5.「怖いの?」

 相手が城壁なら何も問題なかった。万が一、失敗しても傷つくのはおれのプライドくらいのもんだ。


 プランはこうだ。


 一、初歩の身体強化魔法で腕力をアップ。


 二、おれがゆいいつ使える攻撃魔法である電撃を得物に付与。


 三、あとは粘りづよさと諦めないこころでひたすら撲つべし。


 以上。

 ってバカみたいだけど、基本的にこれが勇者の戦闘スタイルだ。


 魔王も含めて、ありとあらゆる敵をこのやりかたで殺めてきた、使える魔法がきわめて限られるおれのばあい、物理に優る決め手はない。


 以前――もちろん、この以前ってのはおれの記憶の中にだけ存在する過去――海で遭難して一周まわるのに徒歩で小一時間はかかる無人島に流れ着いたと思ったら、実はその島自体が巨大な魔獣でしたー、ってことがあって、そいつも最終的にはこのやりかたでブッタ斬れたから、島ひとつに比べりゃ、壁の一枚や二枚チョロいチョロい。


 むしろ問題は、どんなにシケたやつであれ、おれが魔法を使えるのが発覚すると結社のスカウト(全身黒ずくめ!)がこの国まで乗りこんできて(どこかで聞いた話だろ?)、またべつのしち面倒くさい政治的情況が出来しかねないってことだけど、おれの魔法はすべて無詠唱なので上手くやればバレずにすむ(およそ二年後には魔術師革命とともに、そのブームが到来するはずだけど、いまのところ、無詠唱魔法は車輪の再発明されていないので、二重の意味で露見は好ましくない。おれはまだ歴史を動かしたいとは思わない)。


 ともかく無機物相手なら遠慮はいらない、およそ手加減なしでぶっ壊すだけだ。


 ところが相手が同じホモサピエンス、それも王国最強とかじゃなく、十代半ばの、ほとんど戦闘経験がない少年少女となると、たちまち怯懦から戦慄を抑えることができなくなった。


 おれはいまだに自分の肉体の状態をつかみきれていない。


 くりかえしになるけど、魔王との最後の戦いを経たおれの精神、いや魂、それとも記憶かはたまた経験か――とりあえずおれ、という自己同一性を構成する細胞、組織、器官など物質的な部分を除いたおれの中心、いわゆるドーナツの穴――がおよそ三年前のおれの肉体にそっくりそのまま移植されたんだとすれば、脳内における身体イメージと実物の肉体のあいだにずれが生じるのはマストでなければならぬ。


 いや、ずれがないってんならむしろ好都合じゃないか、というのも一理ある。きのうまでと同じ力加減で同じ動きパフォーマンスが、すなわち同じ結果プライズがなんの努力も工夫もなくだせるんだから。


 でも、それってやっぱ、なんかキモチワルッ。


 おれは自分の身体の動きを完璧にコントロールしていた、もしかしたら人類が到達できるその閾を超えて。相手の表情かおの前に、髪の毛一本分の間隙を残して寸どめするなんてお茶の子さいさい、さらにその幅を髪の毛一本単位で微調整することだって可能だった、一撃めは一本分、二撃めは二本分、三撃めは三本分、ってぐあいにこまかく刻めさえした。


 このレベルで身体を動かしているのだから、どう考えても腕の届く距離リーチの変化には敏感にならざるをえない。極端なことをいえば、その日に食べたごはんや飲んだ水の量によっても変わる。それはほとんどのばあいは直観でそのつど調整されていたとはいえ、程度によっては気になることもまったくないわけじゃなかった。意識してアジャストすることもあったんだ。


 ましてきのうからきょうの変化はその比じゃない。


 それがなんの違和感も覚えない、なんて逆におかしい。


 なんつったらいいのかな、ドーナツの穴としてのおれはすでにこのドーナツにジャストフィットしてるんだけど、おれにはとんとアジャストした覚えがない、おれがしたんじゃないとすればもしかしてべつの誰かがやったんじゃないか?

