと、即位ン十年を数える王さまとじゃ、比較になんないことだけは確かだ。


 それ以上に確かなのは、あすこでキンキンわめきたてている女の子の怒りはほんものだということだろう。


 そういえばおれの知ってるあいつもよく怒ってたっけ。


 怒りを原動力にして魔物を狩っていたといっても過言じゃない。その炎が消えちまったら、もう二度と戦場に立つことはかなわぬって考えてるみたいに、相手の悪いところばかりあげつらい、暖炉に薪をくべるように、というよりふいごで炉の中に空気を送りこむみたいに、ことあるごとにせっせと怒りを沸騰させていたものだ。


 ただし、その炎は真っ赤に燃えちゃいない。


 おれの知ってるそれは、蒼白い炎だった。


 いまのヒメシパが爆発させている怒りがいかにほんものであろうとも、その温度は騒々しい見かけほどには高かねえ。あの女の怒りのポテンシャルはあんなもんじゃないのだ。

 あンくれえなら、おれでもことば巧みにまるめこめるやもしれぬ。


 ところが女の子ってやつは、いつだっておれたちインテリジェンスな野郎どもの想像力の枠内から、手品師マジシヤンの取りいだす純白のハトのようにパタパタパタと飛び立っちまうものなのです。


「ふんッ。マァ、いいわ。やる気のないウマの尻をいくら敲いたところでしかたないもの。あんたやあのでかいのが、あいつに何を吹きこまれたのか知らないけど、同じことが三度も続くハズないんだから。見てなさいッ、このあたしがビシッと締めてきてあげる!」


 なるほど、終わりよければすべてよし、ってやつだね!


 一瞬前まで、あみだクジで勝ち負けを決めようというおれの提案に同意してスマートに瞬殺されてきたノイレンに対して、ものすごい勢いでくってかかっていたにもかかわらず、あっさり自己完結したヒメシパは、あんたの仲裁?、説得?、それとも論破ァ?、なんてお呼びじゃないのよッ、とばかりにいまやけろりッとしている。


 大勢のおとなたちが見まもるなか、威風堂々たる足どりで、おれ(とジャッジ)の待つ仕切り線のところまでやってくると、わざわざ腰に手をやり、仁王立ちのポーズを決める。


 立ってるだけで画になるタイガー・タイガとちがって、ヒメシパの見ためは貧相そのもの、正直いってそこいらを歩いてる女の子以下だ。いまの彼女は「星屑の里」の伝統的な衣装に身を包み、ご当地の祭りで毎年特別な役を与えられたこどもだけがする化粧を表情に施されてるから、城下のメインストリートを歩けば注目の的になるのは間違いない。彼女のことをうっとりと見つめる少年少女のひとりやふたり、ひょっとしたらいないとも限らない。だけど、それはこの国において外国人であるヒメシパのエキゾチックな見ためが珍重されているだけのことで、個人としての彼女の評価とはまるで無関係だ。


 だから、ヒメシパはポーズを決める。

 そういうことを本能的にわかってやがる。


 本能だから、照れとか恥ずかしさってもんがない。


 そこがすごい。


 いちおう、ヒメシパは故郷では族長の娘っていうポジションにあるから、知らず知らずのうちにリーダーとしての教育を授かってたってところはあるかもだけど、それにしたってやっぱおれの棒が裸足で逃げだすカリスマだわい。


「やい! おまえッ」

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