 もっというと、おれは自分の身体を完璧にコントロールしていると思ってっけど、実はそう思いこまされているだけで、実際にコントロールしてる人物はべつにいる、なんてありそうもないことまで想像してしまい、そこでおれはぶるぶると自分の身体が異常なほどふるえていることに気づく。


「怖いの?」


 いつだっておれを現実につれ戻してくれる、きみの声。


 いや、これは盛りすぎだ。

 見ると左隣りにひとりの女の子が立っていた。


 おれとほとんど同じ背丈、いや、向こうのほうがまだ高い。そうか、最初の頃はそうだったんだ。ちっとも憶えちゃいねえ。


「あっ、いや、怖いっちゃ怖いけど、これは、」


「わたしも」


「え?」


「わたしも怖い。誰かを本気で殴りたいと思ったことがないから」


 彼女の口から恐怖が吐露されたことに面くらい、その横顔を、ふつうだったらあきれられちゃうくらいながいあいだ凝視してしまう。


 驚くほど澄みきった青い色の目をしていた、といっても虹彩の色じゃなく結膜、いわゆる白目の部分がだ。女の子はまっすぐ前を向いたまま――いま、おれたちの前では、この子とおれ以外のべつの五人のこどもによる、最初の試合が行われている――こっちを見ないで話しかけてきたので、思わずそこに注目してしまったってわけだ。何しろでかい、後頭部を強くはたいたらころん、とそこから眼球がこぼれおちちまうんじゃってくらい表情に占める目の割合がおおきい。あとはやっぱり膚の色かな、この広間にいる誰とも異なる美しい黒。そのコントラストのせいで白目の青みが強調されて見えたのかもしれない。


「ねえ」


「おっと、ごめん。失礼」


 ジロジロ見すぎ、と咎められているんだと思って目をそらそうとすると、女の子は肩に近づくにつれてむしろ細くなって見えるほどにながいくびをねじってこちらを向いた。野趣あふれる顔貌のすべてがおれの視界にすっかり収まった。正面に据えられたその表情は、横から見たときにちょうど半分しか明かされていなかった未完成版の仮面パーソナリティーより未熟に見えた。


「手をだして」


 勘ちがいとはいえ一度心中に萌した後ろめたさは即刻消えるもんじゃなく、その後ろめたさからおれは相手のいうことに従順にしたがう。


「握って」


「きみの手を?」


「ちがう。あなたの」


「あ、握り拳を作んのね」


「親指を下へ向けて」


「こう?」


「そう」


「これでどうするの?」


「こうするのよ」


 彼女の拳がおれの拳に向かって近づいてきて、そして、こつん、と。


「うむ」


 おれはしみじみと肯く。彼女とこういったやりとりをするのはあらゆる意味でこれがはじめてだけど、これはおれの知ってる未来のズブラーシュカ・ノイレンと完全に一致、する! きょうこの城に集められたおれたちはまだこどもといっていい年齢だけど、さりとて青っ洟垂らしたじゃりってわけじゃない。たとえば目の前で恐怖に押しつぶされそうになっている男の子がいたとして、きみが雑じりけのないまごころからその子に手を差しのべるシーンを想像してみてほしい。きみが彼とは異なる性別だったばあい、そこに雑じりけのないまごころ以外の何かが生じてしまう可能性はほとんど一〇〇パーセント回避不能だ、とくにおれたちくらいの年頃では。それが哀しいことなのか、それともすンばらしいことなのかはおれには断言できないけど、できるだけながく、最初にあった雑じりけのないまごころってやつを生きながらえさせたいなら、きみは頭を使わなくちゃいけない、


 で、おれの目の前にいるきみはそうしたってわけだ。


 ここに存する手段と目的のみごとな対称性の美しさには舌を巻くしかない。

 おれがこのレベルで誰かの助けになるにはあと何年かかるんだ?、それをこの娘はふりだしの時点で体現しちまってるんだから、ほんと嫉妬するわ。


「ありがとう、っていったほうがいいのかな」


「すこしは怖いのがなくなった?」


「そういえばふるえがとまってら」


 嘘。おれのふるえは彼女の声を耳にして以来、ぴたりと収まっている。どうか白々しいおれの棒が見やぶられませんように。


「わたしも。こっちこそありがとう」


 これはやりすぎだろう。仮に素直な心情の表出だったとしてもそのせりふに続いてニコッ、とでもやられたりしたら、大抵の夢見る少年たちは恋に墜ちかねないじゃないかッ、おれは精神年齢が三つ年上ですからあ。本人が真顔であることが救いだとはいえ、ノイレン、詰めが甘いぜ!

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